第2話 北緯20度西経35度
サイボーグ技術が普及し、人工知能が自我を獲得した未来。争いと復興を繰り返しながら、人々は何とかその命脈を保っていた。
ポコッ、ポコポコ。ザア、ザア、ザア。
水中をイメージした穏やかな音がヘッドホンから流れる。ハオランは眠っていた。海の音が昂っていた神経を鎮静させる。
水面に注ぎ込むキラキラとした日の光を見つめながら、ひんやりとした水中に、あなたはゆらゆらと揺れながら沈んでいく。どこまでも、どこまでも。光がどんどん遠ざかる。手を伸ばしても届かない。上も下ももうわからない。
気流が乱れ、一際強い振動が機体を揺らした。そのせいで、心地よい眠りを楽しんでいたハオランは目を覚ましてしまった。ぼんやりとした目で辺りを見回す。窮屈な座席、右手側の小さな窓。
<ああそうか。ここは飛行機の中か>
ハオランは眠い目を擦り大きなあくびをしながら、自分が旅客機に搭乗している理由を思い出した。
それは一昨日のことだ。執行機関からの依頼で実施されたパンアメリカンハイウェイでの大捕物の後、ハオランは、社長であるスミカ・ソーンから次の仕事先へと向かうように命じられた。
それは、通常の勤務シフトとは異なる動きだった。
所属企業であるP.E.G(protection.escort.guard)社では、任務の規模に応じて、従事した社員に必ず休暇を取らせていた。だが今回は違う。
※※※
「お疲れさま。ねえ、ハオラン。疲れてると思うけど、次の仕事の話をしたいの」
装備していたエグゾアーマーや武器を、それぞれをケースに収納していたハオランに、色素の薄い茶髪のミディアムヘアをした少女が話しかける。
「いいよ。いつだ? 今度はもう少し楽な仕事がいいな。涼しいところとかな」
この時点で断っておけば良かった。ハオランは思い出しながら悔やんだ。
スミカは顔を伏せもじもじとしながらぼそりと呟いた。
「……この後すぐ」
耳を疑った。ハオランはおもわず聞き返した。
「この後すぐ! 送迎で空港に向かってそのまま飛行機に乗って欲しいの!」
スミカは叫ぶようにもう一度言った。
「何でオレなんだ? 他の奴でもいいはずだろう」当然ハオランも異を唱える。
「いちばん優秀な人間に担当させますって言っちゃったから……」
「なら、送り込む奴を優秀な人材ってことにすればいいじゃないか」
「それはヤダ! それだと嘘になっちゃうじゃない!」
「変なところで誠実になるな!」
「お願いよお! 会長のツテで受けた仕事なの。こんな大きな仕事、次受けられるかも分からないの。お願い、助けてよ、お兄ちゃん」
社長という立場であるのも構わず、スミカはハオランにすがりつきその目を潤ませる。
「くっ、ダメだダメだ。一度例外を作れば、その次も同じように無茶をするようになるんだ。今は良くてもこの先ろくなことにならない! ……そんな可愛い顔をしてもダメだからな!」
ハオランは毅然とした態度で言った。
スミカとは公私に渡って長い付き合いになる。何かある度に今回のようにおねだり攻撃を受け、要望を聞いてきた。しかし今の彼女は、会長である父親から民間軍事会社を引き継いだ経営者だ。もう子供ではいられない。わがままばかりでは希望は通らない。そう教えるべきに思えた。他の人間にも無茶振りをするようなパワハラ系経営者になってしまったら、恩人である彼女の父親に顔向けができない。涙を飲んでの厳しい態度だった。
スミカがわざとらしく顔を手で覆う。
「泣いたってだめだ」
胸が痛むのを我慢しながら、ハオランはスミカに背を向けて荷造りを再開させた。
「……クリフチェンのボディアーマー」
「なに?」
「モトダ製トラック。J&K社製ハンドガン、H30。ムラクモ社製アサルトライフル、アラシカゲ」
「お嬢、いったい何が言いたいんだ」
「この仕事を受けてくれたら、いま言った品物全部が購入できるくらいの報酬になる。しかも全員分」
ハオランはゴクリと唾を飲み込んだ。スミカの述べた名前はすべて、ハオラン含むP.E.G社員が常々導入を望んでいた優秀な装備のものだった。
「なんならボーナスだって出せちゃう。基本給の底上げも平行することだって夢じゃない」
指の隙間からスミカの目がちらちらとハオランを伺っていた。絶対にこの仕事を承諾させる。そんな強い意思が宿っていた。
逃げられない。ここで拒否を表明しても、スミカは諦めずに説得を続けるだろう。わかりきっていたことだ。ハオランは渋々受け入れることにした。
手を下ろしたスミカの顔は、満面の笑みだった。
「それで? 行き先はどこなんだ?」
スミカがよくぞ聞いてくれたと腰に手を当て胸を張る。
「よくぞ聞いてくれました。聞いたら驚くわよ~」
「勿体ぶらずに早よ言え」
「あ、うん。行き先は、世界最大級の人工島兼リゾート。アクパーラよ」
※※※
結局、上手く丸め込まれる形になってしまったと考えながら、ハオランは機内サービスで購入したミネラルウォーターをひとくち飲んだ。寝起きの乾いた喉を、温い水が潤す。
ハオランがもう一度大きくあくびをした時、機内に放送が流れた。
『当機はまもなく、アクパーラへ到着いたします。世界最大級のリゾート施設であるアクパーラをどうぞお楽しみください』
ハオランは窓の日よけをしまい、窓の外を見た。陽光がキラキラと反射する大西洋の大海原に、ぽつんと島が浮いてるのが見えた。
『アクパーラの名称と形状は、19世紀に紹介された古代インド世界観に登場する世界を支える亀に由来します』
目を凝らすと、人工島が楕円形の中心部から四つの手足を伸ばしているのがわかった。
〈でも頭はないみたいだな〉
『また、島の頭に当たる部分は深海調査施設となっており、海中深くまで潜行可能です。これにより、今まで未踏破だった深海の調査も進展するだろうと注目されており、世界各地の研究機関と協力関係を築いています。アクパーラは、リゾート施設であると同時に、学術的にもたいへんに重要な海上調査プラットホームなのです』
ハオランの疑問を見透かしたかのようなタイミングでアクパーラの解説が流れる。
<さんざん同じ質問をされたんだろうな>
数多くの観光客と同じ発想をした自分に、ハオランはほんの少し気恥ずかしい気分になった。
ぼんやりと窓の外を眺め続けていると、今度は飛行機が着陸態勢に入ったことを知らせるアナウンスが流れた。
『当機はまもなく、着陸いたします。みなさまシートベルトの着用をお願いいたします』
<ようやくか。体が石みたいにこっているな。中身はプラスチックと機械ばっかりだけど>
くだらない冗談を思いながら、ハオランはシートベルトを装着した。準備は万端だ。
小さく体を伸ばしていると、となりの席に座った老人がシートベルトの装着に苦労していた。
「よろしければ手伝いますよ」
ハオランは老人からシートベルトの金具を受けとり装着をしてやった。老人が深々と頭を下げてお礼の言葉を繰り返した。
「お気になさらず」
そう言いながら、ハオランは自分が浮かれている事に気づいた。普段であれば声などかけない。仕事前は特に。善意が曲解されて受け取られ、その結果トラブルが発生したら面倒でしかないからだ。それでも今回は声をかけた。乗客たちの楽しげな空気がハオランにも影響を与えていたのだ。これから経験するであろう様々なリゾート体験を、誰もが楽しみにしていた。
ただ一人、これから仕事を控えるハオランを除いて。それでも、見物するくらいはきっと許されるだろう。
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