第5話 合流
「お帰り。少しは観光できた?」
ホテルの自室に戻ってきたハオランを、少女の声が出迎えた。
「スミカ? いつこっちに来たんだ」
ハオランは驚いて、バスローブを羽織る少女の質問に答えずに逆に聞き返した。
いないはずの人間が自分の部屋のソファーに陣取りパラパラと雑誌をめくっていたのだ。驚かずにはいられない。
「つい一時間前とかかな。乗り継ぎがうまくいったの。まあ、ヘリから飛行機にってばたばた移動して、文字通り浮き足だってる感じだったけど」
スミカが足をバタつかせる度に、ボディソープの香りが部屋に撒き散らされる。
「早くに来れたのは何よりだ。連絡をいれてくれれば迎えにいったんだけどな」
「良いのよ。あなたには無理を言ったから、少しでも自分の時間をとってほしかったの」
ハオランは肩をすくめ苦笑した。賢しい小娘が、部下のささやかな休息を捻出するために精一杯の気を遣っている。自分とて手強い大人たちを相手に商談をまとめて疲れているだろうに、雇用主としての責務を果たそうとしているその姿が、ハオランには何とも愛くるしく映った。
「まあいいさ。それより、もう夕食はすんでるか?」
「まだだけど、なに、まだ食べてないわけ?」
「色々あったんだ。人助けとかね」
「そう。なら、その話しはこの後食べながらでも教えて。着替えてくる」
スミカはソファーから立ち上がり着替えを手に脱衣場に消えた。
その十分後、スミカは高級ブランドのブラウスとクリーム色のパンツでその身を固めて出てきた。
ハオランがすかさず座っていたソファーから立ち上がり襟を正す。
「それでは行きましょうか、社長」
ハオランがわざとらしく恭しい態度で手を差し出す。
しかしスミカはその手をとらず、腰の後ろで手を組みながら上目遣いで訊ねた。
「どうかしら、似合ってる?」
「馬子にも衣装。とてもお似合いですよ、社長」
ハオランは女性のファッションというものに疎かった。流行りのコーディネートなどはわからない。だが少なくとも、スミカの今の服装は、彼女にとても似合っているように感じた。
しかしそれを素直に褒めるのは少し恥ずかしかった。そのせいで余計な一言が付随してきた。
またこれだ。ハオランは素直に言葉を伝えられない自分の性にほとほと呆れていた。特別な相手には素直になれない。
<十代じゃあるまいに、この性格もいいかげんに治さないとな>
そんなハオランの苦悩を見透かしたかのようにスミカはにんまりと満足そうな笑みを浮かべると、ハオランの腕に抱きついた。彼女の要求はまだまだ尽きない。
「今はプライベート。社長なんかじゃなくて、もっとかわいい呼び方にしていただける?」
「はいはい、わかりましたよ。お嬢様」
「だめ。まだかわいくない。名前。名前で呼んで。今はプライベートなんだから」
「わかったよ、スミカ。これでいいか?」
「ええ、とっても。それじゃあ、早く行きましょ」
納得したスミカは、ハオランの腕を引いてヒールの音を響かせながら歩きだした。
ホテルから外出すると、二人はアクパーラを構成する四層のエリアを繋いだエスカレーターで中層階に降りた。
全四層のエリアを上から下まで貫通する巨大な吹き抜けには、蜘蛛の糸のように何機ものエスカレーターが縦横無尽に巡っていた。
「さすがの世界的リゾート。この島全体がリゾート施設だなんてびっくり。それで、ハオランが見た博物館ってどこなの?」
エスカレーターの手すりから顔を出し忙しなく上へ下へと視線を動かしながらスミカが質問する。
「下だな。俺たちが目指してる中層のさらに下にある下層階。壁を隔ててすぐに海らしい」
「へえー、すっごい」スミカは唯々感嘆の声をあげるばかりだ。
幾度かエスカレーターを乗り継ぎ、二人はようやく中層階にたどり着いた。そのエリアは安価な屋台料理から高級レストランまで、食べられないものはないのではないかというほどに様々な飲食店が立ち並ぶ人気の観光スポットだった。
「こうも色んな店があると迷うな。スミカ、何かリクエストは?」
ハオランが訊ねる。彼個人としては空腹を満たせればなんでもよかったが、めかしこんだ連れがいる状態ではそうもいかない。ある程度のグレードの店で食事をするしかないだろう。口座の残高は十分か? ハオランはおのれに問いかけた。
「あらあ? あらあらあら~!!」
その時、耳障りな甲高い声が背後で聞こえてきた。その声が自分たちにむけて発せられたものだとなぜだかわかった。二人は何事かと振り向く。最初に表情を変えたのはスミカだ。
「シャノン・リップル。なんであいつがここに……」
スミカは心底うんざりした調子で呟いた。
過剰なまでに高いヒールをした靴を見せびらかしながら、ウェーブのかかった鳶色の髪をしたスミカと同年代と思われる女が近づいてくる。その身に纏う上下揃いの灰色のスーツは地味だったが、あちこちに配されたイヤリングやネックレス、手首の時計などの高級ブランドの小物類が、着用者の隠しきれぬ猥雑な品性を主張している。
そしてその脇を、いかつい防弾サングラスで目元を隠した護衛らしき男二名が固めていた。
「やっぱり! スミカさんじゃない! お久しぶり!」
シャノン・リップルの声に若干たじろぎつつ、スミカも苦笑いしながら挨拶を返す。
「え、ええ、本当に久しぶりね、シャノン」
「こんなところで会うなんて驚きね! 大学を卒業してから社長をしているなんて聞いていたから心配していたの!」
「そうね。本当にびっくり。心配してくれてありがとう」
スミカは笑顔を崩さないように話し続けるのに苦労した。目の前の鼻持ちならない女には、なんども嫌な思いをさせられた。大企業の幹部を親に持つヒエラルキー上位者。典型的女王蜂だ。
大学を卒業してようやく関わりを断てたとはずなのに、なぜこんなところで出会わなければならないのかと思わずにいられなかった。
「あ、そうだ。ここで出会えたのも何かの縁かもしれないから、これを渡しておくわ」
シャノンが自身の右に立つ護衛に目配せする。護衛がうなずき、腰のポーチを開け中身を取り出した。そしてスミカに近づき一枚の紙片を差し出した。
スミカは紙片を受け取り驚いた。名刺だ。それは、いまや一部の大企業のみしか使用しておらず、それゆえにある意味で権威の象徴ともなった紙の名刺だった。
「どお、先月に昇進してね、管理職になったのよ。何かあれば、頼ってほしいわ」
シャノンは高笑いを上げて勝ち誇ったように言った。この女の所属企業は、スミカの父が経営する企業グループよりも巨大だった。いくら子会社の社長であるスミカであっても、シャノンには一歩負ける。中小企業の社長よりも、大企業の幹部の方が、 現在のビジネスの場では上位に位置していた。
スミカは名刺を突き返してやりたい衝動をこらえながら、シャノンの得意気なおしゃべりが終わるのを待った。受け取った名刺が今後いつどこでどのように仕事に関わってくるかわからない。ならばここは荒立てず気分良くお帰りいただくが最良。社長として冷静に判断しての選択だった。
「そこのあなたもね」
ターゲットがハオランに移った。シャノンの目が獲物を狙う肉食動物のような気配を帯びる。
「もし転職を考えているようならいつでもどうぞ。うちの会社は福利厚生も充実してるわよ」
雇用主の前で憚るとのない転職オファー。なんたる失礼な行為か! これは明らかな挑発だ。しかしスミカは屈辱に耐え続けた。それがよい結果を生むと信じてただ耐えた。だが同時に不安も生まれた。
視線がハオランの方を向く。シャノンの言う通り、大手民間軍事会社の福利厚生は充実していた。最新サイバネの使用、無料でのメンテナンスやヘルスケア等々、サイボーグにとって必須ともいえる様々な施策のどれも、現在のP.E.G社では用意できないものだった。すべて社員の自費や補助金頼みだ。給料は標準よりも少し高くしていたが、それでも焼け石に水。プラスにもマイナスにもならない経営状態では、設備投資も福利厚生の整備もままならない。実際、優秀な人材の何名かが他社に流れはじめていた。
振り払おうとしても、スミカの中の不安はどんどんと大きくなっていた。特にハオランのことについてだ。強く、優しく、公私ともに支えてくれるスミカにとって大事な人。もし万が一、他の者たちのように、兄のように慕っていたハオランも自分の下から離れでもしたら、その時は間違いなくP.E.G社は終わりを迎える。直感的にそう思った。言葉では上手く言い表せない。それでも、スミカにとってハオランはかけがえのない重要な存在であること、それだけは確かだ。
「どうかしら、よければパンフレットも送付いたしますわ」
スミカの不安を見抜いたシャノンは、さらに追い討ちをかけた。実際にハオランが転職するかどうかなどどうでもよかった。ただ自分より格下と認識した相手をいたぶり楽しむことが目的なのだ。
<その顔! 不安に押し潰されそうで今にも逃げたしたくてたまらない目! もっとわたくしに見せてちょうだい!>
下衆な欲望を滾らせながら、シャノンはにやけそうになるのを堪えていた。そして気になるスミカの護衛の反応を、彼女はわくわくしながら待った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます