その夜、名前で呼ばれた

Chocola

第1話


その学校には、月に一度の“裏ルール”がある。


正式名称は「交流授業」。だけど生徒の間では“強制カップルデー”と呼ばれている。


ルールはこうだ。


──その授業では、学年関係なく男女一組でペアを作ること。

──カップル成立と申告がない限り、教室からは出られない。

──一度カップル申請をすると、次の交流授業は免除。


学園の伝統らしいけど、どこか都市伝説めいていて、教師も生徒も笑いながら守っている。

表向きには交流を深めるため、ということになっているけど、要するに“青春を楽しめ”ということらしい。


もちろん、本気で恋人になる人もいれば、授業のために“仮カップル”になる人もいる。


私は、後者だった。

初めてペアを組んだのは、二年の先輩──朝倉 悠生。


 


「……今日、誰かと組んだ?」


そう聞かれたのは、あの交流授業の日だった。教室の空気はどこかざわついていて、時計の針はそろそろ授業終了の時間に近づいていた。


「まだです。……朝倉先輩は?」


「俺も。じゃあ、組もうか?」


あまりに自然な声に、私はつい「はい」と返してしまった。


私たちはその日、ペアを申告して帰った。ただそれだけの関係だった。


──のはずだった。


 


「台風、やばいらしいな」


下校時間、空はすでに鉛色だった。

朝倉先輩は、何の前触れもなく「一緒に帰ろう」と言った。

傘を差して歩いていた途中、急な豪雨が襲ってきた。


「ウチ、近いです。……よかったら、雨宿りしますか?」


「助かる」


それだけのやり取りで、先輩は私の家に来た。

家に着いた頃には制服はずぶ濡れで、母はタオルと着替えを出してくれた。


「泊まっていきなさい。あの学校の子でしょ? 私たちも卒業生なの、分かってるわ」


「すみません……ご迷惑を……」


朝倉先輩は頭を下げた。


 


その夜は、リビングで雑魚寝になった。

弟の蒼空と妹の詩が、真ん中で寝息を立てていた。

テレビはつけっぱなし、豆柴のポコが先輩の膝に頭を乗せている。


「……犬、懐いてますね」


「ポコ、知らない人にはなかなか行かないんですけど」


「じゃあ、今日は特別かもな」


その言葉に、私はふと尋ねた。


「……どうして、あの日、私を誘ったんですか?」


朝倉先輩は少しだけ黙って、答えた。


「覚えてる? 入学式の日、体育館の前で傘を落とした子」


「……え?」


「拾ってあげたら、ありがとうって言って、でも傘は持っていかなかった子。あれ、栞だった」


私の名前を、初めて彼が呼んだ。


鼓動が跳ね上がるのが分かった。


「俺、たぶん、そのときから気になってた」


静かな声だったけど、はっきり届いた。


 


「でも、仮の関係って、分かってました」


「うん。無理にはしたくなかった」


先輩のまなざしは、変わらず穏やかだった。

たぶん、ずっと言葉を飲み込んでたんだろうなと思った。


「……じゃあ、今日、名前で呼ばれたのは、仮じゃないってことですか?」


私がそう言うと、先輩は少し驚いた顔をして、笑った。


「どうかな。でも、次の交流授業、もう一回申請してもいい?」


「それって……」


「仮のまま、終わらせたくないから」


私は、黙ってうなずいた。


窓の外で、雨はまだやまなかった。


だけど心は、不思議とあたたかくて。


その夜、私は自分の名前が、こんなにも優しく響くものなんだって、初めて知った。

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