第22話 視線
「……ダンジョンを出たら真っ先にお風呂に入りたいですね。全身汗びっしょりで……汗以外も、色々あれですけれど」
「こんなに暑い中であんなことをしていたら、ね。着替えも買いに行くわよ。特に下着。汗で濡れたまま過ごすのは気持ち悪いし……旦那様のも溢れちゃうから、何枚あっても足りないわ。誰もいないならノーパンで過ごしていてもいいんだけれど」
「それは流石にダメでしょう、女の子として」
「だから仕方なく穿いているんじゃない。戦闘中にお尻がちらちら見えていたら旦那様も集中できないだろうから」
休憩と称した発散と、発散で消耗した分の休憩をした後のこと。
ダンジョン探索を再開した俺たちは、シュナリアが使う精霊魔術の案内で階層守護者が待つ広間を目指していた。
初期地点の転移門よりも近いらしく、階層の魔物に怯えなくていいのなら階層守護者の様子を見ておこうと話が纏まった。
倒せるならそれでよし、倒せなければ初期地点を目指すことになる。
あまり長居するのは考えたくないが……実物を見ないことには判断が難しい。
「旦那様も旦那様よね。ダンジョンの中でも容赦ないんだから」
「反省はしている」
「……手心というものを覚えて欲しいですね、本当に」
「シュナもまんざらでもなさそうなあたり物好きっていうか」
「…………私はそんな変態じゃないですからね? 吸血の副作用でちょっとだけ発情していただけですからね?」
「わかったわかった」
シュナリアの抗議はあっさり流しておく。
変態だろうとなかろうと、シュナリアが仲間であることに変わりない。
階層内を精霊の案内で歩くこと数時間。
逐次水分と食糧は補給し、魔物との戦闘もこなしているうちに、段々と疲労感が積もっていく。
環境の影響が中々に大きい。
暑いだけで体力が相当持っていかれる。
俺でも結構消耗しているから、二人もかなりだろう。
これまでの階層と同じくらいの広さならそろそろついてもいい頃だが――
「着きました」
シュナリアの声より先に、荒野で不自然に聳え立つ黒鉄の扉が見えてくる。
階層守護者の広間に繋がる扉なのはわかるが……壁も何もないのに扉だけあるぞ?
「あの扉、本当に正常なのか?」
「ダンジョンにまつわる不思議の一つですね。空間の連続性に関してはいくつか論じられていますが……階層守護者の広間に繋がる扉は空間の境界と考えられています」
「扉は転移門みたいなものよ。階層と広間を繋ぐための、ね」
「つまりは見た目が変なだけでいつも通りか」
それならば何も問題ない。
一体どんな階層守護者が待っているのかと考えながら扉を押し、広間へ。
待ち受けていたのは鶏のような胴体に蛇の尻尾を生やし、皮膜にも似た翼を広げる怪鳥、コカトリス。
こいつも山で見たことがあるし、何度も殺してきた相手だ。
肉が絶品なんだよな。
まあ毒抜きをしないと食えないし、残念なことにダンジョンの中では殺すと魔力に分解されてしまうが。
「……コカトリス、ですか。キマイラより強いのは予想していましたけど」
「あたしたちの手には余りそうね。一撃喰らったら完全にアウトよ」
「二人は休んでいてもいいぞ。俺一人でどうとでも出来る相手だ。一対一だし、厄介なのは蛇の尻尾くらいだからな」
「いえ、私にも戦わせてください。頼り切りでは意味がありません」
「あたしもやるわ。旦那様の隣で戦わせて」
「わかった、三人でやるぞ」
二人にとっては強敵だろうに、怖気づくことなく武器を手にして立ち向かう。
前に進む意志こそが強くなるための近道。
「だが、無理だと感じたらすぐに退け。恐怖に慄くのと、正常に戦力差を認識して恐怖を感じるのは別だ。それは人間として、戦士として必要な素養の一つ。鈍感にはなるな」
「……流石にあれを前にして全く怖くないとは口が裂けても言えませんよ?」
「あたしも怖いけれど、二人が一緒なら戦えるわ。数時間前までコブリンやコボルドと戦っていたのに、目の前にいるのはコカトリスって温度差が凄すぎるのよ」
コカトリスがその場で「コケェーッ!!」と耳障りな声を上げる。
紅いとさかを立て、蛇の尻尾をべちべちと床に叩きつけ、見開いた丸い赤の瞳を俺たちへ注いだ。
そして地団駄を踏み、
「来るぞ」
細い脚とは思えないほどの力強さで踏みしめ、一直線に突進してくる。
瞬きの間で数歩の距離に迫るコカトリス。
俺は捉えられていたが、二人は接近に一拍遅れて気づく。
どうやら俺が受けるしかないらしい。
両腕に力を込め、床に根を張るが如く踏みしめる。
自然に巡らせた身体強化でコカトリスの突進を真正面から受け止めた。
「ぐ、っ!」
腕から伝わる衝撃は相当なもの。
押し出された声が漏れ、汗が噴き出す。
しかし、この程度の力比べならば問題ない。
「今のうちにやるわよっ!」
「はい……っ!」
俺が足止めをしていれば二人が比較的安全に攻撃できる。
山で一人だった頃は出来なかった戦法だ。
俺の意図を汲み取ったシュナリアと來華がコカトリスへ果敢に攻めていく。
來華が蛇の尻尾の妨害をいなしながら両手の剣で斬りかかり、注意が來華へ向いている間にシュナリアの魔術が殺到する。
使っていたのは吸血鬼特有の血属性。
デメリットとして血を消耗するが、魔力を含んだそれは優秀な触媒だ。
「コケェーッッ!?」
コカトリス、二十層後半の階層守護者といえども魔物であることに変わりない。
傷を負えば痛いし血が出る。
つまり、殺せる。
俺はそれを実体験として知っているが、二人もここで理解するはずだ。
コカトリスの目が二人を強く追う。
これだけ痛めつけられればヘイトが二人へ向くのも当然のこと。
だが、それは俺がフリーになることを意味するわけで。
「俺から目を逸らすな」
組み着いていた腕へさらに力を込める。
指で硬く張った皮膚を突き破り、肉ごと抉った。
慌てて飛びのくコカトリスを追い、懐へ入り込む。
隙だらけの腹だ。
「『魔勁』」
勁を放ち、腹をぶち抜けばたたらを踏んで体勢を崩した。
……と見せかけて俺を喰らおうと迫っていた蛇の尻尾を裏拳で打ち払おうとしたが、
「誰の旦那様に手を出そうとしてるのよッ!」
割って入った來華の刃が斬り落とした。
本体から切り離されてもびち、びちと床をのたうち回る
完全に動かなくなったそれが魔力の粒子へ溶けていく。
「私も忘れられては困りますっ!――
わかりやすい隙を冷静なシュナリアは逃さない。
いっそうの魔力を込めた魔術、燃え盛る血の槍は俺が魔勁を打ち込んだ場所を寸分違わず打ち抜いた。
槍の穂先が皮膚を焦がして突き抜け、腹半ばにまで刺さったところで爆発。
あの様子では体内がボロボロになっている事だろう。
「ゴ、ゴゲェッッ!!」
苦々しく呻くコカトリス。
余力はほとんどなさそうだ。
追い詰めすぎると予期せぬ行動に出るかもしれない。
ここで畳みかけるべきだろう。
狙うはシュナリアが作った腹の傷。
素早く距離を詰め、軽い跳躍。
右手を引き絞り、魔力だけでなく体重移動、呼吸も乗せて放つ一撃。
「『崩拳』」
拳が肉をぶち抜く感触はほんの一瞬。
衝撃が抜け、コカトリスの腹が遅れて爆ぜる。
肉片が散らばり、支えを失って倒れたコカトリスの頭部を踏みつぶした。
絶命したコカトリスは身体を魔力に分解され、残されたのは拳大の魔石と半透明な玉が一つ。
「終わったな」
「これで帰れると思うと感慨深いものがありますね……」
「でも、やりきったのよあたしたちは。ふふっ、あははっ!」
安堵に表情を緩めてへたりこんだシュナリアと、座って笑いだす來華。
二人にとっては紛れもない命の危機。
それを脱したことで張り詰めていた緊張が抜けたのだろう。
「……それに、どうやら位階も上がったみたいです。身体の奥が熱くて、凄くむずむずします」
「あたしもよ。こんなに疲れてるのに……力が湧いてきてしょうがないの」
「これ以上の探索は危険だぞ。自覚していると思うが、位階上昇に伴う高揚感を覚えているだけだ。今日はもう休んだ方がいい」
「わかっていますよ。けれど、帰ってすぐ眠れそうにないのも事実ですし」
「旦那様、朝まで付き合ってくれるわよね? 二対一なら倒せるかも」
「模擬戦か? 別にいいが、手加減はしないぞ」
「違うわ。戦場はベッドの上……ああ、お風呂でもいいけれどね。シュナもそれでいいでしょう? そのつもりみたいだったし」
「私はそんなつもりは……!」
「じゃあ今日はあたしが旦那様を独占してもいいの?」
「……それはダメ、です」
先に左腕を絡め取った來華に負けじと右腕を抱くシュナリア。
二人の目が、真っすぐ俺だけを映している。
体力勝負なら負けるつもりはない。
ドロップ品を回収し、念のため転移門の有効化も済ませてからダンジョンを去る――その寸前。
「…………」
「淵神さん? 急に立ち止まってどうしました?」
「忘れ物でもしたのかしら?」
「誰かに見られている気がしたんだが……気のせいだろう」
どこからか一瞬だけ感じた視線。
しかし、こんな場所にいて見逃すはずがないと思い直し、ダンジョンを去った。
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