バレンタインである意義は特にありません

 がたんと凄い音を立てて玄関が開いたので、ああ帰ってきたとどうでもいいことよりちょっと重要なことくらいの気持ちで思った。面倒だったから寝転んでホットなカーペットの恩恵に与っている現在の体勢そのままで彼女がリビングまでやってくるのを待っていたけどなかなか来なかったから床の上で一回ローリンしてよっこらせとかアフレコされそうなぱっとしない動きで立ち上がり、玄関まで歩いてみた。玄関は明かりがついていないし、窓がないから若干暗い。彼女は突っ立って、客人用と見せかけて実は家族用に揃えられたスリッパの上に無造作に置かれたエコバッグを睨みつけていた。俺はしばらくその様子を観察して、買い物してくると張り切って家を出た割に膨らんでいない買物袋に気がつき声をかけてみることにした。


「買い物は?」

「…買えなかった」


 拗ねてるっぽい。そこで少し記憶の時間を巻き戻してみる。そもそも彼女が買い物に出た理由は、直前までスイーツのレシピに夢中になっていたことからしてその材料集めという線が有力だ。


「何作ろうとしてたん?」


 聞いてみると、チョコレートと素っ気なく答えが返ってくる。それは仕方ないよ、カカオは日本じゃなかなか手に入らない。なんてね。どうせチョコレートは湯煎で溶かすだけだろうから、彼女のいうレシピはチョコレート菓子なのだろう。また粋な。呆れと感心を胸のうちで遊ばせていたら、相手の言葉がまだ続いた。「風味付けにワイン買おうと思ったら買えなかった」


「…なるほどね。未成年だもんね」

「お菓子作る気満々だったから料理酒買う気分だったの。ねえ十嘉とおか、一緒に来て」

「なんで。俺も未成年だし」

「十嘉はよくおっさんと間違えられるもん」


 そんな経験ねーよ確かに大人と間違われることはあるけど。

 このまま玄関にいたら外までひっぱられそうだったので早々にリビングに戻る。強烈な反抗の念に似たものが後を追ってくるのを感じたけど俺バリアしてるからセーフだもんという小二の幻想的主張を通して気にしないことにした。再びカーペットとご対面していると、遅れて本体もリビングに入室してきた。大人しくカーペットの上に座り、ため息をついている。諦めたならそれもそれでいいけど、一応聞いておくべきだと思ったのでお菓子作りを始めようと考えた経緯について聞いてみる。


「バレンタイン?」

「に、触発されただけ」

「なんだ。」


 安心したところで一回転。ホットカーペットはただのカーペットと同じくらいの温度だ。さらに半回転して仰向けになると、白くて一部黒ずんだ天井と、点いてない照明と、低い位置で放物線の頂点をつくろうとしている太陽が控え目に部屋に日光を注いでいるのがみえた。バレンタイン二日後の昼である。とか言っても全然ふつー。行事とかどうでもいいよね、なのがうちの家族なので、当日すら普通に見えました。そのへんの人間はそわそわしてたけど。でも、それを思うと触発されただけでもあれかなあと考えてしまう。


「ねえねえ十嘉、仁科さんて加藤と付き合ってるのかな」

「…なんで?」

「普通の人みたいに他人の関係に首突っ込んでみたくなっただけ」


 この流れで誰某が付き合ってるか否か聞いてくるなんて、触発されただけとも思えなくなってくるんだけどな。

 仲いいよね。付け加えられた言葉に意味深な響きがある気がする。


「何、美莎みさ、加藤が好きなの?」

「あんな変な人やだ。まともに会話出来る人がいい。」


 唇を尖らせた彼女が次いで「なんか気持ち悪いし」と言うのを聞くと、加藤がというより仁科が不憫になった。わからなくもないけどな、加藤って常にどっか行ってるし(頭が)。それ故目の焦点も合ってないことの方が多い。そして肌が異様に白くなよなよしていて頼りない。女子からしてみれば生理的に受け付けないところもあるんだろうねと知ったかぶってみたところで、思考は仁科まで伸びる。あっちはごくごく普通の女子ってかんじなんだけど、優等生ちっくだから簡単に人を退けることが出来なくて、部活でただ一人仁科が加藤に優しくするもんだから加藤も甘えるようになって大変。だいたいそんなとこだろう。ちなみに俺は加藤と同じクラス、美莎は仁科と同じクラスだ。加藤と仁科は互いのクラスを訪れることoftenだから俺達も加藤達をよく見るとそういうことでした。邪推終わり。

「それ仁科さんに失礼じゃね?」と一応相手の言葉にレスポンスしておくが、その必要もなかったようだ。


「ねー仁科さん加藤にチョコ渡したかな」

「知らないし。じゃあなに、仁科が好きなの?」

「別に。あの人なかなか本心見せないっぽいし」

「へー。ところで美莎、結局のところ何がしたいの?」

「……」


 怪しくて長い沈黙を挟んで、「別に。仁科さんが好きなだけ」と返ってくる。うんわかんないし。兄弟じゃないんだから思考はなかなか噛み合わないし、人の本心を言い当てられる程俺は器用な人間じゃないっていい加減気づいてるでしょうに。というわけで俺はただ「へー」と相槌を打つに留めた。

 そのあと割と耐え難い静寂が続いたので仕方なく真横の他人の心中を察してみようと考えを巡らせてみる。チョコレートねえ。触発された、っていうのはスイーツ創作意欲が刺激されたという意味じゃなさそうだ。最初はそうだと思ったけれども、だとしたら「普通の人」ごっこはする必要がないわけだしこう重ねて無駄なこと聞いてくるってことは話の内容よりも話し掛ける作業のほうが重要なんだろう、彼女の性格からして。だけどその重ねた質問が共通してるってことは、一応その内容も必要なわけで。(うーん、チョコ。恋愛。構ってちゃん。加藤と仁科。というより噂話。…お酒? バレンタインに触発、と)キーワードを集めてみるとどうも二月十四日その日をありのまま写したみたいだ。うちじゃイベントごとしないしな、うん。


「なー、加藤ってなんで仁科のことユーカリって呼ぶの?」

「…下の名前がユカリだからだと思う」

「紫がコアラの主食になるのか」

「塩分高いよ。っていうか、違うんだけど」

「そうだね。うん、仁科は多分加藤にねだられて持ち合わせのを適当に一口あげたんじゃね?と俺は思う」

「わかってるじゃん。仁科さんは多分加藤にねだられたら罵倒してからチョコ投げるよ」

「こらこら人の性格を捏造するな」

「ほんとだよ、時々あの人凄い酷いこと言うもん」


 まじか。


「でもチョコはあげるんだ」

「あげたって思うほうが面白い」

「まあね」


 ところでチョコは作らないのかと聞いてみると、しばらく唸って背後に置かれた時計の針を見て、面倒だからいいと呟いた。よしよし、元通り。作っても今更だしな。

 彼女は立ち上がり簡易的な伸びをして「よし、元通り!」と歪に変化していた何かの形状が元に戻りました宣言をした。兄弟じゃないんだから思考はなかなか噛み合わないよ。でも最大二つが元通りなら世界も平和でいいじゃないですか。

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