豊穣の光駒 ~地下組織の用心棒は、奴隷少女と静かに暮らしたかった~
久縁求夢
プロローグ
1【揺らめく排気口】
粘ついた空気が、頬をぬるりと撫でた。
国に見放され放棄された、“地下街”と呼ばれる区域。
自然の地下空洞を整備し、独立した自治が施されることで完成したその街の片隅で、一人の男が何者かと対峙していた。
現在では使われていない、地上からの貨物運搬に用いられていた旧輸送路。
外気を取り込むための排気口すらも機能を失ったその場所の空気は淀み、腐ったような熱気があたりを包んでいる。
(明らかに、動きがおかしい)
男が右手に持った短刀を構え直す。
節足動物にも、肉食獣のようにも見える、異形の黒い影。
男が相対しているその“何者か”は、壁にへばりついたまま赤い両の瞳をじっと男の方へと向けていた。
威嚇でも、牽制でもない。ただ虚ろに、男の動きを観察しているかのような不気味な眼差しだった。
男が一歩踏み出すと同時に、影も即座に反応する。
「速い……!」
飛びかかってきた影を、すんでのところで受け流す。
男が元いた場所に的確に着地した影は、そのまま距離を詰めてくる男の動きを予測していたかのようにその場を飛び退いた。
(動きを読んでいる……?)
二度、三度の追撃を躱しながら、男が振るう腕の動作に合わせて影の中から無数の脚を伸ばしてくる。
明確な殺意。
しかしながら、その動きに獣のような獰猛さは微塵も感じられなかった。
(――何か、試すような“意図”を感じる)
異形は度々脚を伸ばしながらも、その隙を見せることはほとんどない様子だった。
男にいなされることは承知の上で、執拗に男の防御が薄い箇所を選んで攻撃しているようにしか見えなかった。
お互い一歩も引かない攻防が繰り広げられしばらく。
伸ばされた脚先の爪のうちひとつが、ついに男の腕を掠める。
(チイッ……。読まれてはいない、完全に“合わせられている”)
今まで相対してきた獣の類で、この異形のように冷静な判断で対処してくる相手は男の記憶になかった。
まるで練達した人間と対峙しているかのような錯覚すら覚えるほどに、異形は完璧に男の振るう腕を見切っている。
このままでは防戦一方になってしまう。
――搦手を使うしかあるまい。
そう考えた男は数歩引き下がり、一度呼吸を整える。
(一気に片付ける)
ひとつ息を吐き、懐の中に忍ばせた“とっておき”に手を触れる。
(これで、終わってくれよッ――!!)
これまでとは一変、獰猛な、獲物を狙う狩人の眼差しを湛え、男――ブラーヴは咆哮を上げる。
脳裏に、彼の帰りを待つある“少女”の面影を浮かばせて。
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