第11話 2日目の午前中
小豆色のホンダフリードクロスターの助手席に、村尾カンナが座っている。
昨日よりもちゃんと化粧をしていて、度の入っていない太めのセルメガネを掛けている。
本来ならメガネとはもう少し上の位置で掛けるものなのだが、あのタイプのメガネはちゃんと掛けるとレンズにまつ毛が当たるのだ。
百貨店で眼鏡売り場にいた経験がある俺からすれば、このタイプのメガネをまつ毛が長い客に売る店員が悪い。
「なんか静かだね……」
狸橋バイパスは朝の渋滞が消えかける時間なのか、車は多いのにスムーズに進む。
「そりゃ、心の声が口から出てこないからな」
俺の心の声が漏れる呪いは【転移】を使用した直後の12時間である。
昨日の夕方にこちらに戻ってきたから14時間ほど経っているから、いつもの無口気味の俺に戻っている。
「ふふふッ、アンタが静かだとなんか狂うわ」
カンナは液晶パネルを操作して自身のスマホと連結させて、よく分からない洋楽を流し始めた。
「ウチのバンドリーダーの宿題ソング。休みのうちに聴いておいてほしい曲がちょくちょく送られてくるのよ」
彼女がベースをつとめるバンドは今、活動休止中らしい。
聞いてほしい悩みがあるかもしれないが、ここで聞いてもうまい答えを返す自身は無いから何も聞かない。
「実際さ、私は生まれて初めてウラオモテの無い人と喋ったんだよね」
俺は「へぇ〜」としか返せないが、芸能の世界は俺たちが暮らす一般の社会よりも嘘や裏切りに満ちているのかもしれない。
「それが新鮮だったから今日も付き合っているし、異世界で進展があったら経過も聞きたいからね」
まぁ、社会に揉まれた彼女が俺の【異世界行き来】でリフレッシュしてくれるなら、それはそれで良いのかもしれない。
地元のホームセンター【イエマサ】は鉢巻を巻いて金槌を振り上げたイエマサくんがトレードマークのホームセンターである。
平日の朝9時のまばらな駐車場に車を停めて店内に入る。
カンナが「お疲れさま」と言いながら助手席の外に出た。
勢いはあるが静かなドアの閉め方をする……。
車のドアの閉め方に人間の内面が現れると思っている俺からすると……
あぁ、この女はいい女だわ……。
駐車場から店内へ、高い天井の店内をキョロキョロ見回すカンナに必要事項を話しかける。
「まずは、身を守る品だな。熊避けスプレーと虫除けスプレーは必須。あとはターボライターとランタンとか懐中電灯と……カッパも要る」
「トイレットペーパーは?」
「家にあった備蓄分が収納に入ってるんだよね。でも買っておくか」
念の為、念の為と山盛りのカートをレジに通すと、見たことのない金額になった。
カードでの支払いだが、来月振り込まれ予定の失業手当より多いかもしれない。
この女、俺が金額にあたふたしてるのを楽しんでやがる。
「ねぇ、まだ時間あるんでしょ?隣のリサイクルショップも行きましょ」
と車に乗り込んだ。
一旦バイパスに出て、すぐに隣の【とっておき倉庫】に入る。
「あっちで使える武器を買ってあげる」
カンナに先導されて2階の奥に向かった。
R18の暖簾が掛かったエリアの隣の楽器コーナーである。
「音楽と絵は言葉の壁を越えるからね。ギターやってたんでしょ、だからアコギ探そうよ」
壁に掛かったギターを取り出し試し弾きをするカンナは、音を聞いたあとネックの反りやねじれを確認して何やら頷いている。
弾いては棚に返しを12本ほど繰り返したあと
「コレとコレ」と2本を店員に渡した。
「おいッ、それ異世界で俺が弾くギターだよな」
ギターを弾いていたのは大学時代だから、7〜8年前だ。あの頃みたいに弾ける自信は無いし、今の俺には楽器に余計な出費掛けるだけの心の余裕も無い。
「大丈夫。楽器は経費で落ちるから。それよりあの2本のうち、1本はアコベだからね。私があっちに行った時弾くヤツをアンタに預けておくの。絶対に生活を安定させなさい。コレはプレゼントでもあり先行投資でもあるのよ」
店員の求めにサインとチェキを求められて笑っている村尾カンナを見ると、金払いの良い彼女は本当にロックアーティストなんだなぁと確認させられた。
ケース、ストラップ、チューナーまで持たされた俺は、車のハッチバックから積んだあと【収納】を掛ける。一瞬で山盛りの荷物が綺麗さっぱり消えてしまった。
「車も収納しちゃえば、毎月の駐車場代払わなくていいんじゃない?」
消え方を見ていたカンナがそう言うが
「ワープ後もそうだけど、収納から出したものは出てほしい場所よりちょい上に出てくる。なんか、ちょい上から落とされる感じが可哀想なんだよな」
と言うと、カンナはふんっと鼻で笑った。
納車後3ヶ月なんだ、うちのフリードは……。
「今日は色々ありがとう」と言う俺に
「進展があったら教えなさいよ」とカンナが静かにドアを閉める。
朝の待ち合わせ場所でもあったフラミンゴ餃子の駐車場で別れた。
バックミラーに映る彼女はまだ手を振っている。
「マジでいい女だなぁ」
何気に口から漏れた言葉に改めてハッとする。
感情ダダ漏れの状態の俺は、今後彼女に対して平静でいられるだろうか……?
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