第8話 深海の石柱 後編

 安物の録画ソフトを使用したのか、映像には補正はかかっておらず撮影者の息づかいで上下に揺れていた。


 最初に映ったのは、人の後頭部だった。埃まみれで脂ぎった髪、疲れ切って落ち込んだいくつもの背中が歩みを進める。


 視界が左右に揺れた。軍用のブーツが視界に映った。撮影者の視線より一段高い位置に立つその足の持ち主を、視界の主が見上げる。銃火器で武装した筋骨隆々の兵士だ。


 兵士は何事かを叫び、手にした銃火器で威圧している。視界の主が兵士から目を背けた。


 視線はあちこちをさ迷い、映像の中の人々がいる場所を映す。頑丈そうな灰色の壁に囲まれた薄暗い屋内。そこに血管のように張り巡らされた配管と内部構造を建設するために組み立てられたと思われる借り組みの鉄骨。日の光すら射し込むことのないであろう劣悪な環境に彼らはいた。


 映像に映る景色が変わりはじめる。視界に映る労働者たちの姿が消えていく。怪しげな縦穴とテニスコートほどのサイズはありそうなプラットホームのようなエレベーターが見えた。


 労働者たちは、死刑執行を待つ囚人めいて次々にエレベーターに乗り込んでいく。視界は動くことなく映像のなかの景色だけが様子を変える。人間の身長をはるかに越える高さの何本もの石柱が立ち並ぶ広大な空間が現れる。


 視界の主が石柱に注目した。一見するとそれは長い年月をかけて成長した鍾乳石のように見える石柱群だったが、そのいずれにも装飾のようないくつもの溝が刻まれており、どこか人工的な気配を醸し出していた。


「遺跡? これはどこを映したものなんだ?」

 ハオランの口から疑問がこぼれる。再生される映像の全てが、これから行われる潜入に必要な重要情報だ。一つの漏れも許さないように目を皿にしてハオランは観察を続けた。


「ふーむ。専門ではないのでなんとも言えないですが、映像のラベルに記載されている内容を信じるならば、これは深海で撮影されたもののようです」

 考え込むように顎に手を当てたビンソンが答える。その胸中に発生した感情は困惑だった。<この感情を抱くのは、お嬢様たちのお守りを旦那様から仰せつかった頃以来ですね>


 人生で最も困難で有意義だった出来事は何かと聞かれたら、ビンソンは迷わず育児だと答えるだろう。なぜなら、かつて主人より命じられたその行為が、彼に困惑という感情を自覚させたからだ。現実が学習した知識の斜め上を行くこともあるという事を、子どもとのふれあいを通してビンソンは学んだ。


 しかし今回の一件はそれとはまったくの別物だ。困惑という感情は同じでも、それを抱いた原因が異なっていた。それは、彼の電脳に蓄えられた膨大な知識のいずれにも該当しない事実を目の当たりにしたことに対する、未知への困惑だった。


「記録が書き換えられている可能性もあるのではないでしょうか。それならいくらでも場所を偽ることも可能なはずです」


 スミカが率直な意見を口にする。映像の中の人々は生身だ。そして海水に濡れている様子もない。映像の中の気候は深海には程遠いように感じた。


 だがビンソンは、その指摘が的外れであると首を横に振った。

「いえ、それは説明がつきます。アクパーラにはスタジアムという装置があります」


 ビンソンの顔面からまた別の光線が照射された。箱を逆さまにして地面に被せるイメージ図が表示される。


「これがあれば、深海に大勢の人間を送り込むことも難しくないわけか。ゾッとする」


 ハオランは身震いした。今まで様々な苦境を乗り越えてきたが、深海は始めてだ。


 どれほど安全性が保証されていたとしても、箱の外は生存を許されない高水圧下。もし仮に何かのはずみでスタジアムの外殻が破損すれば、深海の圧力によって内部で働く何百人もの労働者たちは一瞬で圧し潰されて海の藻屑に変わるだろう。


 どれほどの厚待遇だったとしても、そんな危険な状況と隣り合わせの環境で働き続けるなどハオランにはごめんだった。


「ところで、島に忍び込むのは私の役目になるわけですが、まずはどこを調べればいいですか?」

 ハオランが質問した。建設中とはいえアクパーラ2は巨大だ。どこを調べればいいのか分からない状態で、土地勘のない場所で動き回りたくはない。


「それであればこちらをお使いください」

 ビンソンは金属球体を二個取り出してテーブルに置いた。


 内部にモーターを仕込んでいるのか、野球ボールサイズの球体はテーブルに置かれてから間を置いて自走を始めた。


 二個の球体は同じ速度同じタイミングで、それぞれハオランとスミカの前に停止した。


「これは?」

 ハオランが鉄球について質問する。手に持った感触はツルツルとしていて、ずしりとした重さだった。


「その子たちは私の電脳リソースの一部を割り当てて造ったかわいい私の分身です。情報面でのサポートにお使いください」


「頼もしそうですね」

 スミカが苦笑いで返事をする。ビンソンの言葉のどれが冗談でどれが本気なのか判別できなかった彼女は、ただ当たり障りのない反応を返すしかなかった。


 そんな雇用主を尻目に、ハオランは球体をまじまじと見ながらビンソンの言葉の意味を考えていた。

<どっちの意味なんだ。かわいい? この鉄球がか? それとも……>


 ハオランが人工知能と相対したのは初めてではない。しかし自身のことをかわいいなどと表現する個体には出会ったことがなかった。


 球体を手の中で弄びながら、ハオランはこれから挑むこととなる人工島に目を向けた。


 たった一人での侵入。援護は期待できない。すべて自分だけで対処するしかない。


 今のうちに鋭気を養っておこう。

 ハオランは皿に残ったスクランブルエッグの最後の欠片を食べた。合成卵液の濃厚な卵風味が鼻を抜ける。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る