外の世界
なぜか今日は、檻が気になって仕方なかった。いつもは気に留めることなんてないのに、ミルク配りの仕事中、何度も何度も目をやってしまった。大通りのペールピンクのレンガ造りの家の先には、緑の草原と、その手前に檻。僕の目はそれに釘付けだった。
早くあそこに行きたい。そんな謎の焦燥感に駆られて。
街のリーダーに頼まれているにも関わらず仕事に精が出なかった。気になって気になって仕方がないから、仕事をさっさと終わらせて檻へと向かった。
檻の側まで駆けていくと、そこには外から来たであろう人が立っていた。初めて外からの訪問者を見たけれど、すぐにそうだと気が付いたのはその人があまりに異質だったから。ピンクがかったこの街は、大通りの高い建物によって丁度街の半分に陰が落ち、夕焼けのような色合いになる。
その人は、そこにちょんと一人いるだけでとても目立った。
紫がかった黒いフード付きマントに覆われた体。顔に付けた木目が分かる質素な白の仮面は両端がフードを突き抜けていて角みたいに見える。おまけにその角の右側には白いバケツがかけられていて、道化とも魔法使いとも言えないなんとも奇妙な格好をしている。
その人は火を吹いたり、植物を手の平から育てたりと色々な芸をしてみせていたが、街の住人は誰一人として振り向かず、いつも通りの生活を送っている。
僕がその奇妙な人物をじっと見つめているとその人もこちらに気づいたのか、ちょいっと手招きされた。
気になった僕は、小走りでその人の側へと向かう。
「こんにちは、発明家さん」
その人は張りのある、しかし柔らかな声で僕のことをそう呼んだ。
「発明家? 僕はただの一般人だよ」
「君はそう思ってるらしいね。でも、今に分かる。さあ、ショーの続きを見ていってくれ」
その人は性別を断定できるような見た目をしていなかったし、声も判別ができなかった。分かるのは、年が近そうということだけ。
その人は色んなものを披露してくれた。
蝶を出したり、空中に虹を描いてみせたり、霧状の水を浴びせてきたり。僕はそれに度々驚いて、ワクワクして、楽しくてたまらなかった。けれど、このショーに夢中になっているのは僕だけ。
「お客がいないと思ってる?」
その人が話しかけてきた。
「うん」
「はははっ、君がいるじゃないか」
その人はそう言って、僕を一周するように水でドラゴンをつくる。生き生きとしたそれが動くと、まるで本物のドラゴンに思えた。
「今日は収穫があってよかった」
その人はそう言うと、最後に花びらを散らして一礼した。
「ありがとう。また来るよ、発明家さん」
その次の日、同じくらいの時間に檻の側に行くと、外から昨日のあの人が入ってくるところだった。でも
「え……っ!」
驚いた。
だって、檻をすり抜けてやってきたんだから。
「こ、これ、すり抜けられるの⁉︎」
走っていって、その人に聞いた。
「もちろん」
でも、僕の手はしっかりと鋼鉄の檻を掴んでいる。
「出たい?」
「……うん」
初めて思った。こんなこと。いや、昨日から実は思っていたのかもしれない。何故かは分からないけど、心の奥で。
何にしろ、目の前であんな光景を見てしまったら、気になって仕方がないというもの。この檻を出たら、一体そこはどんな感じなんだろう。
僕は、一気に外への好奇心が湧いてきた。
陰の落ちているこの場所から見えるのは、日の当たる草原。黄緑色の草が風にそよそよと揺れている。あそこに立ったら、空の見え方も違うんだろうか。
「ルベル、新しい獲物引っかけたんだな」
僕が草原に夢中になっていると不意に男の人の声がして、顔を向けた。檻の外にいたのは、くるくるの白髪に草原を思わせる緑色の目、ベージュ色のゆったりとした服を着た青年だった。背が高いからか、僕より少し年上に見える。
「リフルー、獲物だなんてよしてよ。まあ、この子達は羊さんかもしれないけどさ。ぼく達は狼じゃないんだから」
「ごもっとも」
そう笑った青年の目が僕の方を向く。
「こんにちは。俺はリフルー。こいつの仲間だ」
「あ、こんにちは。僕はミツナ。えっと、二人は友達?」
「そうだぜ」
二人は檻越しに軽くグータッチをしてみせた。
「そういえば気になってたんだけど、ルベルって男の子なの?」
『ぼく』と言っていたしと、ちらりと見る。顔も年も何も分からないから余計に気になってしまう。
「さあね? 秘密だよ。ぼくはルベル。それだけ分かればいいでしょ?」
ルベルは、つるつるとした木製の仮面から唯一出た口でにやりと笑ってみせる。
「それで、どうやったらここから出られるの?」
「簡単だよ。『ここには檻なんてない』。そう思えばするりだ」
ルベルは言うと、ひょいと檻の向こう側へ行ってしまった。
それを見て、僕も挑戦してみることにする。
『ここには檻なんてない』。『ここには檻なんてない』。
そう思って進む。けど、目の前にはやっぱり檻が見える訳で。
ごつん、とおでこがぶつかってしまった。
「あちゃあ。思い込みってひどいものだね」
「そんなもんだろ。なあミツナ、これが映し出された映像だってんなら、お前はこっちに来れるか?」
リフルーが水でも触るかのように、檻の前後で手を行き来させる。すごい……と見惚れそうになった。でもそれに勇気をもらう。
「そのままそうしててくれたら、出来そう」
あれは水だ。水。
待っているルベルとリフルーを見て、僕は思い切って足を踏み込んでみた。
少し冷たいような感覚がして、思わずつむった目を開けると、檻の外だった。
「出来たじゃん」
「え、誰?」
話しかけられた人のことを見て思わず口から出た。その人の横にいるリフルーのことは分かる。でも、同じように白い髪で目は妖艶な感じの赤紫の人は……。
「ぼくだよ、ルベル! 失礼だなぁ」
「あ、ごめん。フードしてないし、仮面も無くなってたから……」
でもやっぱり年は近そうだ。
「中じゃ面白味の為と、人にバレない為に付けてたんだ。でも外でそんなことしてちゃもったいないでしょ?」
「バレたらまずいの?」
僕の質問に、歩き出したリフルーが答える。
「外に
「どこまでも自分の意思で行けるしね。まあそういう訳で、檻の中に入る時はこういう仮面を付けるんだ。存在は薄くなるけど、外への興味がある人のことはぐんと惹きつけてくれる」
「魔法みたいだね」
「魔法だよ」
ルベルがいたずらっぽく笑った。
「魔法ってどうやって使うの?」
「ただイメージするんだ。ほら、街で見せたでしょ? 水のドラゴンとか」
それを聞いて思い出した。あれは本当に綺麗だった。それでいてとても力強くて、わくわくした。
「ねえ、僕も練習したら使えるようになる?」
「なるぜ」
「じゃあ練習するよ!」
「楽しみだ」
ルベルはにこっと笑う。
「ほらミツナ、話してる内に街の陰から出たぞ。あの丘まで行けば景色がよく見える」
リフルーが手招きして駆け出したので、僕も置いていかれないように走る。
そして丘の向こうに見えたのは……。
「――すごい。……っすごい! なんて綺麗なんだ!」
初めて見た、大きな青の泉に、鮮やかな緑の大草原。そして真上にはどこまでも広がる青い空。
草原には、ぽつぽつと街が点在していて所々檻に囲まれた窮屈そうな街が見える。
「僕、ああいうとこに暮らしてたんだ……」
「出てよかったか?」
「うん!」
だって、あそこにいたままじゃ僕はこの広い世界を知らなかった。今、僕の上に檻はなく、どこまでも広がる世界の中心にいるみたいな気分だ。大きく息を吸うと、とても清々しい気分になった。
「綺麗でしょ?」
「とっても!」
ルベルの声に元気よく返事をすると、二人が嬉しそうに微笑む。
「俺達の街、あれなんだ」
「白くて川沿いにあるやつだよ」
リフルーの指した方には、檻のない広い街があった。所々カラフルな何かがちらちらと見える。
「来るか?」
「いいの?」
「当たり前だ」
「じゃあ行く!」
目の前のわくわくに、僕はすぐに駆け出した。
でも数歩行って、ふと思うことがあってやめた。
「ねえ二人とも、他の人達も、檻から出してあげることはできないの?」
それを聞いた二人は顔を見合わせて、ルベルが口を開いた。
「こうして地道にやる方法ならあるけど、他は無理だよ」
「どうして?」
「だって本当は檻はないんだ。彼らはあると思ってるけど、本当はないんだよ。ただの幻覚だ。誰かの思念で出来てるんだよ。人の頭に入って壊してあげることはできないし、そもそもないものを全員の前で壊して見せるなんて、出来ない。みんな自分の信じたものを疑わないんだ。まずこっちに見向きもしない。出すのは難しい」
それを聞いて、少し寂しくなった。僕はこの景色を見て、こんなに幸せな気持ちになったのに、みんなはそれを知らないまま一生を終えるのかな。そもそも……。
「なんで僕達の街には檻があったの?」
「さあな。遠い昔、誰かが何かから守ろうと作った檻を、壊したはいいものの安心感を失いたくなくて思い込んだのがきっかけなんじゃないのか?」
「じゃあ檻を壊さなきゃよかったのに」
「だよな。それでも新たに本物の檻を作らなかったのは、やっちまって引っ込みがつかなくなったのか、それとも幻で出来た檻を本物だと思い込んじまったのか」
「それか、幻の檻を壊したくなかったのかもしれない。案外幻の方が使い勝手が良かったとかね」
ルベルが、いつもの白バケツの持ち手に指を掛けてくるんくるんと回している。
「使い勝手?」
「ほら、少し前に言ったでしょ? ぼく達が彼らを檻から出そうとすると邪魔してくる集団がいるって。彼らはあの狭い檻の中で王様をやりたいんだよ。いたでしょ? 君の街にもリーダーが」
「うん」
確かにそうだった。それも一人じゃなくて何人か。朝礼の時の挨拶で知っている。それに仕事は彼らが全て割り振っているし、困ったことがあったら彼らに相談しに行くようにという決まりがあった。
そしてミルク配りの仕事をほっぽり出してきたことを今更思い出し、怒られないかと一瞬不安になる。でも街は出てきたんだし、その心配もないか。
「思い込みっていうのは案外、人に助けてもらわないと外れないってことも多い。だから簡単に壊せる実物の檻じゃなくて、思考によって生み出される檻を選んだんじゃないかってことだよ」
「その説が濃厚だな」
リフルーが納得といった風に頷く。
「じゃあ、あの人達は僕を騙してたってこと?」
そう思ったら何だか腹が立ってきた。僕達は何も知らないまま、狭い世界に閉じ込められてたってことになる。
「そうかもな。俺もかつてはお前と同じだった。ルベルに出してもらったけどな」
「そうなの?」
「そうそう」
ルベルがピースして、リフルーと声が重なる。
彼が檻の中出身だったなんて全然分からなかった。
そう思っていると気が付いたのかリフルーが
「でも今は魔法も使える、と」
そう言ってぽんっ、と紫の優雅な感じの花を出した。どうするのかと見ていると、さりげなくルベルの頭に付ける。それをルベルはいつものことなのか、さらっと受け入れて
「まあ何にしろ? 檻がある限りぼく達は自由に中を歩けないし、彼らも簡単には外に出られないって訳だ」
やれやれと仕草をしてみせた。
「それに、みんながみんな出してほしいって訳じゃねえ。俺はルベルに出してもらって心底よかったと思うけど、攻撃してくる例の集団がいい例だ」
二人の様子を見ていて、僕もそう思う。出たくない人のことは無理に出そうとは思わない。でも。
「でも僕、外に出たいって人のことは出してあげたいな」
「それは俺も」
「ぼくも同じ」
にこっと笑った二人に、もしかしてと思った僕は聞いてみる。
「ねえ、今度檻の街に行く時は僕も連れていってくれない? 僕もやりたいんだ」
それに二人は顔を見合わせて
「もちろん」
そう言ってくれた。
二人の住んでいる街へ着くと、遠目からは静かに見えたそこは案外賑わっていた。僕のいた街と同じくらいの人の数なのに、どこか僕の街よりも賑やかで、みんな楽しそうだ。甘い花のいい匂いや、布の匂いがする。
「壁にたくさん布が掛かってるね」
壁が白いから、色とりどりな布がより一層映えている。ストライプ柄に単色、厳粛な感じの動物の柄付き、水玉模様……本当に色々な種類の布がそこらの壁に掛かっている。時には屋根になっていたり、お店に日陰を作っていたり。僕の街では目にしなかったものだ。
「この街の特徴なんだよ」
「素敵だね」
そう言った後も、僕は見るもの見るものにずっとわくわくしていた。
楽しくてきょろきょろと布から布へ、店先の売り物から人へと目を移していたらあるものに目が留まった。壁に掛けられていた、夏空みたいに明るい青い布。
「ねえねえ、街へ行く時は仮面を付けるんでしょ? 僕それ、ああいう色の布にしたいな。それに紐やら小石やらをたくさんくっ付けて、じゃらじゃらさせたい」
「いいじゃん、ミツナに合いそう」
「それなら早く家に行こうぜ。材料はたくさんあるんだ。教えてやるから一緒に作ろう」
リフルーが目を輝かせて提案する。多分出会ってから今が一番テンションが高い。物作りが好きみたいだ。
「本当? 僕仮面作るの初めてだよ。上手く出来るかな?」
「型取りは難しいからちょっと俺がやるけど、他は割と出来ると思うぜ。何でも言えよ」
「うん!」
二人で一緒にはしゃいでいたら、ルベルがすごく嬉しそうにこっちを見ていた。
「ルベル、なあに?」
「いや、街にいた時より断然楽しそうだと思ってね」
「楽しいよ。だって二人もいるし、新しいことだらけでわくわくするんだ!」
「不安はない?」
「うーん……分かんない。でも、それより今は楽しいだらけ」
目に映る全てが目新しくて、わくわくが途切れることがない。もしかしたら少しして不安が出てくるかもしれないけど、友達がいるしきっと大丈夫。
「よかった。それを聞いてぼくも嬉しいよ」
ルベルは安心したように微笑んだ。
「おーい、ルベルにミツナー、早く来いよ。仮面作ろうぜー」
先を行くリフルーが、待ちきれなさそうにこっちを呼んでいる。
「はいはい行くよー」
返事をして歩き出すルベルに僕は続いた。
「そういえば、初めて会った時に僕『発明家さん』って言われたけど、もしかしてリフルーは『技術者さん』なの?」
「よく分かったね、その通り。彼の繊細な技術はすごいよ。この仮面もつるつるでしょ」
ルベルは自分の仮面をマントの内側にあるポケットから出す。見た目からもそうであることは分かっていたけど、実際に触ってみると驚く程つるつるだった。
「本当に木なの?」
「そうだよ」
「すごい」
「だろっ?」
少し戻ってきたリフルーが言うので、僕は笑って頷いた。
「でも、僕まだ発明家の気がしてないけどな」
今のところ仮面の案を出したくらいだ。でもそれにルベルは微笑んで首を振って、リフルーもルベルに頷いた。
「間違いなく君は発明家だよ」
「ああ。お前の案を俺が実現して、ルベルが表現する。俺達最強のタッグが出来上がったからには、きっとすごい何かが出来ると思うんだ」
「すごいこと……」
僕は考えてみた。すごいことって何だろう。思わずわくわくするような、踊りたくなるようなこと……。もし、思念の檻さえも壊す方法……それでなくても扉を付ける方法があるなら?
「ねえ、檻の中の人達に魔法の使い方を教えられたら……どうなると思う?」
「見せるだけじゃなくてか?」
僕は頷く。
「だって魔法を使えるようになったらきっと檻も簡単に出られるし、その人から魔法が広がっていかないかなって」
「早速ナイスアイデア」
声のトーンが上がったルベルが親指を立てる。
「それで、本でも作ってこっそり流せないかなと思って」
「いいな。じゃあ本の内容を決めないと。こう……パッと驚くようなのがいいよな」
「楽しさも必須だね〜」
「うん。魔法の本だったら僕、開けた時すっごく楽しいと思う」
「魔法の本か! んで一体どんな魔法を……」
わいわいとみんなで話し合いながら道を歩く。何だかそれだけでもう楽しくて、笑みがこぼれる。
きっと、色んなことができる。
檻の中の人達を無理に出すつもりはないけれど、少しでもきっかけを作れたら。そしていつかその檻が壊れた姿を見せることが出来たのなら、世界は少し変わるかもしれない。
空の色 いとい・ひだまり @iroito_hidamari
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