『隠匿』下
7
悲鳴だった。
無月は座り込み、青月は青い顔を更に褪めさせていた。
『落日の書架』から戻ってきたアルが駆け寄ると、無月が無言のまま彼の顔を見た。
口は半開きで、何か言いたげだが言葉にならないようだ。
「どうした」
「上、上です」
青月は指差し、そのまま顔を覆う。
アルが見上げる。
――はち切れた腹から二つ折りになった下弦が、ぷかぷかと書架内を漂っていた。かなり時間が経っている見た目だ。
臭いなどが無いのが、救いだろう。破裂した際に飛んだであろう破片も浮かんでいて、放っておけば天窓に貼り付きそうだ。
アルは首にかけていた笛を手に取り、力強く吹く。音はないが、これで緊急だと辺りに伝わる。
「これは、初めて見た。魂が、こんな」
「アルさん、これは一体どういうことなのでしょうか。か、下弦さん……」
青月は口元を押さえ、堪えられず嘔吐している。
「無月。書架の記録の閲覧、出来そうか?」
「……やってみる。待ってて」
無月はアルの手を借りて立ち上がり、下弦を見ないようにして手を叩く。
書架の中が波打って、時が止まったように静かになった。無月とアル、吐いている青月が色付いているが、それ以外はモノクロだ。
色の無い下弦が螺旋階段を歩いて降り立つが、何かに気が付いて二階に戻っていく。無月たちはそれぞれ本の整理や書き物をしていて、下弦には気が付いていない。
少しして、下弦が三階から放り投げられる。それと同時に本が一冊、一階に落ちて来ていた。下弦はそのまま浮かんでいたが、少しずつ腹が膨れて、最後に破裂した。
無月たちはそこで気が付き、先程の図になる。
「無月、二階からの記録は?」
「やってみているんだけど、二階と三階の記録にアクセス出来ない。ノイズがすごくて」
アルは頷き、無月は記録を消した。辺りに色が戻ると、下弦が徐々に下に落下してきていた。青月が悲鳴を上げる。
それと同時に、書架の扉が開いた。アルの笛に反応した白い影たちが、下弦の元へやって来る。
アルが床をなぞると、広いブルーシートが出て来た。影たちがそこに下弦を下ろし始める。無月も青月も酷い顔色だが、それよりも酷いのは下弦の表情だった。
「幸せそうだ」
アルは思わず呟いた。
下弦は夢を見ているような瞳で、虚空を見つめていた。手にはアルコールの瓶と一緒に、小さなメモが握られていた。
「『死は救い。無に帰すことが魂にとって一番の幸福だ。』……綺麗な字だな」
「そんな事より、下弦はどうなったの? これは一体何?」
「死んでいるよ。これは。こんなに酷い魂の残滓を見るのは初めてだけど、もう直ぐ消える。白影、この状態を収めておいてくれ」
「こんなの、こんなのって……」
無月は怒りとも悲しみとも取れる表情で、下弦に触れる。途端に下弦の身体は散り散りになり、光の粒となって空に溶けていった。
アルコールの瓶だけが、ころころと転がって、青月の膝元で止まった。
「そ、そうだ。上弦さん……。今回は浮かんでいたはずだから、もしかしたら何か見ているかも」
「上弦が来ていたの? どこにいる?」
青月と無月は立ち上がり、螺旋階段を登っていく。
アルは『月の書架』の担当に連絡を取りながら、二人の背を目で追った。それも再び、青月の金切り声で中断される。
「どうして! なんで!」
「……これは、どういうこと……」
無月が力無く座り込むのを見て、アルは螺旋階段を急ぎ上がる。
そこには、もう消滅しかけた上弦の身体があった。白い影たちが一斉に処理にやって来る。
上弦は首から上が無かった。服は剥ぎ取られ、打たれたような痕が残っている。人為的に見えるが、上弦も光の粒となって消えてしまった。
「二人共、死んでしまったの?」
「残念ながら、そうだね」
アルは思わず無月と青月を抱きしめた。
震えている二人の体温がどんどん落ちていく。
「アルくん、連絡ありがとう。どうしてここにいるのかはこの際聞かないが……。無月は?」
「はい。無月も青月も各々自室に戻しました。他の書架の魂たちも一度戻しています」
「よろしい。では、準備を始めよう」
白影たちを連れた、軍服姿の男は手を鳴らす。
彼の名はロウといった。『月の書架』担当だ。
アルやロウは現実での修行を終えて、書架やその他の魂たちを導く為の修行に移行していた。
無月たち現実での学びを得ている魂は、彼らの庇護の元、書架で学びを深めている。
「今回の事は誰の仕業だと思う?」
「分かりません。ここの魂たちに悪き部分があれば、それは浄化の方に流されるでしょう」
そうだな、とロウが頷く。
「しかし腹を破裂させるとは、凄いイメージだ。恐ろしいよ。上弦は首がなかっただって?」
「はい。肉体ではなく魂とはいえ、恐ろしい事です。……彼らはどうなりましたか?」
「完全に消滅だ。今までの記録は先程回収したよ。倉庫行きだな」
「消滅……」
「何にせよ、このままでは他の魂たちの学びを阻んでしまうからな」
白影たちが準備を終えて、扉から出て行く。
「全員書架内にいるな?」
「はい、全員おります」
アルがはっきりと答える。ロウは頷き、では、と手を上げる。
「書架内の魂の浄化を行う。火を放て」
『月の書架』内に、炎が浮かぶ。白影たちが蒔いた油に沿って、青い夜が一気に赤に染まる。
「ここであったことは皆忘れる。彼らは無かった事になる。それがまた学びだ」
アルはその絵を見つめながら、自分の取った行動がどう転ぶのか、ここがどうなるのかに思いを馳せていた。
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