第16話 わたしの気持ち

玄関の扉に手をのばそうとしたとき、スマホを握ったままだと気づいた。

反対の手でドアノブに手をかけると、鍵のかかっていない扉は、何の抵抗もなく開く。

玄関に転がる黒いパンプスが、わたしたちに、久しぶり、って言ってる。

飾り付けられたままのリビングのソファには、11日ぶりのママの姿。

「うそ……ママ!?!?」

わたしの声が裏返る。

ケンタは立ち止まり、トラは目を丸くして固まった。

料子ちゃんも、言葉を失っている。

みんな、突然の出来事に頭が追いついていない。

「うん、みんないい顔ね!それに、この飾り付けにごちそう……これからパーティーかしら?帰ってきてよかったわ♪」

と、ママは1人ゴキゲンだ。

「待って、仕事は?1ヶ月の出張じゃなかったの?」

もしかして、自称天才のママのことだから、きっと何かやらかして、途中で仕事がなくなっちゃったんじゃ……!?

心配で青ざめるわたしの頭の中をのぞいたように、ママが笑い飛ばす。

「ははは、ママの頑張りのおかげで、仕事が予定よりも早く終わったのよ。つーちゃんたちも心配だったしね!」

……出張って、そんなに簡単に期間が変わるものなの?

でも、ママがわたしのために仕事を頑張ってくれたってことなんだよね。

「心配してくれるのはうれしいけど……でも、帰ってくるんだったらちゃんと連絡してよね!」

「内緒にしてたほうが、つーちゃんたち、びっくりするかな~って思って」

てへへと笑うママ。

1ヶ月ママがいないって覚悟を決めてたのに、いきなり帰ってきたんだもん。びっくりするに決まってる。

でも……ママが帰ってきたんだって思ったら、なんだか少し顔がゆるむ。

わたしの気持ちに気づいたように、料子ちゃんも、

「良かったね。これで安心して、ママと暮らせるね」

って言ってくれた。

え……?そっか。ママが帰ってきたってことは、さっきの、料子ちゃんと暮らす話しはナシだよね。

ほっとしていると、ママは、立ち尽くすケンタたちの方を見て、

「みんなもありがとね!助かったわ!」

なんて、まるでちょっとしたお手伝いでも頼んでいたような軽さと明るさで言う。

その明るさとは対称的な、取り残されたようなみんなの顔。

わたしはようやく気づいた。

ママが帰ってきたってことは、ケンタたちの”ボディーガード”もいらなくなるってことなんだ。だから……

わたしの気持ちとリンクするように、ケンタが口を開いた。

「もっとこのままでいたいです。でも、つかささんを困らせたくない。……それはみんな同じです。それに、ペットのままでも一緒にいられますしね」

ケンタの言葉に、みんなうなずく。

ママは、眉間に少しシワを寄せて、悩んでいるような頭が痛いような、そんな顔をしている。

……そうだよね、ママが居ない間、って約束と違うもん。

でも、わたしには、ケンタが無理に笑っているような気がした。

「なるほど、ね。……つーちゃんは、どうしたい?」

ママの目が、みんなの目が、わたしを見つめる。

わたしの返事で、決まるんだ。

そう思うと、ひどく喉が乾いたみたいに、声が出ない。

得体の知れない苦しさに、たまらず下を向いて、ずっと手にしていたスマホを握りしめる。

……

目に飛び込んできたロック画面には、みんなでケーキを囲んで笑っているわたしたち。

「大丈夫」

写真から、そんな声が聞こえた気がした。

はっとして顔を上げると、みんなと目が合った。

その優しい目に、ふっと心に明かりが灯った気がした。

――みんなが、「ふつうの姿」じゃなくなった、あの日。

玄関で出迎えてくれたケンタの、人なつこい笑顔。

トラの、猫のときの変わらない振る舞い。

はじめは、ペットが人間になったなんて、信じられなかった。

でも、ケンタの優しさも、トラのまっすぐな目も、セキ君の明るさも、ユキちゃんの甘え方も、ミドリ君の落ち着いた様子も――

姿はちがうけど、ずっと前から変わっていなかった。

ふつうじゃなくなったのに、毎日が楽しくて、にぎやかで、あったかくて。

――あの日から、わたしの特別が始まったんだ。

そしたら、だれかに頼ることの嬉しさ、ちゃんとしてなくても大丈夫なこと、みんなで何かをする楽しさ、新しいことがどんどんわかって――いつの間にか、みんなと過ごす時間が大切なものになっていた。

だから、我慢しないで、伝えたい……!

「あのね、ワガママだって分かってる。けど、わたし……」

声が震える。

全身が心臓になったみたいにバクバクする。

でも、ちゃんと伝えたい。自分の、素直な気持ちを!

「――わたし、このままのみんなと、もっと一緒にいたい!お願い、もう少しだけ……この特別を、続けさせて!」

――ママ、料子ちゃん、これが、わたしの、”わたしにとってのいい方法”なんだよ。

そんな思いを込めて、ママを見つめる。

「そう……」

そう言うとママは、ふぅーっと、細長い息を吐いて、わたしの手元に光る画面をちらりと見た。

もしかして、怒ってる……?やっぱりダメ?それとも、あきれてる?

沈黙が、体に突き刺さる。

さっきまでの勇気が嘘みたいにしぼんでいく。

顔は熱いのに、汗ばんだ背中が冷たい。

「つーちゃんの”ワガママ”もそんな笑顔も、……久しぶりね。」

ママの声があまりに小さくて、え?と顔を上げると、切なそうな表情のママと目が合った。

それはほんの一瞬で消えた。

「……本当に、それでいいのね?」

ママの目が、何かを試すみたいに、細くなる。

でも、わたしの気持ちは……

「お願いします」

負けずに、ママの目を見つめる。

そんなわたしの姿に、一拍おいてから、ママは笑った。

「つーちゃんのお願いなら、仕方ないわねっ。特別よ、とーくーべーつ♪」

いつもの、元気すぎるママだ。

「てことは、まだこのままでいていいってことか?」

食い気味に聞くトラに、ママはとびきりの笑顔と指で作ったマルで返事をした。


「えー。では、ケンタ君、トラ君、お嬢さんのテスト合格と、料子さんの引っ越しと、育美さんの帰宅を祝いまして、私から一言。この度は、こんな時間にもかかわらず、みなさまにお集まりいただきまして……」

リモコンをマイク代わりにスピーチをはじめるミドリ君に、お箸を持ったユキちゃんが

「そのお話長くなりそう?早く食べたーい」

と口をとがらせる。

「ミドリ君、こういうのは、さっさと済ませな。トラが先に始めてるわ」

セキ君に言われ、

「まだ飲んでねーよ」

あわててコップを口から放すトラ。

「こういうのは、つかささんがよしっていうまで、ダメなんですよ」

お行儀よく待つケンタは、待ての時と同じ、キラキラした目でわたしを見る。

「ふふ。じゃあ、ここは、つーちゃん、お願い」

ママにうながされ、わたしはコップを高くあげた。

「えっと、……いろいろおめでとう!かんぱーいっ」

「「「「「「「かんぱーい」」」」」」」

グラスの軽やかな音とともに、わたしの周りに広がる、たくさんのあたたかい笑顔。

こんなに大勢で囲む食卓って、初めてかもしれない。

飾り付けられた部屋、テーブルの上に並ぶごちそう、グラスの中のジュース、それからみんなの顔。どれもキラキラ輝いている。

「このケーキも、つーちゃんが作ったの?」

せっかくだから、とテーブルに並べた丸いケーキを指さしたママ。

「一緒に作ったの。しかもね、真ん中のバラは、みんなが作ってくれたんだよ」

「へえ~……。つーちゃん、5本のバラの花言葉、知ってる?」

ママは、首を振るわたしにふふっと笑うと、耳元でそっと教えてくれた。

「”あなたに会えて、本当にうれしい”って意味」

大切な秘密を告げるようなママの言葉に、わたしは、胸の奥があつくなって……。

わたしは、ケーキの上のバラと、5人の顔を思わず見比べた。

――わたしの気持ちと、同じだ。

”ふつうじゃない毎日”が、いつの間にか”いちばん大切な毎日”になっていた。

涙ににじんだ赤いバラの向こうで、みんなの笑顔が、あたたかくゆらめいていた。

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ヒュニマロイド!~元ペット、ただいま人間生活中~ みなかみ湖唄 @minakamikouta

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