「かーちゃん、いぬかいたい」「いや無理」

 穂の月も半頃となって暑さもいよいよ増す。加えて釜戸で焼ける木炭の熱は、容赦なく身体から水分を奪っていく。


 額の汗をぐいと拭い、湯の中で踊るパスタ麺を一本つまみあげる。煙立つ湯気に何度か息を吹きかけて冷まし、口へと放り込む。……うん、ちょうどいい歯ごたえ。


「かーちゃーん」


 腹を空かせたチビすけも帰ってきたようだ。開け放ったままの戸口へ振り返ると、そこにミオがいた。いたのだが、ミオと同じくらいの大きさの赤毛の犬に跨っている。というか、本当にそれ犬? しっぽ、二本ない?


「アンタ、それどうしたの」


「いきとーごーした!」


「……もといたとこに帰してきなさい」


「やだっ! いっしょにすむ!」


「いやそりゃあ無理」


「なんで! かーちゃんのあほー!」


 ミオが大声を張り上げると、本当に意思疎通しているかのように犬はくるりと方向を変えた。走り出さず、のっそのっそという表現がぴったりの様子で二人の背が遠退いていく。


 義足を着けたままでは走りにくいが、あの遅さなら問題ない。火の始末をしてからでも十分追いつける。そう判断してすぐには追わず、鍋を外して炭を火消し壺に放り込む。そうして外に出た時には、姿を見失ってしまっていた。


「……おいおい、勘弁しておくれよ」


 ◆   ◆   ◆   ◆


 できるだけ急ぎ足で町を探す。幸い目立つ組み合わせの目撃情報は多く、見つけ出すまでさほど時間はかからなかった。


 町の子供たちがよく遊んでいる広場だが、今は昼時で、騒がしい声はない。ミオと大きな犬が駆けまわって遊んでいるだけだ。その姿を、ベンチに座って眺めている男がいた。ジレだ。


「懐かしいよな」

 

 ひとつ息を吐いて呼吸を整え、隣に腰を下ろすと、そう声をかけられる。


「? 何の話?」


「あの大型犬だよ。アーフェンハーからの避難船に一緒に乗ってたんだが……その様子じゃ、お前も憶えてないんだな。まぁ、無理もないよな。お前は傷だらけのうえに毒も喰らっちまって、意識なんてなかったから」


「……記憶にないよ。あの子は?」


「なんにも。あの子だって、それどころじゃなかった」


 ジレの視線はまっすぐ、じゃれあう二人に注がれている。きっと、あの時はだいぶ迷惑をかけた。思い返せば、世話になった回数は数えきれない。……いや待てよ。こっちが世話した回数だってかなり多いはずだから、気にすることもないな。


「この一年間、あの犬はこのゼーフェンハーで見かけなかった。どこで何をしていたかは知らないが、多分居場所を見つけられなくて、結局ここに戻ってきたんじゃないか?」


 ほとんど変わらない大きさにも関わらず、ミオが怪我を負わされそうになる雰囲気はない。もしかしたら飼われていた経験もあったのかもしれないが、随分と人懐こい。ミオの動きに合わせた力加減には、賢さすら感じられる。


「……それで、何を言いたいのさ」


「あの犬も俺たちと一緒で、居場所を失くした仲間なんだ。そうは思わないか?」


 仲間、か。そう言われてしまえば、見捨てることなんてできやしない。それをわかって言葉選びをしているんだから、横目でちらりと見てくるその見透かしたような顔が、やっぱり憎々しい。


「……手助けはしてもらうからね」


「任せとけって。大きめの犬小屋が必要だからな。いいやつを作ってやるよ」


「そのほかもだよ」

 

 笑顔で頷くジレを尻目に、ベンチから立ち上がると両手を腰に当てて、腹から声を出す。


「集合!」


 声を聴いたミオは動きを止めると、慌てたように手足をバタつかせ、小走りに寄ってくる。「かーちゃんだ。いつのまに。たいへんだ。かおがこわい」なんて、小声でぶつぶつ言っているのが聞こえてくる。


「……ミオ。本当に、その犬と一緒に住みたいかい?」


「ほんとーに。まちがいなく」


 こくりと頷くミオの顔の前に、右手の指を三本立ててみせる。


「散歩。一緒に遊ぶ。エサ当番。この三つをミオが責任持ってやるんだ。約束できるなら、一緒に住む」


 ぱっと嬉しさを全面に貼り付けた顔をするミオに、もう一度釘を刺す。


「ミオが忘れたら、ご飯も食べられない。かわいそうな目に遭うんだ。だから、責任重大だよ。わかる?」


「そ、そうだった。せきにん、じゅーだいなんだ。でも、やりとげる。まかせて」


 自信満々の眼差しを向けるミオ。数秒待っても、その姿勢は変わらないのだから、任せてもいいだろうと、自分自身に言い聞かせる。ミオの隣で大人しくお座りの格好をしている犬を見ると、なんとでもなるという気さえして、ふと笑っていた。


「よし。じゃあアンタも今日からうちの家族の一員だ。よろしく頼んだよ」


 顎下に手を差し入れてかいてやると、耳を下げ、気持ちよさそうに目を細めた。まぁ、愛嬌ある顔はしている。迎え入れるなら、名前も考えてやらないと。


「帰ろうぜ。昼飯を食いにいく途中だったんで、腹が減っちまったよ」


 後ろから立ち上がったジレに声をかけられる。ミオからも「はらへった」と声が上がった。


「はいはい。この一悶着で茹でたパスタ麺をそのままにしてきたんだ。きっと今頃は膨れてエラい量になってるだろうから、遠慮せず食べておくれ」


 三人と一匹の帰り道。ぐへぇ、と呻く声が二人分聞こえた。

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片足元女傭兵の港めし料理帖~だからアタシは、アンタの母ちゃんじゃない!~ ムロ☆キング @muro-king

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