第3話 霧纏いの森とキノコ狩り
ブラックビートルの依頼を達成した翌日、ライセルは朝食を摂りながら今日の予定を考えていた。
「そういえば、ライセル。今日は珍しく早起きじゃないのね?」
エレンが湯気の立つパンとスープを運んでくる。確かに、いつもより三十分ほど遅い時間だった。
「昨日の甲殻剥がしで腕が筋肉痛気味でさ。少しゆっくりしてたんだ」
「無理しちゃダメよ?せっかく頑張ってるんだから、体を壊しちゃ意味がないわ」
エレンの心遣いに苦笑いを返すと、ライセルはスープをゆっくりと味わった。このスープの味も、フロンティア生活の楽しみの一つになっていた。
「キィ」
ハインが窓の外を見つめて鳴く。外は薄曇りで、少し肌寒そうだ。
「今日は天気が悪くなりそうだな」
「そうね。でも雨が降れば、森のキノコがたくさん採れるって聞いたことがあるわ」
キノコ。確かに、昨日ギルドで見た依頼の中にもキノコ採取のものがあった。
――――――
「おはようございます、ライセルさん」
ギルドに着くと、セリアがいつものように丁寧に迎えてくれる。
「おはようございます。今日もお世話になります」
「昨日は、本当に素晴らしい成果でした。装具職人組合の方々も大変喜んでおられましたよ」
「それは良かったです。ところで、キノコ採取の依頼があったと思うのですが……」
「ああ、霧纏いの森の依頼ですね。少々お待ちください」
セリアが取り出した依頼書には、予想していたよりも高い報酬額が記載されていた。
『依頼:薬草キノコ採取』
『依頼主:薬師組合』
『場所:霧纏いの森・西側区域』
『報酬:銀貨八枚(完品十個につき)』
『詳細:キャップ・マッシュルーム十個採取。回復薬の原料として需要が高い。雨上がりに発生しやすく、鮮度が重要』
「銀貨八枚……これは良い報酬ですね」
「ええ。ただし、霧纏いの森は少し注意が必要です。名前の通り霧が深く、視界が悪いことが多いのです。それに……」
セリアの表情が少し曇る。
「何か問題でも?」
「最近、その森で『霧の主』と呼ばれている魔獣の目撃情報があるんです。正確な情報はまだ無い為、危険性も不明なのですが……」
(正体不明の魔獣か。でも、キノコ採取なら無理に戦闘する必要はないしな)
「分かりました。注意して行ってきます」
「お気をつけて。天候が変わりやすいので、早めに森を出ることをお勧めします」
――――――
霧纏いの森は、リムヴァルドから北西に二時間ほど歩いた場所にあった。その名の通り、森全体が薄い霧に包まれている。
「確かに視界が悪いな」
十メートル先がぼんやりとしか見えない。ハインも空を飛ぶのは危険と判断したのか、大人しくライセルの肩に止まっている。
「キィキィ」
「そうだな。慎重にいこう」
森の中は湿度が高く、木々の根元や倒木の周辺に様々なキノコが生えている。しかし、目当てのキャップ・マッシュルームは、特徴的な傘を持つキノコで、そう簡単には見つからない。
「確か、魔力を帯びた土壌に生えるって聞いたな」
魔力の流れを感じ取ろうと集中する。微かだが、森の奥から魔力の流れを感じることができた。そちらの方向は、さらに霧が濃くなっているみたいだった。
ライセルは周囲に気を付けながら、慎重に歩を進めていく。すると、やがて小さな谷間のような窪地にたどり着いた。そこには確かに、淡い光を放つキャップ・マッシュルームが点在していた。
「あった!こんなにすぐ群生地を見つけられるなんて運が良いな!」
ライセルはさっそく慎重にキノコを採取していく。鮮度が重要ということなので、根元から丁寧に切り取って専用の保存袋に入れる。
一つ、二つ、三つ……
「よし、この分なら目標の十個は楽に――」
その時だった。
霧の向こうから、低いうなり声が響いてきた。
「グルルル……」
ライセルは反射的にトランスロッドに手を伸ばし、剣の形状に変化させる。霧の向こうに巨大な影が見えたが、その正体ははっきりしない。
「キィィ!」
ハインが警戒の鳴き声を上げる。
(これが噂の霧の主か?……もう少しだったのに、タイミングが悪いな……)
ライセルは採取したキノコの入った袋を肩にかけ、そっと後退を始めた。戦闘は可能な限り避けたい。
しかし──
「!」
気がつくと、退路にも同じような巨大な影が立ちはだかっていた。
「どうして……さっきは前方にいたはずなのに」
ライセルは慌てて左に迂回しようとする。だが、また少し進んだところで、前方に同じ影が現れた。
(霧の中を自在に移動している?それとも複数いるのか?)
何とか逃げれないかと方向を変えて逃走を試みるが、その度に行く手を阻まれる。まるで、意図的に逃がさないようにしているかのようだった。
「グルルル……」
さらに魔獣が近づき、今度ははっきりとその姿を見ることができた。
巨大な樹木のような姿をした魔獣。しかし、よく見ると樹皮に見えるものは鱗で、枝に見えるものは無数の触手だ。全体的に人型に近い形をしており、顔の部分には赤く光る眼が複数並んでいる。
大きさは優に三メートルを超え、その体から発せられる魔力の濃さが尋常ではない。
「これが霧の主……」
魔獣はライセルをじっと見つめている。しかし、すぐに攻撃してくる様子はなかった。
(なぜ攻撃してこない?俺を追い詰めておいて……)
その時、ライセルは気づいた。霧の主の視線が、自分ではなく肩にかけた袋に向けられていることに。
(まさか……キャップ・マッシュルームが目当てなのか?)
試しに袋を少し動かしてみると、霧の主の視線が袋の動きを追った。
「やっぱりそうか。お前の狙いもこのキノコなんだな」
だが、これは依頼の品だ。何の抵抗もせずに手放すわけにはいかない。
「悪いが、これは渡せない」
ライセルがキッパリと拒否すると、霧の主の眼が一段と赤く光った。
「グルルオオオオ!」
威嚇の咆哮と共に、霧の主が触手のような腕を振り上げる。
(戦うしかないか……でも、明らかにこいつは普通の魔獣じゃない。いけるか?)
ライセルは一度剣で応戦を試みる。霧の主の触手を横に流そうとするが、その重量と威力は想像以上だった。
「くっ!」
剣が弾かれ、ライセルは大きくよろめく。明らかに実力差がありすぎる。
「これは、使わないと無理だな……英雄招来!」
英雄の力をその身に宿すとともに、手の中のトランスロッドが変化していく。やがてそれは、杖のような形状になった。
『森羅の魔導師エルダイン』—自然魔法を極めた大魔導師の力。
「自然魔法か……この場所なら都合が良い!」
頭の中に、大地や植物、自然の力を操る魔法の知識が流れ込んでくる。そして何より、この霧纏いの森全体の魔力の流れが手に取るように分かった。
霧の主が本格的に攻撃を仕掛けてくる。複数の触手が一斉に襲いかかった。
「森よ、我に力を!ネイチャーコマンド!」
杖を地面に突きたてると、森の魔力が一点に集束し始める。周囲の植物が呼応するように揺れ動いた。
「樹根よ、立ち上がれ!ルートライズ!」
地面から太い樹の根が無数に飛び出し、霧の主の触手攻撃を受け止めた。
『グルルル!』
しかし、霧の主も只者ではなかった。体表面の鱗が光を放ち、強力な魔力波を放出する。
「うわっ!まじか!」
樹の根が次々と消滅していく。やはり正面からの力押しでは分が悪い。
(この魔獣は、霧を操って移動している。なら、霧そのものをこちらの味方にしてしまえば……)
「霧よ、我が意のままに!ミストマニピュレート!」
森の霧を操作し、今度はライセル自身が霧の中を自在に移動できるようになった。同時に、霧の主の位置も正確に把握できる。
「なるほど、お前は霧の魔力を利用して移動していたのか。だが、それなら……」
霧の主がライセルを見失った隙に、ライセルは背後に回り込む。
「蔦よ、縛れ!バインド・ヴァイン!」
地面から無数の蔦が飛び出し、霧の主の動きを封じた。
ライセルは森全体の魔力を感じ取り、最大級の魔法を準備する。そして、霧の主の体の中心部、胸のあたりに小さく光る核のようなものを発見した。
(狙うならあそこだ!)
「森よ、我に最後の力を!ネイチャーランス!」
杖の先端から、純粋な自然の魔力で構成された槍が放たれる。それは一直線に霧の主の核を貫いた。
『……グル……』
霧の主の巨大な体がゆっくりと崩れ落ちる。そして、霧の中に溶けるように消えていった。
「やった……」
杖が元のトランスロッドの姿に戻る。森の魔力との繋がりも薄れ、ライセルは深い疲労感に襲われた。
「キィ〜」
ハインが安堵の鳴き声を上げる。
「ああ、何とかなった。……って、あれ?」
霧の主が消えた後、周辺の霧が徐々に晴れ始めた。まるで、霧の主こそがこの辺りの霧の原因だったかのように。
(あの魔獣が、霧でこの辺りのキャップ・マッシュルームを覆い隠していたのか……)
霧の薄くなった森を見渡すと、さっきまで見つからなかったキャップ・マッシュルームの群生地がいくつか目に入ってきた。
「これは……大収穫になりそうだな」
ライセルは一時間ほどかけて、目標を大幅に上回る三十個のキャップ・マッシュルームを採取することができた。霧が晴れた分、採取作業も格段に楽になっていた。
――――――
ギルドに戻ると、セリアが驚いた表情でライセルを迎える。
「ライセルさん、おかえりなさい。依頼の方はどうでしたか?」
「ああ、実は例の霧の主と遭遇しまして。何とか倒すことはできたんですけど」
「霧の主を!?それは……大変でしたね」
ライセルがキャップ・マッシュルームを取り出すと、セリアは更に驚いた。
「三十個も!しかも品質も全て良好ですね」
「霧の主が群生地を隠していたみたいで。倒した後は楽に採取できました」
ライセルは基本報酬の銀貨二十四枚に加えて、霧の主の情報料として銀貨五枚を受け取った。
「今回も本当にお疲れさまでした。おかげで森の安全性も向上しました」
宿に戻る道すがら、ライセルは今日の戦いを振り返っていた。
(森羅の魔導師エルダインか。自然魔法は確かに強力だったけど、消耗もけっこう激しかった。もっと経験を積んで、効率的に戦えるようにならないとな……)
そんな事を考えている間に『蒼き月』に帰り着くと、エレンがいつものように明るく迎えてくれた。
「おかえり!今日は早かったのね」
「予想以上に作業が捗ってさ。それに、少し疲れたから早めに帰ってきた」
「そうなの?それじゃあ、今日は栄養のつくスープを作ってあげる!」
エレンの手料理を楽しみにしながら、ライセルは窓の外を眺めた。
(最近は良い調子だ。明日は、どんな依頼を受けようかな)
新たな一日への期待を胸に、今日もフロンティアでの充実した時間が過ぎていった。
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