STAGE.23 Inno A Satana――悪の回

 帰りが遅くなってしまった。


 キャットストリート裏手の神社放火事件のあと、上石神井に帰ってきたナナコとスズカ。予定よりも遅い帰りとなってしまい、これから自炊は面倒だなとスーパーで適当な惣菜を買って帰宅していた。


 放火犯/ΞmernΦzuarcηエマノズァークりょうによる雑な蹴り上げを喰らい鼻血を出していたナナコは鼻栓をしたまま夕食を取っている。


「ねえ、スズカ。放火。静かになると思う?」


 その問いかけにスズカは人差し指を顎に添えてしばし首を捻ってから、雑然と散らばったピースを探してはひとつずつ嵌めていくようにしながらゆっくりと言葉を紡いでいく。


「……どうかな。海野うんのと凌……この二人はあくまで実行犯っていうだけだと思う。手足になる人間もまだいるだろうし、首謀者……みたいなのが絶対にいるはず」


「だよね……。あーしの顔、割れちゃったからなあ……」


 食事中にお行儀が悪いと分かっているが、ナナコはテーブルに肘をついてがっくしと項垂れた。そして長く大きなため息。


Beta 5改²ベータ 5カイ・カイ、わたし持ち歩くよ。ナナコになんかあってもすぐに渡せるように」


「え? あんな重たいの、持たせるの悪いよ!」


 スズカからの思わぬ提案に顔を上げる。

 ナナコは咄嗟に重量についての懸念として返答したが、少し考えれば問題はそこではない。Beta 5改²は見た目こそ一応は楽器/五弦ベースの体裁を保ってはいるものの、ハロウィーンの日の一件で分かったとおり非常識な破壊力を有している。スズカからの提案は平時から殺傷能力のある武器を携帯すると言っているのと同義であった。あーし、バンドマンなんだけど……自衛のためとはいえそれどうなのよ。と、シラフのスズカからの尋常ならざる提言に目を丸くしているナナコ。


「いいの! ナナコにもしものことがあったら寝覚めが悪いもん。携帯する!」


 スズカは頑として譲らない。


「いや、携帯するって感じじゃ……。うーん……スズカがそんなに言うなら止めないけど……」


 どこかの特撮ヒーローみたく相方が持ち歩くアイテムがメダルとかならまだしも、通常の楽器ですら時に面倒だろうに、7Kgはありそうなあの重量物をスズカが持ち歩けるのか心配だった。しかし、スズカが一度決めたらやりきると分かっているので最後はナナコも観念した。


「それなら決まりね!」


 決めなきゃならないことは決めたからと酒をキメ始めるスズカ。500mlのロング缶チューハイを半分呷ると唐揚げを一つ挟んで一気に飲み干す。


「くわー! おいしー! 渋谷ってさー、なーんか飲み歩きにくくてねー」


 先ほどまでの不穏な話は何処へやら。速攻で目を細くしてへらへら顔に。夜間のみとは言え、渋谷は路上飲酒禁止の条例があるので一応は気にしているらしい。


 放火の一件で胸をざわつかせていたナナコだったが、平常運転に移行した同居人/スズカの様子に幾重にもがちがちに固結びされた心の糸がほどけて、柔らかな表情に戻った。


 ※


 一方、翌日の渋谷。再び夜。


 ここは渋谷VVARXヴィーヴァルクス


 ナナコが放火犯を見失ったスペイン坂のあたりにあって、つまりΞmernΦzuarcηエマノズァークの凌が逃げ込んだそこは、劇場を改装してライブハウスとなった施設である。しかし、今ではモア・ブラックメタル界隈が牛耳っており、モア・ブラックメタルバンドとそれらを盲信するファンくらいしかライブハウスであると認識していない。


 五百名収容規模のライブハウスが何故そのようにしてモア・ブラックメタル界隈に占領され、一般の音楽ファンの記憶から忘却の彼方へ流されることとなったのか。

 モア・ブラックメタルを提唱する首謀者および周辺の中心的人物たちによって、あるシノギで得た莫大な資金を元手として買い取られ、好き放題されているからである。買収後は公式的なアナウンスもなく、ネット上でのライブスケジュール更新も止まったまま。

 かつて出演していたロックバンドたちも連絡のつかないライブハウスに対してとっくに廃業しているものと思い込み、次第に記憶の隅に追いやられ、やがて忘れ去った。


 渋谷VVARXの地下フロアのさらに下。違法に増築されたコンクリートが剥き出しの地下室。入り口も仕掛け扉となっており、存在を知らない者はそう気が付けるものではない。モア・ブラックメタルの関係者でもごく一部の限られた者しか出入りができないその部屋を連中は地獄の部屋ヘルヴェテと呼んだ。


 暗い暗い地獄の部屋ヘルヴェテの中、階段を下った正面に玉座のようにして仰々しくわるそうな装飾が施された大きな椅子がひとつ。そこに鈍く黒光りする長髪の男が座しているが背面に立てられた二本の蝋燭が逆光となり顔は見えない。革パンツを履いていて、上半身は裸のようにも見える。光源は他に数本の蝋燭が立つのみで、この部屋は陰鬱そのものである。


 玉座の向かって右側、つまり魔王気取りで腰掛けている男の左側には金髪の、これまた長髪ストレートの男。180cmは超えるであろう長身で身は程好く引き締まっている。髪を掻き分けて斜に構えた態度。

 さらに反対側には200cm近い背丈で筋骨隆々の男。頭髪はウェーブの黒の長髪。こちらは腕を組んでどっしりと仁王立ち。威圧感が半端でない。

 この左右の二人はいずれも革ジャン、革パンツに身を包んでおり全体的に黒っぽい格好をしている。


 玉座の正面に対面する一人の男。後ろ手に手枷を嵌められて危座。罪人の如き扱いのこの男はΞmernΦzuarcηの凌である。旧渋谷遊歩道――キャットストリート裏手の神社放火の際に西武新宿のパンク娘に見つかっただけでなく、すんでのところでこの渋谷VVARXがバレるかもしれない失態を犯し、そのことを叱責されているのである。


に……この場所が割れていたらどうしていたつもりだ……?」


 玉座の男の凍てつくほどに冷たい声。凌はその底知れぬ畏怖の空気を放つ男に戦慄いている。


「ど。どした……。いえ、あ。あ、あの……。どどどどど」


 震えてまともに返答することも叶わない。


「『どどど』じゃあ分からねえんだよ!」


 凌の左頬に筋骨男の革靴の硬い爪先が飛んでくる。がちんと鳴ったかと思えば凌の口から奥歯がひとつ、血飛沫と一緒に飛んでいく。


 金髪の男は、見ちゃいられないねえ、と左手を腰に右手を額に当ててやれやれと首を左右に振る。


みかど……それ以上はいい。最後に必要となる手駒を減らす必要はない……」


 その言葉に筋骨男/帝は二発目のために振り上げていた拳を下ろす。


 玉座の男は淡々と、冷たい響きをともなった声で言葉を紡ぐ。


「我々の存在意義は……神殺しである。渋谷の一社に火を放ったことについては定められたとおりに加点する……それが我々の秩序だ……」


「ア、アマ。ア、アマノ……ぶへえ!」


 再び帝の爪先が凌の顔面に突き刺さる。


が抜けている」


 玉座の男が声を発することなく右手で制すると帝が一歩退く。


「うぶぅ……っ! く……っ! ふ、ふ。ふー! うぅー! Mguatøekamιマグァトゥカミがァ! あ、アマノァ! あり、ありがたきィー!!」


「凌はしばらく此処に置く……。草薙ナナコに見つかるのも面倒だが警察に嗅ぎ付けられてもこちらの動きに支障をきたす……」


 此処――ヘルヴェテに置く、というのは平たく言えば人目のつかないこの地下室に監禁しておくということだ。冷酷無情な宣告に他ならない。瞬時にそれを理解した凌は項垂れ、噛み合わせの悪くなった奥歯をがたがたと震わせた。


「その草薙ナナコの始末はいつ実行に移すんだ?」


 金髪男が、目の前でうぅと唸っているぼろ雑巾となった凌を、壊れた玩具には興味はもうないと気にも止めずに玉座の男/アマノに問いかける。


すめらぎ……略取だ」


「殺すのではなく、か……」


「ああ……。草薙ナナコには死より重い苦しみを与える必要がある……俺の手で。奴の略取についてもこの瞬間より加点の対象とし序列に反映させる……。組織アウターサークルに周知しておけ」


 金髪男/皇は帝の方を見やって肩をすくめる。


「では、アマノよ。私は一両日中には草薙ナナコを捕らえに行くが問題はないな?」


 皇がアマノと呼ばれた玉座の男に視線だけを向け、左の口角だけ吊り上げる不適な笑み。


「……ああ。……構わない」


 アマノがそう答えると皇は振り返ることなくヘルヴェテの外へ歩み出るのだった。

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