冷蔵庫

クロノヒョウ

冷蔵庫




 最初にそれを見たのはたしか夏、二つ前の季節だった。


 無機質で景色も変わらないただ速いというだけの色気のない道が嫌になった。


 我先に行こうとする大きな鉄の塊が小競り合いをしながら忙しなく右へ左へと車線を変えながら進む様を見ていると気分が悪くなった。


 そうまでして他人を蹴落とし前に立ちたいのか。


 まるで自分を見ているような気がしたのだ。


 真面目に働き成績を上げ人よりもできるということをアピールする。


 小競り合いをするかのようにスピードを上げ先へ急ごうとハンドルを切る。


 そんな自分と重なった通勤時間の光景にうんざりしてルートを変更した。


 三十分、いや二十分でいい。


 少しだけ早く家を出て峠をこえる道を行けばいい。


 時間はお金で買えないというけれど、買えない時間よりも気持ちを変えるほうが大事だと思った。


 静かな山道だった。


 朝早いからなのか他にほとんど車はなかった。


 いつものつまらない景色とは違って心地よかった。


 登り続ける道は徐々に緑一色の世界へとなった。


 空まで伸びようとしている木々が夏の暑い陽射しから守ってくれているようだった。


 どこを見ても同じようで同じではない緑。


 木もれ日が光と影を与えて美しく輝く草木。


 時おりすれ違う車に思わず挨拶したくなるような清々しささえ感じていた。


 その時だった。


 それは突然俺の視界に飛び込んできた。


 緑色の世界にただ立ち尽くしているだけ。


 ほんの数秒目にしただけなのにその姿から寂しさと悲しみを感じた。


 そこに立たされてどれだけの時間が経過しただろう冷蔵庫。


 角張った白い肌は薄汚れ足もとには草が貼りついていた。


 その日から毎日その冷蔵庫と顔を合わせることとなった。


 当たり前だが雨が降ろうがどんなに暑かろうが寒かろうが冷蔵庫はそこにいた。


 いつも寂しそうに悲しそうに。


 きっと以前はあたたかい家庭で過ごしてきたのだろう。


 庭付きの古い一軒家。


 両親と二人の子ども。


 決して裕福ではないが何不自由なく暮らしていた笑顔の絶えない家族。


 夏休みになると兄弟そろって何度も開けしめされた冷蔵庫。


 中に入っている冷たいジュースやプリンを目当てに繰り広げられる戦い。


 それを見て「いい加減にしなさい」と言う母親の優しい笑顔。


 長男が幼稚園の時に書いた家族の絵と夏休みのスケジュールが貼られている姿。


 この冷蔵庫の過去を勝手に想像していた。


 緑の中の白い冷蔵庫はやがて黄色の中の白になり赤い世界の中の白へとなったのちにまた緑の中の白に戻っていた。


 年末、今年最後の出勤日。


 あの冷蔵庫はあの場所でひとり寂しく年を越すのかと思うと切なくなりながら車を走らせていた。


 誰がいつなぜあそこに捨てたのだろうか。


 月日は経ち子どもたちはそれぞれ家を出て新しい家庭を作った。


 しばらくは孫が遊びに来たりと賑やかだったものの、もう何年も家族みんなが集まることはなかった。


 やがて父親が亡くなり母親はひとりになった。


 その間に冷蔵庫は何度買い換えただろうか。


 長男が書いた絵はいつ捨てられたのだろうか。


 もしかするとまだ家のどこかの引き出しに大事にしまってあるのかもしれない。


 ひとりぼっちになった母親が度々それを見て寂しがっているかもしれない。


 そう思うと込み上げるものがあった。


 とにかく今年最後の冷蔵庫にしばらくのお別れだと思っていた。


 だがいつもある場所に冷蔵庫の姿はなかった。


 何度も通ってきた道だ。


 見間違うはずはない。


 カーブを曲がった先に目に飛び込んでくる冷蔵庫は跡形もなく消えていた。


 不思議な気持ちだった。


 今まで見ていたのは幻だったのかとさえ疑った。


 何年も放置されていた冷蔵庫が今になって撤去されたというのか。


 寂しいような安心したかのような複雑な感情が芽生えた。


 それと同時にひとつだけ心が決めていた。


 俺も今年こそは実家に帰ろう。


 もう何年帰っていないだろうか。


 子どもたちが中学生の時、親父の一周忌以来だから七年か。


 夏休みは旅行や行事、正月は妻の実家に顔を出していたから母親のことは弟に任せていた。


 弟から度々母親が元気なことは聞いていた。


 だから安心していたがずっとそういうわけにはいかないだろう。


 墓参りにも行かなきゃだしな。


 俺は冷蔵庫が置いてあった場所で車を停めた。


 帰ったら冷蔵庫でも買い換えてやるか。


 きっとあの母親のことだからまだ古い冷蔵庫を使っているだろう。


 俺の娘が書いた母親の絵はまだ貼ってあるだろうか。


 もしかするとまだどこかの引き出しの中に俺が幼稚園の頃に書いた家族の絵を残しているかもしれない。


 ああ、そうか。


 あの冷蔵庫を見て想像していたことは全部俺の小さい頃の記憶だったのか。


 こんなことを言うと妻に笑われるかもしれないが、あの冷蔵庫は母親が寂しがっていることを俺に伝えにきてくれたのかもしれないな。


 なかなか帰ってあげれなくてごめんな母さん。


 飛行機のチケットを予約し終え走り出した。


 葉のない木々は俺にあたたかい陽射しを与えてくれた。


 緑色の草は「いってらっしゃい」と言っているかのように、風に吹かれてゆらゆらと手を振っていた。



           完





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冷蔵庫 クロノヒョウ @kurono-hyo

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