第8話 天翔ける救出劇
三日間の療養を経て、ライセルの左腕の傷はようやく癒えた。毒による腫れも引き、包帯を外すことができるまでに回復していた。
「よし、これでまた動けるな」
鏡の前で腕を上げ下げし、動作に問題がないことを確認する。完全に元通りとまではいかないが、冒険者として活動するには十分だった。
「キィ」
ハインが窓辺から振り返り、琥珀色の瞳でライセルを見つめる。まるで「もう大丈夫なのか?」と心配しているようだ。
「ああ、もう心配いらない。今日から復帰だ」
『蒼き月』を出ると、久しぶりの朝の空気が心地良い。三日間部屋に籠もっていたせいで、街の喧騒すら新鮮に感じられた。
ギルドに向かう道すがら、行き交う冒険者たちの装備を観察する。皆それぞれ異なる武器や防具を身に着け、それぞれの目標に向かって歩いている。
(俺も負けていられないな……)
――――――
「ライセルさん、お怪我の方はいかがですか?」
ギルドに到着すると、セリアが心配そうな表情で迎えてくれた。
「おかげさまで、すっかり良くなりました。今日から復帰します」
「それは良かったです。無理は禁物ですから、最初は軽めの依頼から始められることをお勧めします」
セリアが勧めてくれた依頼書を見ると、都市近郊の魔物討伐依頼がいくつか並んでいる。報酬は決して高くないが、肩慣らしには丁度良い内容だった。
「う~ん。じゃあ、この『ゴブリン討伐』をお願いします」
「承知いたしました。都市から北東に二キロほどの丘陵地帯に、ゴブリンの小集団が現れているとの報告があります。数は三体から五体程度と推測されます」
依頼書を受け取り、ライセルはギルドを後にした。
――――――
都市を出て北東の街道を進む。道は整備されており、歩きやすい。これまで探索してきた古の森遺跡群とは対照的に、開けた土地が続いている。
「やっぱり街道は楽だな」
「キィ」
ハインも久しぶりの外出を楽しんでいるようで、時折大きく羽ばたいて上空を舞っている。
一時間ほど歩くと、目標の丘陵地帯が見えてきた。なだらかな起伏が続き、所々に小さな森が点在している景色は、のどかで平和そのものだ。
しかし、冒険者としての経験が、油断してはいけないと警告する。どんなに平和に見える場所でも、魔物が潜んでいる可能性は常にある。
丘の斜面を登りながら、周囲の様子を注意深く観察する。草木の揺れ方、鳥の鳴き声の変化、地面に残された足跡……全てが情報源だ。
「あった」
小さな洞窟の入口を発見した。地面には確かにゴブリンのものと思われる足跡が残っている。まだ新しく、昨日か今朝のものだろう。
洞窟の奥から、かすかに声らしきものが聞こえてくる。ゴブリン特有の甲高い鳴き声だ。
「いるな」
トランスロッドを剣の形に変化させ、静かに洞窟に近づく。入口は狭く、一体ずつしか出てこられない構造になっている。有利な地形だった。
洞窟の入口に到達すると、中の様子を慎重に覗き込む。奥行きは十メートルほどで、三体のゴブリンが焚き火を囲んで何かを食べていた。
(三体か。数的には問題ない)
ライセルは静かに洞窟内に足を踏み入れた。足音を殺し、影から影へと移動する。
しかし、最後の一歩で小石を踏んでしまった。カラリという小さな音が洞窟内に響く。
「ギャア!」
ゴブリンたちが一斉に振り返り、侵入者を発見して警戒の声を上げた。
「見つかったか!」
ライセルは隠密行動を諦め、正面から突撃した。狭い洞窟では三体が同時に攻撃してくることはできない。
最前列のゴブリンが錆びた短剣を振り上げてくる。動きは読みやすく、左に身体をずらしながら剣を振り下ろした。
「はっ!」
剣がゴブリンの胴体を斜めに切り裂く。緑色の血が飛び散り、ゴブリンは苦悶の声を上げて倒れた。
二体目が棍棒を持って突進してくる。ライセルは剣を横に薙ぎ、棍棒を弾き飛ばすと、そのまま剣先を相手の胸に突き立てた。
「ギャアア!」
二体目も絶命し、残るは一体。
最後の一体は仲間が倒されるのを見て恐怖し、洞窟の奥へと逃げようとした。しかし、洞窟は袋小路になっており、逃げ場はない。
「諦めろ」
ライセルが近づくと、ゴブリンは観念したように振り返り、両手を上げて降伏の意思を示した。しかし、それは偽装だった。次の瞬間、隠し持っていた小刀を投げつけてくる。
「甘い!」
ライセルは剣で小刀を弾き、そのまま相手に肉薄した。剣先がゴブリンののど元に当てられる。
「ギ……ギャア」
最後のゴブリンも絶命し、洞窟内に静寂が戻った。
「終了、と」
三体のゴブリンを確認し、討伐の証拠として耳を切り取る。これをギルドに持参すれば、討伐完了の証明になる。
(久しぶりの戦闘だったけど、身体は覚えてるな。でも、やっぱり少し鈍ったかも)
洞窟を出ると、ハインが上空で旋回していた。危険がないことを確認したのだろう。
「よし、帰るか」
――――――
帰路に着いたライセルは、街道を南西に向かって歩いていた。午後の陽射しが温かく、心地良い疲労感が全身を包んでいる。
(やっぱり実戦は良いな。身体も軽い気がする)
そんな満足感に浸っていた時、遠くから悲鳴のような声が聞こえてきた。
「助けて!誰か……!」
女性の声だった。ライセルは足を止め、声のする方向を見つめる。街道から外れた森の中から聞こえてくるようだ。
「キィキィ!」
ハインも上空から警告するように鳴いている。何かの異常を察知したのだろう。
ライセルは迷わず森の中に駆け込んだ。枝を掻き分けながら声のする方向へと急ぐ。
(どこだ……居た!)
開けた場所に出ると、そこには想像以上に危険な状況が広がっていた。
一人の若い女性が大木の根元で身を寄せ合い、その周囲を五体のダイアウルフが囲んでいる。ダイアウルフは通常の狼よりも一回り大きく、より凶暴な魔物だ。
女性は足に怪我を負っているらしく、逃げることができずにいる。ダイアウルフたちは獲物を確実に仕留めるため、じわじわと包囲網を狭めていた。
(まずい!このままじゃ間に合わない)
距離は約五十メートル。普通に走ったのでは、女性が襲われるのを止められない。
ライセルは咄嗟に決断した。
「英雄招来!」
頭の中に新たな知識が流れ込んでくる。今日呼び出された英雄は……
『天駆ける狩人アルテミス』──風と共に空を舞い、神速の矢で獲物を射抜く弓の達人。
(弓使いか……なら!)
アルテミスの力が身体に宿り、風の魔力が全身を包み込む。トランスロッドが銀色に輝く弓に変化し、風の矢筒が腰に現れた。
ライセルは素早く弓を構え、ダイアウルフたちに向けて矢を放った。
風の魔力を込めた矢が唸りを上げながら飛び、ダイアウルフたちの前方の地面に突き刺さる。爆発的な風圧が周囲を吹き荒らし、魔物たちの注意が一斉にライセルの方向に向けられる。
「グルルル……!」
ダイアウルフたちが新たな脅威を認識し、牙を剥いて威嚇の声を上げる。彼らの意識が自分に向いたのを確認したライセルは、アルテミスの能力を発動した。
「風の翼!」
ライセルの背中に光る風の翼が展開され、身体が宙に浮き上がった。まるで鳥のように空中を駆け抜け、一足飛びでダイアウルフたちの元へと向かう。
「空を……飛んでる?」
女性が信じられないといった表情でライセルを見上げる。空を飛ぶ人間など、彼女には想像もつかなかっただろう。
ダイアウルフたちも突然現れた空からの敵に狼狽し、一瞬動きを止めた。
その隙を逃さず、ライセルは女性とダイアウルフの間に着地する。風の翼を羽ばたかせ、威嚇するように立ちはだかった。
「大丈夫ですか!」
振り返ると、女性は恐怖と驚愕で青ざめていたが、怪我はそれほど深刻ではなさそうだった。
「は、はい……あの、た、助けて下さい……!」
「もちろんです。俺に任せてください」
ダイアウルフたちが体勢を立て直し、ライセルに向かって牙を剥く。五体が扇状に展開し、挟み撃ちの陣形を取った。
「グルルル……」
低い唸り声が森に響く。野生の殺気が空気を震わせていた。
最初に動いたのは右翼の一体だった。地面を蹴って跳躍し、鋭い牙でライセルの首を狙ってくる。
ライセルは風の翼で軽やかに後方に跳躍し、同時に弓を構えた。
「風矢!」
風の魔力を込めた矢が放たれ、空中のダイアウルフの脇腹を貫く。魔物は苦悶の鳴き声と共に地面に墜落した。
しかし、残る四体が一斉に襲いかかってくる。正面から二体、左右から一体ずつ。四方向からの同時攻撃だった。
「よっと!」
ライセルは風の翼を大きく羽ばたかせ、上空に舞い上がった。ダイアウルフたちの攻撃は空振りに終わり、互いに衝突しそうになる。
空中から見下ろしながら、ライセルは連続で矢を放った。
「連風矢!」
三本の風の矢が同時に放たれ、それぞれ異なるダイアウルフを狙う。一体は額に、一体は背中に、一体は後ろ足に矢が突き刺さった。
致命傷を負った二体が倒れ、残るは足に矢を受けた一体のみ。
しかし、この最後の一体が最も狡猾だった。ライセルが空中にいる隙に、女性に標的を変えて襲い掛かったのだ。
「させない!」
ライセルは急降下し、女性の前に着地しようとする。しかし、ダイアウルフの方が速い。鋭い牙が女性に届こうとした瞬間……
「絶風矢!」
ライセルの放った最大威力の矢が、ダイアウルフの頭部を貫いた。風の魔力が爆発的に炸裂し、魔物の巨体が吹き飛ばされる。
「はあ……はあ……」
アルテミスの力が薄れ、風の翼が消失する。ライセルは膝をつき、肩で息をしていた。短時間に能力を集中使用した反動が襲ってくる。
「あの……本当にありがとうございました」
女性が感謝を込めて声をかけてくる。先ほどまでの恐怖は消え、安堵の色が瞳に浮かんでいた。
「無事で何よりです。それより、お怪我の方は?」
「足首を捻挫しただけです。命に別状はありません」
女性は二十代前半くらいで、質の良い旅装束を身に着けている。旅慣れた様子から、遠方からの旅行者だと推測できた。
「こんな場所で一人というのは危険でしたね」
「はい……実は薬草を探していたんです。この辺りでしか採れない珍しい薬草があると聞いて、つい夢中になってしまって……」
「薬草を?」
「私、故郷で薬草学を学んでいるんです。今回はリムヴァルドを拠点に、フロンティアの薬草調査をする予定で旅をしてきたのですが……初日からこんなことになってしまって」
なるほど、それで一人で森の奥まで入ってきたのか。学問への熱意は立派だが、確かに危険すぎる行為だった。
「とりあえず、街まで送らせていただきます。一人では歩けないでしょう?」
「本当にありがとうございます。お名前をお聞きしても?」
「ライセル・ヴェルドです。冒険者をやっています」
「私はマリアと申します。カーネリア王国の第三都市エリシアから参りました。よろしくお願いします」
――――――
マリアを背負い、ライセルは街道を歩いていた。彼女は思ったより軽く、それほど負担にはならない。
「本当に申し訳ありません。こんなことになってしまって」
「気にしないでください。困った時はお互い様です」
道中、マリアは薬草について詳しく語ってくれた。彼女は故郷の学院で薬草学を修めており、フロンティア特有の薬草の研究をしているという。
「フロンティアには、他の地域では見られない薬草が多く自生しているんです」
「へぇ、薬草にも地域性があるんですね」
「ええ。同じ薬草でも、土地の魔力濃度や気候によって効果が変わることもあるんです。だからこそ、実際に現地で調査することが重要なんですが……」
「知識欲は大切ですが、安全第一ですよ」
「はい、肝に銘じます」
――――――
リムヴァルドの街に到着する頃には、既に夕方になっていた。街の入口でマリアを下ろすと、彼女は深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございました。リムヴァルドに来たばかりで宿も決まっていなかったのですが、おすすめの場所はありますか?」
「それでしたら『翠風亭』が良いと思います。料金も手頃で、女性一人でも安心して泊まれます」
「本当にありがとうございました」
「気にしないで下さい。それでは、足首の方、お大事に」
マリアが宿屋の方向へ向かっていくのを見送ると、ライセルはギルドへ向かった。
――――――
「お疲れ様でした。順調に討伐できたようですね」
セリアがゴブリンの耳を確認し、依頼完了の手続きを進めてくれる。
「はい。特に問題はありませんでした」
本当は途中でダイアウルフとの戦闘もあったが、依頼に関係ないことなので報告する必要はないだろう。報酬を受け取り、ギルドを後にする。今日は久しぶりの依頼だったが、思わぬ出会いもあり、充実した一日だった。
――――――
「おかえりなさい、ライセル!今日はどうだった?」
宿に戻るとエレンが明るい笑顔で迎えてくれた。
「肩慣らしにはちょうど良かったよ。エレン、今日の夕食は何?」
「今日は特製野菜スープよ!街で新鮮な野菜が手に入ったの」
「それは楽しみだ」
そんなやり取りをしながら食堂に向かう。ライセルのフロンティアでの一日が、また静かに幕を閉じようとしていた。
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