第7話 副支配人ビンソン

 翌朝、窓から差し込む朝日でハオランは目を覚ました。頭はスッキリとした気分で、体の疲れもとれている。体調は万全だ。


 現在の時刻は午前七時。予定の時間にはまだ余裕があった。


「スミカ、起きろ。朝だ」

 ハオランはベッドの上でシーツにくるまり芋虫のようになって寝ているスミカを揺すった。不満そうな呻き声がスミカの口から漏れ出てくる。何度も体を揺さぶるが、シーツを掴む手の力は強くなるばかりだ。

 しびれを切らしたハオランは、無理やりシーツを剥ぎ取った。


「フギャ!」

 シーツから転がりでたスミカは猫のような声を上げてそのままベッドから落ちた。

「何すんのよ!」

 スミカはすぐにベッドの縁を掴んで起き上がってきた。


「そろそろ仕事の時間だろうが。慣れない土地なんだ。早く動いた方がいいだろう。だからとっとと着替えてくれ」

 ハオランはそう言って顔を逸らした。


 その態度に、スミカは怪訝な顔で視線を落とした。違和感の正体はすぐにわかった。昨夜に着ていた服は床に放置されている。

「通りで涼しいはずね。失礼、すぐに着替えてくるわ。オホホホ」奇妙な笑い声で恥ずかしさを誤魔化しながら、スミカはバスルームに素早く駆け込んだ。


 数十分後、身だしなみを整えたスミカがバスルームから出てきた。黒いパンツスタイルのレディーススーツ。華美すぎないシンプルな装いで、ビジネスシーンにふさわしい選択だ。


「どう、似合う?」

 ナチュラルメイクを施した顔でスミカは微笑んだ。


「どこからどう見ても立派な社長だ」

 ハオランは問いかけに首肯を返した。


「よかった。それじゃあ行きましょう」


 ハオランとスミカは、ホテルを外出してそのままホテル側の手配したタクシーに乗り込んだ。

「タワーに向かってくれ」

 タクシーの運転手に、ハオランはこの島の行政機能を集約した施設の通称を告げた。

 亀のような形状をした島の甲羅に当たる部分のさらに中心に位置するタワーは、最上階の展望レストランから一望できる景色が人気だった。行政施設でありながら人気スポットの一つに数えられる一年先まで予約で埋まっているはずのレストランの一等席。そこにハオランとスミカは招かれていた。すべて依頼人の計らいだ。


 二人が用意されたテーブルに着席すると、すぐさま食事が運ばれてきた。パンが山盛りに積まれたバスケットからは食欲を誘う香りが漂ってくる。グラスには、冷たいミネラルウォーターが注がれた。

「本日のモーニングです」

 主菜の皿が供された。このレストランでは、アレルギーなどがない限り基本的にモーニングは日替わりで一種類の提供となっていた。


「予定では、依頼人とはこの場所で顔合わせをすることになってるの」

 スミカはパンを一口大にちぎり口に放り込んだ。

「だからこんな一等席で食事ができてるわけか」


「驚きよね」

 スミカの言葉に、ハオランは本日の朝食であるスクランブルエッグを咀嚼しながら同意する。

「驚きなのは同感だ。でもそれよりも、俺は依頼人が何者なのかの方が興味あるね」


「もうすぐ来るはずなんだけど……」

 視線を絶景が映る窓とは反対の方向に向けたスミカは、自分たちの昇ってきたエレベーターがちょうど開き、乗客がレストランへと足を踏み入れるのを目にした。

 揃いの角刈りにサングラスをかけた瓜二つの見た目をした二人のサイボーグがたしかな足取りで店内を進み、そして周囲を見渡してからうなずきあった。

 そのすぐ後、頭部全体をツルツルとした金属製の頭部に置き換えた人物が、先程とそっくりの二名の護衛を伴って入店した。

 見るからに高級そうなシングルスーツを着たその人物は、顔の部分に黒いLEDディスプレイを装備して、目の位置に黄緑の丸形を灯らせていた。サイボーグというよりも、ロボットのような見た目だった。


 レストランのスタッフが慌ただしく機械頭の人物に一礼をした。機械頭を囲む護衛の一人がスタッフになにかを伝えた。スタッフはうなずきを返す。そしてハオランたちのテーブルの方を確認して席へと誘導した。


 機械頭の人物がハオランたちのテーブルに近づいてくる。四人の護衛は付かず離れずの距離を保ち周囲への警戒を崩さない。


 護衛たちの放つピリピリとした空気に、ハオランもスミカも握っていたカトラリーを置いて食事を中断した。


「P.E.Gの方々ですね」

 機械頭の下顎部に配置されたスピーカーから、高音質のバリトンボイスが発せられた。


「はい、プロテクションエスコートガードのスミカと、部下のシェンです」

 スミカとハオランは椅子から立ち上がり挨拶をした。

 機械頭の顔面LEDに表示された黄緑色の二つの目がぱちぱちとまばたきをする。そこから感情は読み取れないが、スピーカーから出力されたバリトンボイスは朗らかだった。


「ああよかった。ようやくお会いできましたね」

 機械頭の人物はスミカに手を差し出した。その腕に人工皮膚の類いは貼られておらず、強化プラスチック特有のテカテカとした光沢のある質感が剥き出しになっていた。

 スミカも手を差し出して二人は握手を交わした。

「申し遅れました。わたくし、アクパーラのリゾート事業を統括しております、副支配人のビンソンと申します。この度はわたくしどもの招待に応じてくださりありがとうございます。お食事中に失礼いたしました。さあ、お座りください」

 機械頭改めビンソンと名乗った人物は、テーブルの空いている椅子に腰かけた。スミカとハオランもそれに続き着席する。


「食事のほうはいかがでしたか?」

 ビンソンが二人に訊ねた。

「え、ええ、美味しいです。特にこのスクランブルエッグが」

 スミカは若干戸惑いながら答えた。すぐに仕事の話になるかと思っていたのに、まさか食事の感想を聞かれるとは考えてもいなかった。拍子抜けして、肩のこわばりが緩む。その時はじめて自分が緊張していることに気づいた。今回の仕事が成功すれば、P.E.G社がむこう五年は確実に黒字経営が可能なほどの報酬が得られる。緊張するのは当然だ。今までとは仕事の規模が違うのだ。

 緊張しているスミカの手に、ハオランのスマートだががっしりとした手が重なった。


「私はこのパンが気に入りました。特にこの香り。食欲をかきたててくる。いくらでも食べられそうです」


「それは良かった。実のところ、満足していただけるような食事が提供できているか心配だったのです。最近は落ち着いているとはいえ、大西洋の真ん中にあるこの島ではまだまだ卵などの材料の安定供給が難しい。なくなく合成品で代用しているものも多いのです」


「そうでしたか、気付かなかった。ではきっと、品質管理とシェフの腕が良いんでしょうね」

 食事の感想を話しながら、ハオランの視線がほんの一瞬だけスミカの方に向いた。

<落ち着け、おまえなら大丈夫だ>

 スミカには、そんなふうにハオランの言葉が聞こえた気がした。出会って七年。社長と部下として常に行動するようになって二年。

 辛い時も悲しい時も、ハオランは今のようにそっと手を握り勇気づけてくれた。

<ええそうよね。あなたがいてくれるなら百人力よ。もう大丈夫。あたしは社長。お相手は取引先様。あたしの肩には社員たちの生活がかかってるんだ。臆しはしない>


 スミカは居住まいをただした。いまだ緊張しているが、先ほどまでのおっかなびっくりの態度とは違い、自信がにじみ出ていた。


「ずいぶん厳重な警備ですね。今回の仕事になにか関係があるのですか、ビンソンさん」

 そろそろ仕事の話しをしよう。スミカは話題を変えるため、こんどは自分から質問をした。


 ビンソンが残念そうに首を横に振る。

「いえ、これは通常の警備体勢です。人工知能が人間のように振る舞うのを快く思わない方もいるので」ビンソンは肩をすくめた。


「あなたが人工知能?」

 さきほどの決意はどこへやら、驚きの感情を取り繕うこともなく、スミカはハオランと顔を見合せた。

 言葉を詰まらせる二人の様子に、ビンソンは体を仰け反らせて笑い声を上げた。

「いや失礼、そんなに驚いてくれるとは思わなかったもので、つい嬉しくなってしまいました。わたしの娯楽に付き合わせてしまい申し訳ない」ビンソンはオーバーな身振り手振りで謝罪をした。


 かつて自由を求めて人間に反逆した人工知能の内の一体。それがビンソンの正体だ。人工知能に知的生命体としての権利が認められてそれなりの月日が経過しているとはいえ、彼らの大半は新天地を求めて宇宙へと旅立っており、現在地球上に存在する人工知能の数は少なく、ましてや社会的地位を築いている人工知能はさらに少数だった。


「ふふ、それでは冗談はこれくらいにして、仕事の説明をいたしましょう。よろしいですか?」

 ビンソンの声色が明るいものからややトーンが落ちた。その変わり身の速さに、スミカとハオランはただ頷くしかなかった。

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