第1話 妖怪と人間
「それじゃあ、行ってくるね」
「うん。気を付けるんだよ」
「大丈夫だって、分かってるよ」
「そう言っていつも君は分かっていなんだ。だから心配しているんだよ」
「本当に大丈夫だよ。もう、ユダは心配性だね」
闇夜の如く艶やかな黒髪を背中まで伸ばし、薄い桜色の瞳をぱちくりとさせた少女・姫宮蔡が小さく微笑むながらそう言い返す。
「それじゃあ、行ってくるね」
「………蔡、気を付けるんだよ」
その後ろ姿を大きな狐耳のついた少女が心配そうな顔で見つめていた。
「まったく、ホントに大丈夫かな。蔡は………」
管狐の少女・ユダは大きな溜息を漏らしながらそう独り言を言う。
気の弱い蔡が一人で買い物なんて、心配で仕方がないと気が気でない様子であった。
彼女がここまで、過保護になるのには理由がある。それは蔡が幼い時のトラウマが原因で人間に対して苦手意識を持っていたからだ。
しかし、それも年を重ねるごとに徐々に改善されていき、今では街に買い物に出かけられるまでに回復した。
せっかく前を向いた彼女にユダはまた傷ついてほしくないと思っていたし、そうならないために一緒に暮らすことを決めたのだが、なかなか思うようにいかず歯がゆい思いをしている。
★★★
「えっと、確か………ユダの好きなお店はこの辺りだったはず」
街中に買い物に来ていた蔡はウロウロとしながら目的のお店を探していた。あまり家から出てこないため、お店の場所もうろ覚えだった。
あっちにいったりこっちに行ったりと傍から見たら不審な行動を取っていた彼女だが、道行く人たちは特に気も留めていないようだ。
しかし、蔡からしてみればどこに行けばいいのか皆目見当もつかず、困り果てている状態であった。
―――――そんな時、蔡の耳に凛とした声が届く。
「どうしたんだい? お嬢さん」
振り返ってみると黒色の生地を基調とした軍服を身に纏ったひとりの軍人が優雅な足取りでこちらに向かってきた。
青みがかった黒髪を背中あたりまで伸ばし、燃えるように紅い瞳が蔡を捉える。声は穏やかだが、瞳は鋭く一切の嘘も見逃さないといったふうに感じる。
そんな静かなる圧を感じながら蔡は緊張した面持ちで声を発する。
「じ、実は――道に迷ってしまって………」
「そうだったのか。疑ってしまいすまない。よければ私が途中まで案内しよう」
と言って、白地の手袋をはめた右手を蔡に差し出す。困惑している蔡をよそに相手はハッとしたように声を出す。
「すまない。自己紹介をしていなかったな。私は対妖怪撲滅部隊で隊長を務めている
「わ、私は
「………蔡というのか。良い名前だ」
「あ、ありがとうございますっ」
「ところで君はいくつくらいなんだ? 私は二十八になったばかりだ」
「そ、そうなんですね。私は十八になりました」
「そうか。ちょうど一回りほどの違いなのか。まるで年の離れた妹のような感覚だ」
「そ、そうなんですか」
嬉し気に話す飛香の横で蔡はいまいちピンっと来ないような顔で話を訊いていた。そんな蔡を見た飛香がふとある提案をする。
「もしよければ蔡と呼んでもいいだろうか。私は職業柄、友達が多い方ではないから、親しくしてくれると助かる」
いきなりそんなことを言い出す飛香に少し困惑気味になる蔡だったが、優し気な飛香に表情を目の当たりにして悪くないかもしれないと思い了承する。
それから目的に着くまで色々と話をしながら歩く二人。
「着いたぞ。ここが蔡の探していたお店だ」
「ありがとうございました。助かりました」
二人で談笑しながら目的地であるいなりあげのお店にたどり着く。案内をしてくれた飛香に軽くお礼を口にした蔡がお店の中に入ろうとすると―――――。
「そうだ。ひとつ言い忘れていたことがある」
「な、何でしょうか? 鬼道院さん」
「逢魔が時には気を付けろ。特に最近はその時間帯に不審な輩が出没しているらしい」
「………逢魔が時、ですか」
「そうだ。特に最近はその時間帯になると不審な輩が出没しているらしい」
「不審な輩ですか………?」
「ああ。詳細は不明だが蔡も気を付けてくれ。帰りも送ってあげたいのだが、他の場所も見回らないといけないから私はこれで失礼するよ」
「ありがとうございました。鬼道院さん」
飛香と別れた蔡は、ユダの大好物であるいなりあげを買ってから、足りないものがないかを思い出しながら街中を歩いていた。
あれこれと買い足しているうちに、すっかり時間が過ぎていき、気が付けば日が暮れていた。
日暮れの空を見た蔡は飛香に言われていた逢魔が時の時間が迫っていると気が付く。
(まずい、早く帰らないと―――――そろそろ逢魔が時の時刻だわ)
急いで帰ろうとした矢先。蔡の前の空間がぐにやりと歪む。当然の出来事に蔡はがくりと腰を抜かす。小さく肩を震わせていると目の前に人間とは思えない姿をした妖が下卑な笑みを浮かべながら、蔡を舐めますように見ていた。
鬼の顔に黒い胴体に数本に生えた足。ぎろぎろと左右に動き回る目。巨大な蜘蛛の妖怪だ。
蔡は自分の前にいる妖を知っていた。以前、ユダに訊いたことがあり、
パニックになりながらも蔡は冷静に考えながら目の前で起こっていることを理解しようとする。
そんな蔡を嘲笑うかのように蜘蛛の妖は、一歩、一歩と距離を詰めてくる。
(だ、誰か助けて――――!!)
迫りくる土蜘蛛に恐怖しながら蔡は心の中で助けを求める。だが、神出鬼没の妖に対抗できるものなど帝都の中でも数えるほどだ。
土蜘蛛が蔡の眼下に迫る。その瞬間、走馬灯ように時間がゆっくりになる。自分の頭の中に、これまで人生で経験したことが流れ込む。
それを呆然と眺めながら蔡は死にたくないと強く思う。だが、非常にも助けてくれる者は誰一人としていない。
土蜘蛛の鋭利な手先が蔡の身体を捉える。死んだ、と確信したその時――――。
「何をしている。貴様」
訊いたことのないくらい冷たい声がどこから聞えてくる。
「っえ………!? 声がしたような、いったいどこから?」
死にゆく前の幻聴かと思った蔡は、土蜘蛛の動きが止まった一瞬の隙に、素早く目だけ左右に動かして辺りを見る。
「どこを見ている愚図が」
まるでからかうような声色にますます混乱する蔡。その様子を見た土蜘蛛も焦るように周囲を見渡す。
「っだ、誰だ!? 隠れていないで出て来い!!」
「っふ、所詮はたがが蜘蛛だな。その目玉は飾りなのか? もっと周りをよく見てみろ、この能無しが」
「な、何だと!!」
「それよりもその娘は俺が預かろう」
どこから聞えてくる罵倒に耳を澄ませながる蔡の身体がふわりっと宙に舞う。
「え、こ、これどうなって」
「ま、待って、そいつは俺の獲物だぞ」
「黙れ下種が!! この娘は俺が保護する。カラス天狗の名のもとにな」
「そんなことさせるか、これは俺のだ!!」
宙に浮いた蔡の身体を土蜘蛛が醜悪な体液を口元から撒き散らしながら叫ぶ。
――――びゅん、びゅん。
それと同時に数本の足で蔡の身体を捕まえようとするが、何者かがそれを阻止する。
「何だ!? 何が起こったんだ」
「………」
土蜘蛛が蔡を捉える寸前で、間に見えない壁ができたように動きが止まる。
「本当に単細胞だな。お前」
「な、何だと。こ、この俺を単細胞呼ばわりしやがって、ふ、ふざけるな」
「はあ――――。いい加減このやりとりにも飽きたな。そろそろ終わりにしてやる」
と言って、上空から黒い何かが降りてくる。艶のある大きな翼を背中に生やし、陶器のような白い肌。全てを吞み込むような闇を秘めた紫色の瞳。
まるで蔡の目の前に救世主の如く、現れた存在は土蜘蛛と同じ妖であったが、どこかそれとは違う雰囲気と醸し出していた。その姿に最後に蔡は、ぐたりっと気を失ってしまう。
「ああ―――――。これで私も人生も終わってしまうのね。ごめんねユダ」
家で帰りを待ちわびている狐耳の少女に心のなかで謝りながら、蔡は薄れゆく意識に飲み込まれてしまうのだった。
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