「虚実皮膜」

 視界の端に見えるのは、キャラクター。

 とあるテーマパークの割引券が手元にあったので、友人と3人で遊びに来た。

 どうやら、ここの作りに合わせた虚像(キャラクター)らしい。

 ゆったりさり気なく、俺たちの近くを歩き回っている。

 別の着ぐるみキャラに遭遇した。

 こちらは自己主張が激しく、大手を振りながらこっちに愛嬌のある仕草を向けてくる。

 さっきのキャラはいつの間にか視界から離れて居なくなっていた。

 キャラクターたちが立ち位置を入れ替えたのか。

 有名な着ぐるみキャラと一緒に写真を取る、という陽の気配が辺りを覆う。

 しかし考えてみれば、あの目立たないキャラは何だったっけ?

 このテーマパーク系列のキャラクターはごまんといるので、知らないヤツがいてもおかしくない。

 大概が動物をモチーフにした二足歩行キャラ。

 大きな顔と手と足がチャームポイントだ。

 周りの作り込まれた人工的な風景から独立して、楽し気な雰囲気を単独で醸し出す。

 なのにまるで目立たないように振舞っていた、あのキャラの挙動は何だ?

 …まぁ、そういう”設定”のキャラクターなのかもしれないが。

(【極秘潜入作戦(スニーキングミッション)】をしている設定?)

 それはそれで、男の子の心をくすぐるキャラなんだが。

 ”夢と魔法”をここのテーマとしているので、そんなモチーフはだいぶ乖離している。

 陽気なキャラとの交流を離れて、また3人での散策を再開する。

 海に浮かぶ海賊船。深海への探索の入り口。山深くへ続く洞窟を通るトロッコ。

 虚構(レプリカ)とはいえ、精巧で遊び心溢れる造りだ。

 本当に”そんな場所に来た”ような幻想を体感できる。

 何とも金の掛かった、贅沢なエンタメだと思う。

 入るのにも遊ぶのにも金がいるわけだ。

 現実の財布の消費具合を頭に思い浮かべていると、またあのキャラが目に映った。

 にぎやかなアトラクションから離れたところで、コソコソと動いている。

 何をしているのか、なんて野暮なことは言わない。

 ここは魔法の国。

 きっと従業員として処理する用件があるのだろう。

 現実は、今は見ない見ない。

 次はこれに乗ろう、と友人にスマホを向けられる。

 興味があるので予約をお願いする。

 ここでの経験者なので、遊び方とかもスムーズでありがたい。

 一度外した視線を戻すと、あのキャラの姿は居なくなっていた。

 …業務、ご苦労様です。

 夢と魔法と、労働への感謝の念をあのキャラに送る。


 アトラクションは海底探索を模したものだった。

 海の中に入っていないのに、窓ガラスの中に水を満たす趣向。

 中々に面白かったが、魔法の種としては分かりやすい。

 ただし水の中という演出の副次効果か、トイレに行きたくなった。

 幸いにも近くにトイレがあったので、友人に断りを入れて用を足しに向かう。

 男子トイレに入ろうとすると、

 ヌッ、と先ほどのキャラクターが横を通り過ぎた。

「うおっ!」

 一回り大きい体がよぎったので、驚いてしまった。

(なんだよ…。着ぐるみのままで、トイレかよ…)

 平静を装うように心の中で状況を理解しようとする。

(待てよ…)

 用を足してる最中に違和感を覚える。

(ここって夢を繕うために、裏方での行動は徹底して隠されてる、って聞いたような)

 着ぐるみは表舞台では絶対に脱がない。

 客に見せるのは”観劇”だと言い張っている。

 それが創業者の”信念(スタンス)”のはず。

(よっぽどの緊急事態だったのだろう…)

 手を洗いながら、しょうがないよなと自分を納得させる。

 トイレから出ると、さっきの着ぐるみが別の建物の物陰に入ろうとしていた。

 休憩や交代も兼ねて舞台の裏側へ戻るところなのか。

 興味が湧き友人にも伝えようかと思ったが、その姿がそのまま去ってしまいそうだったので、1人で後ろを静かに追ってみる。

 姿が消えた場所には表側から直接中を見られないようにされた、入り組んだ通路のようなものがあった。

 ひょっとして、夢と魔法の裏側を覗くことができるのではないか。

 後ろめたい好奇心と不安の両方を抱きつつ、その中を進んでみることにした。


 その通路は表とは打って変わって薄暗い照明になっている。

 通路の奥からの光を外に漏らさないようにしているのか。

 こんな分かりづらい道ならば、簡単にはバレないというもの。

 裏側を見せないという信念の上で、ここまで徹底しているなら大したものだ。

 壁に手を当てながら少しずつ進んでいく。

 ピシャリッ、と足元から水の音がした。

 何かしらの水っぽいモノを踏んだようだ。

 従業員が行き来する場所なのに滑ったりしたら危ないだろうに、と思うが、そもそもここで働いていない俺が言うのもお門違いか、と思い直す。

 今、客として来ているからこそ、この通路の先の情景を見たいというスリルが味わえるというもの。

 誰か従業員とすれ違わないか、少しヒヤヒヤしている。

 そうしている内に、鼻に甘い臭いが漂ってきた。

 休憩場所でお菓子でも間食しているのか。

 それにしたって、嗅いでいて気持ちのいい香りではない。

 もっとこう、甘い原料の塊を火で炙ったような、空気にまとわりつく厭らしい臭い。

 …これは、一体何の臭いなのだろう…。

 通路の奥から光が見えてきた。

 ようやく従業員専用のエリアを拝める…。

 視界や足元の悪さ、甘ったるい臭いとで、既知の外から来る暗い興味が滲み出る。

 いざっ! と通路の端から、奥の曲がり角を覗き込んでみた。


 そこにはたくさんの蝋燭が壁に灯った、小さな洞窟のような空洞があった。

 古めかしく見える石造りの机と椅子が、壁に向かうようにいくつも置かれている。

 とても幻想的、というより非現実的な風景が目の前に飛び込んできて、圧巻と驚愕によって思考がグニャリとしてしまう。

 その壁沿いに並べられた石机の1つに、あのキャラクターが腰掛けていた。

 しかも、着ぐるみの頭を外して、床に転がしながら。

 偽装を外した頭はいかにも生き物としての生気を帯びている。

 だが”生き物”ではあるが、とても”人間”には見えなかった。

 まるで着ぐるみをそのまま一回り小さくし、人間大の大きさにしたような、奇妙な頭の輪郭。

 頭の上の方にある短い毛に覆われた耳を時々ピクリと動かしながら、机に向かって何かをしている。

 相変わらず甘い臭いが俺の鼻の回りにまとわりつく。

 そんな異臭と違和感が精神を歪ませ、心臓をいつも以上に速く叩かせている。

 ”ソイツ”はまだ着ぐるみの腕を着けている太い指を使って、丁寧に木片のようなものを、パキ…パキ…ッ、と割っている。

 縦長に割られた木片を壁の蝋燭に近付けると、熱で木目から粘液質の樹液らしきものが表面に浮かび上がり、火でそれを直接炙ると、ジュワッっと煙を上げて蒸発する。

 さらに強烈な甘い臭いがこの空洞に充満した。

 煤っぽくもネットリした、信じられないほどの甘い臭い。

 鼻を急いで塞いで、深く吸い込まないようにする。

 けれど目の前の”ソイツ”は、この煙たい空気を望んでいたのか――――、


 …カラ、カララ、カラカラカラッ!!! 


 と、缶に錆びた金属片を入れて振るったような、声にもならない奇妙な音色で喉を鳴らし、頭をブルブル震わせている。

 作り物の手足は伸ばしたまま痙攣し、ビクリッビクリッ、と全身が跳ねる。

 あまりにも気持ちが悪い光景と脳を溶かすような臭いが合わさり、思わず吐いてしまいそうな咳を発してしまう。

 ”ソイツ”が俺の咳き込みに気付いたのか、震えていた身体をピタリと止めた。

 しまった、っと思った時には遅かった。

 壁側に向けられていた顔が、ゆっくりとこっちに向く。

 まるで床に落ちている着ぐるみのように、動物と人間を混ぜたような顔。

 けれど決して美点が合わさったものではない、動物の畜生性と人間の卑しさという負の面を掛け合わせた、独特の醜悪さがあった。

 その表情は快楽を邪魔された怪訝の色を浮かべていたが、


 ――――ニガリッ!!


 歓喜の色に変わる。

 おおよそ、人間では再現することのできない、下卑た笑み。

 カラカラ…、カラカラ…、と先ほどの狂喜の声を慎ましげに上げながら立ち上がり、着ぐるみの頭を拾い上げて、被る。

 まるでそれが役目であると理解しているのか。

 客のいる表舞台で行なうパフォーマンスじみた動きで、手を振ってくる。

 ゆったりと、緩慢に。

 不気味さと恐怖が思考を縛っていたが、危険を感じた身体が行動を許可する。

 ボディタッチを求めるように腕を広げて、一歩踏み出してきたからだ。

 喉が渇き切って声も出ない。

 ただひたすら、身体を転進して通ってきた通路を逆走する。

 咽(むせ)るような甘い臭いは薄れていった。

 だが臭いから逃れる一方で、

 ピシャリピシャリ!

 自身の足元から起こる水音とは違う、後方から鳴ってくる歩行音。

 そして、


 カララカラカラ、カラカラカララカラ………。


 金属音のような”ソイツ”の喜びの声。

 観客(ゲスト)を迎える、演者(キャスト)の喝采の叫び。

 水音と歓声音が少しずつ近付いてくる。

 入り組んだ壁面が進路を阻む。

 入るのも面倒くさかったが、戻る時はなおのこと煩わしい。

 一度足を踏み入れた観客を外に帰らせない、という強い意思があるかのように…。

 来た道を冷や汗でグッショリになりながら、一心不乱に駆け戻る。

 今度こそ、本当に外に繋がる明かりが見えてきた。

 夢と魔法の世界の裏側見たさに、覚悟も無くフラフラとした結果が、コレなのか。

 とんだ”うなされるような悪夢(バグ)”と”欺瞞を隠す魔法(ペテン)”だ!

 建物の出口から勢いよく飛び出し、やっと外気に身体を預ける。

「ハァハァ…、ッハァァァァァ…!」

 あの甘い煙を肺の底から吐き出して、新鮮な無味の空気を吸う。

 振り返って、悪夢への入り口を見る。

 人工建造物の隙間に、ひっそりと人目に付かない暗がり。

 そこには人の世とは思えない異界が居を構えていた。

 おぞましいあの光景が頭をよぎってしまう。

 早く陽の当たる場所に身を置きたかった。

 友人たちと別れたところまで、急いで戻ろう。

 俺はその場所から目を離し、舞台の表側へと駆けていった。


 2人が一緒になって飲み物を飲んでいた。

「あぁ、おったおった。どこ行っとったん?」

 汗をかいて走ってくる俺を見つけて、売店の方を指差す。

「はぐれたかと思もうて、電話するか考えてたとこや。ウチらジュース買うたんやけど、キミも何か買うてくれば?」

 そう言われて、俺も売店の飲み物を買いに行く。

 店頭で迷わず冷たいストレートティーを頼んだ。

 他にも炭酸や果物系のジュースもあったが、今はとにかく鼻から喉に残った甘ったるい停滞を洗い流したかったので、甘味の無いものしか飲みたくなかった。

 売店を後にして紅茶を勢いよく飲み込み、不快感を少しだけ取り除く。

 さっきまで遭った出来事を話してしまおうか。

 そうすればあの不気味な光景も頭の中から薄れるかもしれない。

 しかし、この場所を楽しんでいるところに水を差すのも気が引ける。

 どうしたものかと悩んでいるうちに、友人と合流してしまった。

 ヤツラが迷子だのなんだの、俺を面白がって笑っている。

 愉快なその空気を壊すのは、もったいなく思えた。

 とりあえず、このテーマパークを出るまでは言葉を飲み込んでおく。

 ここにいる間だけは、夢と魔法を消さないでおこう。

 

 ――――だが”夢(バグ)”と”魔法(ペテン)”は、まだ俺の近くに、居た。


 進行方向のずっと先に”ソイツ”が居た。

 別の客の周りを歩き、派手に動き回るでもなく緩慢な動作で、パフォーマンスのようなものをしている。

 まるで人間の仕草を真似ているように。

「…おい。お前あのキャラクター、知ってるか…?」

 前方を指差して、”ソイツ”の正体を聞いてみる。

「はて? …いや、知らんねぇ。ここの胴元のキャラクターなんて、数が多くて全部覚えてるわけないやろ。まぁ、レアキャラやったら、それが分かる人には結構たまらんのかもしれんけどなぁ」

 やがて客が離れていくと、また建物の影辺りにのっそりと帰っていく。

「”アレ”がどしたん?」

「…いや。何でもない…」

 何も言うことが見つからなかった。

 言ってどうにかなるか分からなかった。

 嫌な想像をしてしまう。

 あのキャラクターは、さっきのように客に何かの振る舞いをする度に、阿片窟のようなあの裏の暗がりに籠もっているのだろうか。

 客の笑い声を心の糧食にし、全身を覆う甘ったるい煙を嬉々として吸いながら。

 さらに、そんなどうしようもなく気味の悪い存在が”ここに居ることを赦(ゆる)している”この状況に、心底恐怖を感じた。

 そう思うと、そこかしこに居る従業員たちは、本当に”ビジネス”としてその快活な立ち振舞いをしているのか…。

 逆に”ビジネス”で無いなら、何だというのだ…。

 急に彼ら彼女らの笑顔が、”嘘くさい”モノから”狂気じみた”モノに見えてしまう。

 まるで異世界に来たような、象徴的に造られた建築物。

 物語の中に埋没してしまいそうな、巧みなアトラクション。

 肌感覚で非日常感を感じられる、臨場感のある環境音。

 その全てが、”非営利目的”で運営されているとしたら…。


 ――――あの暗がりでの甘い臭いが脳内で再生される。

 ――――無機質なのに生き物じみた狂喜の声が頭の中で聞こえる。

 ――――懸命に、人間のように振舞う”アイツ”が、歩いてくる。


 一体ここは…、俺たち客が浮かべている喜びや楽しみという”幸せ”の感情を、

 ――――”何に”捧げてるんだ!!


 急な吐き気を覚えてトイレに駆け込む。

 さっき飲んだ紅茶すらも嫌悪に対象に感じて、吐いた。

 肩で息をしながら思考をフラットにしていく。

(…落ち着け。これは悪い夢…、じゃなくて虚構だ! 俺が勝手に考えた妄想だ!)

 洗面台でうがいをして顔を洗う。

 意識を現実に振り戻してトイレを出る。

 友人2人が近くのベンチに座っていた。

「どしたよ? 気分悪うなったん?」

 顔色の悪い俺を見て、彼らも心配してるようだ。

「…すまない。今日はこの辺で帰らないか?」

 2人が顔を見合わす。

「3時か。うん。いい潮時なんじゃない」

「今から結構電車込むみたいやな。乗れる線路も1つしかないし」

 気遣ってくれたらしく、早々に帰ることに同意してくれる。

 それから何かに追われているというわけでもないのに、速足で出口に向かう。

 結局ここでの思い出は、あのキャラクターじみた何かに塗り潰されてしまった。

 悔しさと諦めを抱えながら帰宅用ゲートをくぐる。

 帰りに駅前のショッピングモールでの食事を提案されたが、一刻もこの地域から離れてしまいたかった。

 そのまま夜の花火などのイベントには目もくれず、3人で電車に乗って各々の帰宅の徒に着いた。

 

 それからしばらく経って、あのテーマパークに前から話題となっていた新規エリアが解禁されたそうだ。

 世間が注目しているようであり、あの日一緒だった友人にも誘われたが、俺はもうあそこに行く気は起きない。

 あの時、あの場所で見た恐怖の体験は今も脳裏にこびり付いている。

 エリアを拡大したからといって、元のエリアが一新されたわけではない。

 むしろ、”アイツ”の出没箇所が拡大したんじゃないか。

 それどころか、”アイツ”は単なるあそこに住まう、大きな狂気の一端でしかなかったとしたら。

 もしも新規のエリアが、”あのような生物をもっとたくさん受け入れるための土台”として造られていたとしたら。

 過去から今までの間、どれだけの”アイツら”が、テーマパークのエリア内を跋扈していたのだろう…。


 来園者は金の他に、一体、何を支払わされているのだろうか?

 従業員は金の他に、一体、何を受け取っているのだろうか?

 経営者は金の他に、一体、何を目的にしているのだろうか?


 ”アレ”が外界に漏れ出た時、一体、何が起こってしまうんだろうか……?


 頭の中で、あの笑い声が反響する。


 ――――カラッ

 ――――カラカラッ


カラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラッ――――…………

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