記録されなかった真実

@Shiraishi_Hitomi

【第1章 空白の報告書】1話

【記録庁人事ファイル/No.00421-KF】

氏名:白石 瞳(しらいし ひとみ)

識別コード:KF-27-F

所属:第二庁記録監査部 第七課(補佐官)

階級等級:記録監査補佐官・B級相当

認証レベル:B+(再構築記録の限定照会可)

記録閲覧権限:記録庁内限定(監査許可要)

記録履歴:違反歴なし/内部功績報告書 記載2件


特記事項:

・高頻度照会記録への過敏反応あり。精査基準との相関について検証中

・過年度、既閉鎖案件への独自照会あり(判断権逸脱に該当せず)

・初期記録暦に不整合期間を含む(封印指定・継続審査中)


更新記録:記録年2035年7月/監査官 黒川 章により更新


___



「章さん。やっぱり、ここの“発言記録の空白”……ちょっと不自然じゃないですか?」


記録庁地下三階、第七課の監査室。

硬質なキーボード音と、電子パネルの光が交錯する静寂の中、白石瞳は不意に声を上げた。


彼女の目は、モニターに表示された一行のログに釘付けになっていた。

画面の中で、ある時間帯だけがぽっかりと空白になっている。まるで何かを“避ける”ように、記録が抉り取られていた。


「気にするほどじゃない」


対面の席でコーヒーを啜るのは、主任監査官・黒川章だった。

髪は乱れ、白衣は襟元がくたびれている。だが灰色の瞳だけは、どこまでも冷静だった。


「たぶん誰かの“感情フィルター”で、記録がちょっとだけ隠されたんだろ。主観なんて、記録にとってはノイズだ」


「でも……」


白石は視線を戻し、指先で記録の時系列をなぞる。

その無音の時間に、違和感を覚えずにはいられなかった。


「これは、“誰かが主観を入力しなかった”というより、“主観が削除された”ように見えるんです」


黒川は小さく息をついた。

「お前、またそうやって——」


「私、気づいちゃったんです」


彼女の目が、鋭くモニターを射抜く。

「“何も書かれていない記録”の中にも、“書かれなかったという意志”があるって」


その瞬間、黒川の手が止まった。

コーヒーを置き、視線を彼女に向ける。そこには、ただの新人補佐官ではなく、一人の“記録者”の目があった。


——この世界において、「記録されなかったこと」を追う者は、異端とされる。



その夜、彼女はある通報記録に目を留める。


都市第三区、北分団住宅街——管理番号N32-βブロック。

深夜、集合住宅の一角から「激しい物音がする」との匿名通報があった。


だが、現場派遣の記録はない。

報告書も、処理記録も、内部通達すら残っていない。


まるで、通報そのものが「存在しなかった」かのように処理されていた。


「そんなはず、ない……」


白石は即座に記録網を再照会する。

周辺の定点監視映像、音声自動ログ、応答記録……


その中に、ひとつだけ“自律保存された映像”があった。


定点カメラNo.087、通報時刻の五分後。

掲示板の片隅に、濡れた紙が貼られる瞬間を捉えた映像。


雨に滲むそれは——「絵」だった。


鉛筆で描かれた、乱れた線。

大きく腕を振りかざす人物と、それから身を守ろうとする小さな影。


白石の心に、ざらりとした何かが走った。


それは、記録ではない。だが、確かに“見たこと”の痕跡だった。


紙の端に、かすれた署名がある。

《kizuki》


——誰かが見た。

——だから、誰かが描いた。


そして、誰も記録しなかった。


この瞬間、白石瞳の中で何かが決まった。



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