第2話 暇な一日
それにしても今日は暇だ。病院や警察が暇なのは良いことなのだろう。暇なので、もうすこしこの地域のことを紹介しておこう。
この地域は多くの家が農業や酪農を営んでいるが、過疎が進んでいる地域ではない。農地の空き地を宅地に開拓しているわけでもない。若い世代が農業をはじめることを希望して移り住んだり、自然の豊かさに魅了された人が使われなくなった農家を借りて定住したりして、地域の人口は適度に維持されているらしい。子どもたちの数もそこそこいるようで、大きくはないが小学校、中学校が一校ずつある。それぞれの学校は、一クラス二〇名程度の少人数制で、一学年三クラスずつあると聞いている。
子どもたちといえば、仲の良い五人組がちょくちょく遊びに来る。
ひとりは、この動物病院を利用してくれている、ラブラドールという大きな犬を飼っている細田佑という小学三年の男の子。動物が好きで将来の夢は獣医らしい。
ふたりめは、佑と同級生の女子。名前は荻原祐子という。祐子の父は私の先輩にあたる。彼は獣医学部ではなかったけれど、大学の野生動物を調査・研究する会に所属していたときの先輩だ。いまは、近くの大学で生物学を教える研究者でもある。卒業後もちょくちょく地域の自然保護活動のイベントに参加していたときに、子どもを連れてきていた先輩を何度か見かけた。そのときの子が祐子。私がこの町に来てから祐子は一人で病院へ遊びに来ることがある。そんな彼女の夢は動物の生態を研究する人だそうだ。父と同じ夢を追いかけるってことだな。
三人めは、藤井幸。彼女も佑や祐子と同じ小学校の三年生だ。都会から小学校入学と同時に引越をしてきたらしい。とにかく勉強ができるんだ、と佑と祐子が言っていた。得意なのは算数らしい。母親が隣町の大学の数学者と聞いた。父は都市設計をしているとか。
四人めは、佑の赤ん坊のときからの知り合いで、同級生の藤井真琴。家はこの地域で野菜農家をしている。勉強はクラスで中くらいだ、と自分で言っていた。ほかの四人に言わせると、とにかく真琴がいると楽しくなるらしい。
五人めは、戸部和夫。みんなと同じく三年生。和夫が幼稚園に入る前にこの地域に越してきたと聞いている。この町にくる前は遠くの町に住んでいたけれど、両親が農業をはじめたいと、この地域に移住してきたらしい。私と話をしているときも、四人と遊んでいるときも、いつもにこにこと笑いながら、周りの人の話をじっくり聞いている感じの子だ。途中で自分の話を挟まないところが、ちょっと大人びた子だな、と感じている。
この五人はいつもいっしょにいる。この動物病院の横には学童保育に使われている小屋があって、家に帰っても一人で留守番をしなければならない子どもたちが、学校帰りにここへ来て、親が帰宅するころまで、宿題をしたり、遊んだりして過ごしている。そこには放課後児童支援員の人が居るほか、地域の家庭の親が順番制で当番を務めているらしい。夏休みやゴールデンウィークなど、休みが続くときなどは、「なにか、子どもたち向けの話をしてもらえないか」と誘ってもらうことがある。そんなときは、積極的に参加するようにしている。といっても、子ども向けの話がうまくできるわけでもないので、マダニの危険性や、動物も熱中症に罹るなど、注意してほしい内容を、簡単に伝えることにしている。
佑、祐子、幸、真琴、和夫の仲良し五人は、両親がいつも留守というわけではないようだけれど、いっしょになにかをしたり、ゲームをしたりするために、学校帰りにここへ来ているようだった。そんなとき、たまに動物病院を除き、私が暇そうにしていると、「先生、なにもすることないの?」とか言って遊びにくるのだ。
いちど、「先生もゲームやってみる」と誘われたことがあった。ゲームといっても、謎解きのようなもので、実際にあった不思議な話を、理論的に解き明かすのだそうだ。
彼らなら、カラス対策のなにかを思いつくかもしれないな、と思った。
時計を見ると、十一時を過ぎるところだった。
それにしても、誰も来ない。早めに午前中の診療を終え、ゆっくりと昼休みをとり、往診にいく予定も入っていなかったので、午後の診療時間まで、先日聞いたカラスの被害を防ぐ方法でも調べてみようか、とカラスについての情報をネットで検索することにした。
カラスの行動範囲はねぐらを中心に半径一〇キロくらいだといわれている。こと地域で考えると、畑作地から逆算して、ちょうど、周辺の山裾に広がる森あたりがねぐらなんだろう。野菜畑が広がり、休耕田に牧草を植えているところが点在しているこの地域は、虫も小鳥も種類が多い。子育て中のカラスにとっては格好の餌場だろうし、まだ若いカラスにとっても餌の探しやすい地域になっているのだろう。
そんなことを検索したり、考えたりしながら、午後の診療時間になったけれど、患者はいっこうに来ない。「こんな日もたまにはいい」と、ため息まじりでつぶやき、しかたがないので、自分が持っている本のなかから、カラスについて書かれた本を引っ張り出してきて、読みなおしてみることにした。
そのなかで、カラスの修正や、観察記録を収めた一冊には、じつにいろいろな観察記録が記されていた。たとえば、カラスはキラキラしたものが好きで集める、といわれることがあるが、これは一概に正しいとはいえないらしい。日本の里山で多く観察されるハシブトカラスは、好奇心は強いけれど、キラキラしたものだけを好んで集める、ということはないようだ。
またカラスはとても記憶力が高く、どういったところにどんな餌があるのか、どこそこの人間は危害を加える、といった自分の生活に関わる出来事はとくに覚えているらしい。また、いつもカラスに危害を与える人や、その人の車、飼い犬などに空から小石を落とすといった、仕返しとも思える行動をとることも観察されていた。警戒心もかなり強くて、目新しいものは避けたがるという。ただ記憶力が高いので、たとえば、案山子やCDをぶら下げたカラス除けグッズに関しては、最初のうちは警戒して近寄らなくなるけれど、「たいしたことはない」とカラスが認識してしまえば、効果はなくなるとも説明されていた。
「なるほど、カラスから野菜を守るのは知恵比べってことですか」
独り言をいったとき、ドアが開く音がした。時間は、午後の診察時間も終わろうとしていた。
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