栫井町でやってはいけないこと
ジガー
日が暮れる前に、森の中から出てください
(雑音。画面にジャケットを着た男の顔が映る)
「……これ、撮れてる? 大丈夫かな……」
(男が咳をする。背景は暗い)
「じゃ、始めよう。こんばんは、でいいのか? 夜中の十二時だからいいか」
(画面が動き、鬱蒼とした森を映す)
「俺は今、堅城山の麓の……森の前に来てる。うちに、栫井町に住んでる奴ならわかるよな? 昼間ならハイキングも楽しめるとこだ」
(草を踏む音。カメラがゆっくりと森に近づいていく。森の前に、看板が立っているのがわかる)
「で、だ。長く住んでる奴はもちろん、引っ越してきたばっかの奴も、この町の禁止事項については教えられてると思う」
(揺れていた画面が、看板の前で止まる)
(看板には、『日が暮れる前に、森の中から出てください』と書かれている)
「……これが、その中の一つだ。当然だよな? 暗い森の中なんて最悪だ。当然キャンプも禁止されてるから、夜中までいる理由なんかないだろ?」
(画面に入る男の顔。笑った後、大仰に溜息をつく)
「にも関わらず、肝試しとかでわざわざ夜にやってくる馬鹿が後を絶たないときてる。迷惑な話だ。俺には理解できん」
「だから、なんでこんなルールがあるのか、馬鹿でもわかるようにしっかり紹介することになっちまったから、俺はここに来てる。観たかった番組も我慢して、こんな真夜中にだ」
(男がしかめっ面をする)
「これを観た諸君らが、二度と軽率な真似をしないことを祈っている。……はあ。さっさと終わらせよう」
(画面から男の顔が消える。木と木の間を通り、森の中に入ってゆく)
(前方を、ライトの白い光が照らしている。葉や枝の擦れる音)
「暇だから、昔話をする。戦国時代……もっと昔から、この堅城山には神様が住んでると言われていた」
(画面が揺れる。飛んできた羽虫を、空いている手が追い払う)
「その神様ってやつは、決まった姿を持ってないんだ。時には動物、時には人間の姿をして現れる。で、近くの住人はその神様にあげるために、この森や山に入る時は、握り飯を持って行ったんだと……っと」
(画面が急に下を向く。木の根元に、粘液がこびりついているのがわかる)
(粘液は赤黒く、脂が浮いている。ライトの光を浴びて、てらてらと光っている)
「……だが、なんで神様に食いもんやらなきゃいけないのか、やらないとどうなるかってとこまでは伝わってないんだ」
「ああ、心配するな。すぐにわかるから」
(横から、微かに枝が揺れる音。男が咳こみ、カメラがそちらを向く)
(およそ二十メートル先。並ぶ木と木の間、その奥に人影がある)
(「おぉーい。おぉーい」と、低いの声で呼んでいる。両腕を頭上で大きく振っている)
「出たな。……よし、もし何らかの事情で、夜にこの森に入らなきゃいけなくなったかわいそうな奴のために、生き延びる方法を紹介してやろう」
(「かずよしはさぁ、びびりだからさぁ。うけるよなー」と、人影はやはり腕を振っている)
「その一。知らない奴に呼ばれても、絶対に近付くな。何があっても、助けを呼ばれてもだ。まあ、これはちょっと寿命を延ばす程度のもんだが」
「その二。何か食いもんを持っていたら残らず置いて、背中を向けずにその場から離れろ。チョコの一欠けら、ガムの一枚に至るまで、全部だ。命よりは安いだろ?」
「その三。弁当の残りすらなかったら? その時は……好きな神に祈れ」
(画面が動く。男の手に、紙巻きタバコが握られている)
「吸わない奴も、最低一本は持ってた方がいい。吸う奴は、最後の一服をしてもいいが、逆に怒らせるかも知れないから我慢してとっとけ」
(カメラが再び前方に向けられる)
(腕を振る人影が、何時の間にか近付いている。白いTシャツと灰色のボクサーパンツを着た、茶髪の青年であることがわかる)
(シャツは一部が赤く汚れていて、パンツの股間部分は濡れて黒くなっている)
(ぽっかりと開いた口から、「いたいよー、いたいよー、おかあさん、おかあさん」と声が漏れている)
「あー、こんな風にいろいろ言ってくるけど、真に受けんな。壊れたラジオみたいなもんだ。中身はもう別の……」
(手を振っていた青年が、突然走り出す)
(男の叫び声)
(画面いっぱいに映る、青年の顔)
(洞窟のように暗い口の中で、ライトを反射して光る目)
(カメラが落下する。何度か転がり、腐葉土に覆われた地面と近くの木を映す)
(甲高い悲鳴)
(カメラに近付いてくる足音)
「くそ、危なかった。あの皮は、あんま気に入らなかったようだな。ヤニの臭いでもついてんのかもしれん」
(拾い上げられるカメラ。画面には、地面の上でもがく青年の姿)
(首は不自然なまでに揺れ、両手両足の間接は逆の方向に曲がっている)
「煙草を直接食わせてやったんだ。普通の人間でも危ないが、こいつらは殺虫剤浴びた虫みてえだな」
(画面に映る男の顔。頬には引っ掻き傷がついている)
(カメラを持っていない方の手には、金槌が握られている)
「別に、トンカチじゃなくてもいい。包丁でも、釘とかでも……だが、できるだけ鉄の純度が高いやつにしろ。セラミックの包丁? 家でおとなしくキュウリでも切っててくれ」
(再び地面に置かれるカメラ)
「こっから何すんのかは、だいたいわかるだろ。見てて気分のいいもんじゃないから、ちょっとここでお留守番だ」
(遠ざかってゆく足音)
(打撃音)
(悲鳴)
(固い物が砕けるような音)
(悲鳴)
(柔らかいものが潰れるような音)
(打撃音)
(打撃音)
(打撃音)
(足音が近付いてくる。カメラが拾い上げられ、画面に男の顔が映る)
「……どうだった? なかなか良い動画だったろ? なんでルール守らなきゃいけないのかわかったし、万が一の対処法も知れた。ああ、しかも行方不明者も見つけたしな。こっちはどうせ秘密にされるだろうけどよ」
「おっと、忘れてた。今回のやつは、まだ若くて小さいやつだからこんな簡単だったんだ。もっと年食ってて鹿や熊被ってるやつは、こうはいかねえから注意しろよ。強いし速いからな」
「俺は帰って、酒飲んで寝ることにする。じゃ、またな」
(どこか遠くから、獣の鳴き声が聞こえてくる)
(画面が暗転し、動画が終了する)
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