あなたの町の規定文具店【読切版】

なお。

お前の勝手な物差しで測るな!

「お前の勝手な物差しで測るな!」


 鋭く大きな声が路上に落ちた。声の主は、細い街頭の上に立つまるで月光をその身に纏ったかのような男だった。

 彼の身を包むのは、金属光沢を帯びたメタリックシルバーのヒーロースーツ。頭部も同色のフルフェイスのマスクで覆われ、その表情は一切読めない。

 そして、腕や脚には黒いラインが規則正しく刻まれ、その配置は数学的な美しさすら漂わせている。

 彼が見下ろす先では、小太りの男がナイフを振り回し、道ゆく人々を威嚇していた。刃を握る手は汗に濡れ、荒い息は今にも暴発しそうだ。


「なんだ、お前は! 邪魔すんな! もうどうでも良いんじゃ!」


 そう言って男はやけくそにナイフをブンブン振り回す。周囲からは悲鳴があがり、波紋のように広がる。

 銀色の男は音もなく街灯から飛翔し、小太りの男の真正面へと降り立つ。


「何があったかは知らんが、お前の勝手な物差しで人々を傷つけてはいけない。さぁ、ナイフをこちらに渡しなさい」


「知ったふうな口をきくな! こうなりゃ、お前からやってやるわー!」


「シルバー・ルーラー!!!」


 子供たちの大きな声が響き渡ると同時に、シルバー・ルーラーと呼ばれた男にナイフが突き立てられる。

 ナイフが突き立てられた瞬間、あたりの空気を震わせる金属音が鳴り響いた。刃はスーツに突き立つどころか、逆に砕け散り、柄だけが男の手に残った。

 足元には根元から折れた刃がカランと転がる。

 状況が理解できず、小太りの男は手元の柄と目の前の銀色の男を交互に見比べる。視線は迷子のように彷徨い、やがて完全に戦意を失った。


「さぁ、ナイフをこちらに渡してください。ね?」


「あぁ…」


 小太りの男は逆らう気力すらなく、柄を差し出した。尻もちをついた彼の元へ、ちょうどパトカーのサイレンが響く。そして、警察官たちが駆けつけ、シルバー・ルーラーに敬礼した。


「御協力ありがとうございます。本日も大手柄ですね!」


「いえ、偶然近くにいただけです。被害が出なくて良かった。では、あとをお願いします」


 シルバー・ルーラーは小太りの男を警察官たちに引き渡す。男は一切の抵抗をすることなく連行されていった。


「シルバー・ルーラー! 今日もありがとー!」


 周囲からあがる拍手と歓声に、シルバー・ルーラーは片手を挙げて応える。そして、オフィスビルの間を颯爽と駆け抜け、風のように消えていった。


 ◇


 ここは、山深い地域にあるとある田舎町。自然の厳しさとは裏腹に、交通の要所となり、大学や企業が集まるため、道路も鉄道も整備され、人の往来は意外なほど絶え間ない。

 そんな町の中にひっそりと店を構える文房具店がある。名を「規定のりさだ文具店」という。代々受け継がれているこの町の名物文具店だ。

 店内はそれほど広くない。コンビニ二つ分くらいの広さだろうか。白い壁と天井に、黒い什器が規律正しく並び、陳列された商品はどれも寸分の乱れもない。天井から吊り下がる大きなPOPが整然と商品分類を示している。

 店内のレジカウンターの前で椅子に座る一人の男。彼の名前は規定正のりさだただし

 歳は20代後半くらいであろうか。お世辞にも美青年とは言えないが、清潔さと丁寧な身なりが彼の印象を補っていた。

 スーツはきちんと体に合い、ネクタイは一本の線のように真っ直ぐ。シャツには皺一つなく、革靴は鏡のように光沢し顔を近づければ映るほど。おまけに、椅子に座る背筋は矢のようにピンと伸びている。


ただしさん、こんにちはー」


彩葉いろはさん、いらっしゃいませ」


 陽だまりのような声とともに、スーツ姿の若い女性が店に入る。彼女の名前は筆屋彩葉ふでやいろは、歳は20代前半くらいか。茶髪のショートヘアが軽やかに揺れ、細身の体に知的な雰囲気を纏っている。

 彩葉と呼ばれた女性は正の元へと向かって歩いてくる。彼女が一歩進むたびにパンプスの音がコツコツと店内に響き渡る。


「今日はどうされましたか? もしかして、新商品が出たんですか?」


「ぶっぶー、違いますー。近くに来たから寄っただけでーす」


 クスッと笑う彩葉に、正は「残念」と大きく肩を落とす。彼女はこの町にオフィスを構える大手文具メーカーの社員で、良くこの店に顔を出している。


「でも、近々新商品が出るのは間違いないですよ」


 その言葉に正の顔はパッと明るくなる。そして、身を乗り出して「定規ですか?」と聞こうとしたが、彼女に「違います!」と先に言葉を遮られた。


「定規はそんなにぽんぽん新商品出ません。ですよ」


「鋏かぁー」


「そんなに残念がらないで下さいよ。これは凄く良い性能なんですから。サンプルが出来次第お持ちしますね」


「お願いします。楽しみに待ってます」


「じゃあ、わたしは仕事に戻ります。失礼しまーす!」


「お気をつけてー」


 嵐のように現れまた嵐のように去っていく彩葉。彼女の明るさは、正の心をいつも不思議と軽くする。


「さて、僕も仕事をしよう。このPOPの歪みがどうしても許せないんだよな。じいちゃんだから仕方ないのかなぁ。ここを、こうだよ…」


 祖父への愚痴を言いながらも、真剣で丁寧な手つきでPOPを真っ直ぐに直す正だった。


 ◇


 とある日の昼下がり。静まり返った店内の事務所で、正はテーブルに向かいひとり昼食を摂っていた。

 基本的に一人で店を切り盛りしているので、昼食はレジ横にある事務所で食べる。いつ来客があっても対応出来るようにするためだ。

 この日、彼は自分でお弁当を作ってきたのだが…。

 長方形のお弁当箱の蓋を開けると、中は見事なほど整っている。白米とおかずが正確に半々へ仕切られ、卵焼きは厚みも長さも寸分違わず揃えられ、他の惣菜たちまでもが一直線の秩序を保っている。

 几帳面を通り越して“精密”と呼びたくなるお弁当。先代店主の祖父が時折店に顔を出すたび、この異様な整い具合に呆れ果てるのも無理はない。

 正は箸を動かしながら、壁に掛けられた小さなテレビのニュースにちらりと視線を向けていた。

 画面にはスーツ姿のアナウンサー。七三分けの髪が硬く光り、穏やかな声で動物園の話題や長寿者のインタビューを伝えていく。


(…、アナウンサーのネクタイがちょっと曲がってる…、許せんな)


 正はお弁当を頬張りながらそんな事を考えていたが、次の瞬間、彼の手に持つ箸がピタリとその動きを止める。


「こうしてはいられない」


 正はお弁当箱の蓋を閉じると、お箸と一緒にテーブルと完全に平行になるように真っ直ぐ起く。そして、椅子から立ち上がると急いで外へ向かって駆け出す。

 店内の照明を全て落とし入口を施錠する。ドアに掛けられた看板をくるりと回し、“準備中”へと裏返す――その動きすら美しいくらい真っ直ぐだ。

 そして、正は再びどこかへと走り出した。


 事務所では消し忘れたテレビに「速報」の文字とともに破壊される街と暴れるモノたちが映し出されていた。


 ◇


 全身を黒いタイツに包んだ戦闘員――DS(ダークステーショナリーズ)の雑兵たちが、町を蹂躙していた。破壊されるビルと逃げ惑う人々、辺りに響き渡る悲鳴。


「徹底的におやりなさい。我々は電子ツールには支配されない。アナログな文房具世界を、誇りを、我らの手で取り戻すのよ!」


 道路の真ん中に仁王立ちする女性。高らかに声をあげたのは、黒のタイトドレスに身を包む一人の女性幹部だ。

 胸元が大胆に開いたそのドレスは、破壊の渦中でなお艶めき、ハイヒールの踵が舗道を鋭く叩くたび、彼女の存在感を周囲へ強烈に刻みつける。

 半面マスクに覆われた顔は表情を隠しているが、その声は甘さと毒気を併せ持ち、戦闘員たちの破壊行為を愉悦のうちに眺めているのがよく分かった。

 戦闘員たちは止まることなくIT関連企業が入るオフィスビル群を縦横無尽に駆け回る。

 ビルの窓ガラスは砕け散り、コンクリートの破片が雨のように落ちる。オフィス街を逃げ惑う人々の悲鳴が、重苦しい空気に引きずられていく。


「警察はまだか?」

「警察では荷が勝ちすぎている。自衛隊は?」

「どちらにせよ、そんなにすぐには到着しないわよ!」


「誰でも良い…。なんとかしてくれ!」


 人々はそう願い、空を見上げた。


 キラリ。


「いま、何か光らなかったか?」


「そうか?」


「わたしも光った気がするわ」


 人々は再び空を見上げて光を探す。騒つく群衆が空をぐるりと見回していると、太陽の光を跳ね返す“銀の閃光”が再び瞬いた。


 次の瞬間――。


「やめろー!!」


 叫びとともに空から一人の男が舞い降りる。銀色の軌跡を引きながら、まるで天から放たれた光の矢のように。


「シルバー・ルーラー!」


 群衆からは歓声が湧き上がる。人々の顔から怯えが消え、みるみるうちに希望が戻っていく。


「出たな、シルバー・ルーラー! 今日こそは邪魔させないよ」


 と、女性幹部が叫んだ瞬間だった。


 ズドン!!


 シルバー・ルーラーの下半身が道路へ見事に突き刺さった。


「え? ちょっと…」


  敵どころか観衆すら呆気にとられる中、シルバー・ルーラーは体をぶんぶんと捻り、両手で地面を押して穴から這い出した。


「高度を上げすぎたかな…。よいしょっと…。DS(ダークステェイショナリーズ)よ、お前たちの勝手な物差しで正義を測るな! これ以上の破壊活…」


「ちょっと待ちなさいよ! なんで、普通に始めようとしてるのよ。さらっと、今のなかったことにする気!?」


「何の話だ? それよりも、破壊活動を今すぐやめるんだ」


「…、え…、本当になかったことにするの? え?」


 女性幹部は、頭を抱え軽く混乱していたがすぐに諦めた。考えた方が負けと判断したようだ。


「もういいわ。お前たち、シルバー・ルーラーを倒すのよ。やってしまいなさい!」


「キィ!」


 戦闘員たちは奇声をあげるとシルバー・ルーラーへ目掛けて駆け出す。その速度は人のものを遥かに凌駕している。

 獣さながら駆ける戦闘員たち。彼らをよく観察すると一様に背中に何かを背負っている。その中で何かがぐるぐると回っているのが見えた。


「あれは…、ゴムか! ゴムを推進力にしてスーツにエネルギーを伝えているんだ。なんと、おそろしい事を」


 シルバー・ルーラーが冷静に分析をしている間に戦闘員たちは彼に肉薄する。

「キィ!」という声とともに高速の右拳を突き出す戦闘員A。ゴムによって強化された拳は、速度はもちろん破壊力も尋常ならざるものへと昇華されている。

 そして、その拳がシルバー・ルーラーの顔面を捉えた。


 ガン!


「キィーーーーー!?」


 何故か殴ったはずの戦闘員Aが地面に転がる。シルバー・ルーラーは涼しい顔でまだ何やらぶつぶつと言っていたが、漸くその状況に気づく。


「あ、大丈夫か? 私のスーツは特別硬いんだ。だから、殴っちゃダメだぞ」


「キィイィイ(先に言ってよ…)」


 それを見た他の戦隊員たちは一斉に腰から何か棒状の物を取り出すと引き延ばした。そう、あれは指し棒だ。

 戦闘員たちは指し棒型の武器を構える。


「あれは痛そうだな。仕方ない」


 シルバー・ルーラーが左腕に右掌をかざすと、そこにメタリックシルバーの長方形の物体がふわりと浮かびあがると重量を帯びた。

 彼はその薄い長方形の物体の端にある柄を握ると真横に空を薙ぐ。


「定規ブレード」

 

 1メートルほどの銀の刃――いや、巨大なを構えるシルバー・ルーラー。


 じりじりと間合いを詰める戦闘員たち。

 痺れを切らした戦闘員Cがシルバー・ルーラーに襲いかかる。指し棒を大きく振りかぶり脳天目掛けて一気に振り下ろす。


「ふん!」


 シルバー・ルーラーはそう言うと、指し棒を定規ブレードの平面で受け止める。そして、攻撃を弾かれ体勢の崩れた戦闘員Cの鳩尾に強烈な前蹴りをみまう。「キィイィ」と言いながら戦闘員Cはその場に蹲った。


「良い子のみんなはマネしたらダメだぞ。危ないし、定規も指し棒も大切に使おう」


 シルバー・ルーラーは勢いそのままに定規ブレードを巧みに操り戦闘員たちを次々と打ち倒していく。

 一人、また一人と宙を舞い、地面に崩れ落ち、黒いタイツの山ができ上がった。


「まだやるか?」


 シルバー・ルーラーの言葉に戦闘員Bは首を激しく横に振り、仲間たちを回収していく。


「ちょっと、あんたたち何やってんのよ! 戦いなさい!」


 女性幹部の言葉虚しく撤退していく戦闘員たち。女性幹部の顔には怒りが滲む。

 シルバー・ルーラーはそんな彼女の前に立ち、指を真っ直ぐ女性幹部へと突きつけた。


「ダークマーカー、あとはお前だけだぞ。さぁ、どうする?」


 路面を渡る風までが一瞬止まったような静寂の中、シルバー・ルーラーが鋭い眼差しで告げる。

 ダークマーカーは、艶やかな黒のコートの裾を翻しながら、余裕の笑みを浮かべた。


「わたしが直接、と言って上げたいところだけど、それはまた今度ね。今日は、新しい怪人が誕生したからこの子が相手をするわ」


「新しい怪人だと?」


「そうよ。今回のは本当に。出てきなさい、怪人YOkUキレール!」


 女性幹部改めダークマーカーはそう言うと、どこからか取り出した鋏を前方に放り投げる。それは空を切りながら回転し、黒い輝きを帯びた瞬間——まるで空間そのものが膨張したように光が弾けた。


「あれが、良く切れ〜る?」


 シルバー・ルーラーが目を細める中、鋏は巨大化し、光の殻を破って怪人の姿へと変貌する。

 丸い頭部から突き出す鈍色の二本角、顎下には藍色の巨大な持ち手、そして妖しく輝く赤い双眸。


「キレール!」


 YOkUキレールは、両手でVサインを作ってポーズを決める。ダークマーカーは怪人の後方で両手を腰に当てて、既に勝ち誇った笑みを浮かべている。


「さぁ、いきなさい! YOkUキレール!」


 ダークマーカーの命令とともにYOkUキレールは動き出す。怪人が左右の腕についている持ち手に指を通し、一気に引き抜くと、巨大な鋏が“シャキン”と嫌な音を立てて現れる。


「鋏の怪人か。鋏の新作? あれ? どこかで聞いたような…」


 シルバー・ルーラーが顎に手を当てて考え込んでいる間にYOkUキレールが鋏をチョキチョキさせながらシルバー・ルーラーへと肉薄する。

 眼前に迫る危険な音に漸くシルバー・ルーラーも動き出す。

 シルバー・ルーラーは、間一髪で横へと飛び退き鋏の斬撃を躱す。YOkUキレールは勢いそのままにシルバー・ルーラーの後ろにあった道路標識を鋏で挟んだ。


 シャキーン!


「シャキン?」


 ズルッ、ガシャーン!


 標識の鉄柱が綺麗すぎる切断面で真っ二つになる。


「凄まじい切れ味だな…」


「どう? 驚いた? あの鋏の刃はハイブリッドアーチ刃なのよ」


「ハイブリッドアーチ刃だと?」


「そうよ」


「刃先のカーブで力が伝わりやすく、紙類、紐類などが軽い力で切れる。そして、テープはくつっかずスパッと切れ、梱包の開封も刃を滑らせやすい為にスムーズに切れるという——あのハイブリッドアーチ刃のことか!」


「そのハイブリッドアーチ刃よ! てか、なんでそんなに詳しいのよ?」


「おそろしい怪人だ。あれに挟まれれば、いかな私のスーツでもひとたまりもないな。良い子のみんなは鋏を人に向けたらダメだぞ。危ないからね。絶対ダメだぞ!」


「詳しい件はスルーなのね…。しかも、さっきから良い子のみんなって誰よ! まぁ、いいわ。YOkUキレールよ、その調子でどんどん切りまくりなさい!」


「キレール!」


 シルバー・ルーラーはYOkUキレールを迎撃するために定規ブレードを構える。

 怪人の鋏は左右からチョキチョキとリズミカルに襲いかかる。

 シルバー・ルーラーは定規ブレードでなんとか受け流すが、攻撃が途切れず反撃の糸口が見出せない。


「このままでは反撃できない。何とかしなければ…、ん?」


 視界の端に道路脇のが映り、彼の表情が変わる。

 彼は大きく定規ブレードを振って怪人を吹き飛ばすと、その物体へと走った。 


「キレール!」


 体勢を立て直したYOkUキレールが再び突撃する。

 そこへシルバー・ルーラーが投げつけた何かが怪人の目前に飛来——反射的に両手の鋏が高速でそれを切り刻む。


 チョキチョキチョキチョキ、シャキーン!


「切ったな?」


 怪人の足元にボトボトと落ちる物体。それは大量の湿布だった。


「鋏はベタベタが付着すると切れ味が落ちる。いかにハイブリッドアーチ刃と言えどこれだけ大量に切ればベタベタになるだろう?」


「ホーーーーーーーッホッホッホッ!」


「何が可笑しい?」


 高らかに笑うダークマーカーに怒りをみせるシルバー・ルーラー。ダークマーカーとYOkUキレールに焦りは一切見られない。


「よぉーくごらんなさい。ほら?」


 ダークマーカーはそう言うと近くに落ちていた瓦礫をYOkUキレールへ放り投げた。


 シャキーン!


 瓦礫は怪人の前で綺麗に真っ二つになって地面に落ちた。鋏の切れ味に一分の曇りも見られない。


「バカな! あれだけのベタベタを物ともしないとは!」


「ふふふ、どう? 驚いた? あの刃は3D構造刃で、さらにフッ素コートが施されているのよ!」


「なんだと! 3D構造刃にフッ素コートだと!」


 シルバー・ルーラーはがっくりと腰から砕け落ちるとそのまま地面に額をつけた。


「刃同士が点で接するため、ベタベタしにくく、刃の裏にノリなどが付着しづらい3D構造刃に、さらに非粘着性に優れたフッ素コートを施すなんて…。なんて素晴らしい鋏なんだ!」


「そうなのよ、凄いでしょ。てか、何でそんなに詳しいのよ!」


「しかも、良く見るとその持ち手の内径まで計算されているな? 近くで見てみないことには正確にはわからないが、おそらく40ミリ以上50ミリ未満に設定されている。そのため、指穴にゆとりがあり指が痛くなりづらい。40ミリ以下は、一点に力がかかりつづけるので指が痛くなりやすく、55ミリを超えると指が滑りやすいと言う」


「だから、なんでそんなに詳しいの!」


 項垂れるシルバー・ルーラーに迫る怪人YOkUキレール。両手の鋏がチョキチョキと快音を響かせる。

 地面に額をつけたままシルバー・ルーラーが叫ぶ。


「ダークマーカー!」


「何よ?」


「この鋏、売れるぞ! これは、高性能に加えて両利き用だろう?」


「何故、お前がそれを知っているの?」


「形を見ればわかるさ。この鋏は使う人の事をとてもよく考えて作られた鋏だ。私にはその愛情がとてもよく伝わったよ。完敗だ…」


「シルバー・ルーラー…」


 チョキチョキと音を立てながら鋏がシルバー・ルーラーの頭部へと迫る。怪人の目が妖しく光を放ち、その鋏を振り上げた時だった。


「YOkUキレール、おやめなさい」


「キレール?」


 鋏を振り上げた格好のまま静止する怪人。ダークマーカーは踵を返すと「帰るわよ」と言い歩き出す。

 YOkUキレールはシルバー・ルーラーとダークマーカーを交互に見比べていたが鋏を腕に戻し慌ててダークマーカーの後を追って走り出す。


「ダークマーカー…、お前…」


「貴方の文房具愛がわたしを動かしたのよ。今回は見逃してあげるわ」


 ダークマーカーがそう言った瞬間、大きな「キレール!」という叫び声がオフィス街にこだました。


「YOkUキレール!」


 シルバー・ルーラーとダークマーカーの目には、宙に飛ぶYOkUキレールの姿と彼の下に撒き散らされている大量の湿布たちが映る。

 そして、怪人はそのまま真っ逆さまに頭から地面へと突き刺さった。

 ピクリとも動かないYOkUキレール。赤い目がすうっと灯りを失う。


「YOkUキレール? 嘘でしょ?」


 膝から崩れ落ちるダークマーカーとシリアスな顔でYOkUキレールの横に立つシルバー・ルーラー。


「お前は今までで一番の強敵ともだった」


「何言ってるのよ! あんた負けてたじゃないの!」


 怪人は鋏の姿へ戻り、ダークマーカーはそれを拾い上げると「次こそ必ず……!」と肩を落として帰っていった。


 街に警察と自衛隊が到着したのは、その直後だった——。


 ダークマーカーがDSのアジトに戻った頃、漸く街には警察車両や自衛隊の装甲車が続々と到着した。

 サイレンの余韻が漂う中、瓦礫の山と化したオフィス街を見上げ、警官も自衛官も一様に絶句する。

 瓦礫の山の前には、白銀のスーツを纏った男——シルバー・ルーラーが静かに立っていた。

 陽光を反射して輝くその姿は、まるで混乱の中に差し込んだ一筋の“定規のような”光明だった。

 両組織の指揮官らしき二人が駆け寄り、直立の姿勢で敬礼する。


「シルバー・ルーラー殿。DSを退けて頂き、誠に感謝致します」


「街はこんな状態ですが、幸いなことに人的被害は皆無でした。全て貴殿のおかげです」


「いえいえ、被害が抑えられてよかったです。あとはお任せしても?」


「もちろんです。我々が責任を持って後処理にあたります。本当にありがとうございました! シルバー・ルーラー殿に敬礼!」


 指揮官の号令と同時に、周囲にいた全ての警察官と自衛官が、一斉にシルバー・ルーラーへ敬礼を送った——瓦礫と化したオフィスビルに差し込む日差しが、その敬礼の列を神々しく照らす。

 シルバー・ルーラーはそれに敬礼で応えると、彼らに背を向けてオフィス街を駆け出した。ビルの間を駆け抜ける彼に周囲から感謝の言葉が降り注ぐ。


「シルバー・ルーラー、ありがとう!」


「助けてくれて……ありがとう!」


 シルバー・ルーラーは片手を挙げてそれに応えながら走った。そして、急加速すると白銀の残像を残して彼らの視界からその姿を消した。


 ◇


「シルバー・ルーラー。あいつ、一体何者なのかしら?」


 スーツ姿の女性はそう呟きながら道路を歩いている。茶色の髪が風でふわりと揺れる。

 シルバー・ルーラーとDSの戦いの数日後、彩葉は軽やかな足取りで、ある場所へ向かっていた。目の前に現れたお店のドアを開けると、中へと入る。


「正さん、こんにちはー。例の持ってきましたよー!」


「いらっしゃい、彩葉さん。早く見せてください!」


「そんなに慌てなくても鋏は逃げませんよ? さぁ、見てください!」


 彩葉が差し出した鋏は、深い藍と鈍色の美しいコントラストを描き、持ち手のカーブには開発チームのこだわりが宿っていた。


「わぁ、これが…。ハイブリッド刃で…、3D構造でフッ素コートまでしてありますね。内径のサイズも50ミリくらいですか? しかも、両利き用じゃないですか!」


「そうなのよ! 驚いた? 凄いでしょ?」


 彩葉は見ただけで鋏の特性をすべて見抜く正に、思わず嬉しそうに頷いた。


「彩葉さん、これ売れますよ!」


「やっぱりそう思う?」


「えぇ。で、この鋏の商品名は何ですか?」


「この鋏の名前はYOkUよ」


「え?」


 その瞬間、正の思考が静かにフリーズした。


 まるでCPUに想定外のデータが流れ込んだかのように、目が一点を見つめたまま固まる。


 彩葉は首を傾げる。


「どうかしたんですか? 正さん?」


 返事はない。

 ただ、微妙に震えるまぶたと、遠い目。


 彼の脳内では、おそらく先日のオフィス街での出来事とこの鋏の商品名が、激しく衝突していたのだろう。


 ——そう、これは。


 町を守る一人の男と、悪の軍団DSの戦いの記録である。

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