企画参加短編:『暑いからちょっと冷蔵庫の麦茶とって』

江口たくや【新三国志連載中】

企画参加短編:『暑いからちょっと冷蔵庫の麦茶とって』

「暑いからちょっと冷蔵庫の麦茶とって」


 このフレーズが意味するところといえば、その文字の並びのとおり、暑いからちょっと冷蔵庫の麦茶とって欲しい、ということに他ならない。


「コップコップ。で、麦茶ね。あー、涼しい……」

「冷蔵庫は空けたらすぐ閉めてください」

「ごめんごめん」


 今日は本当に暑い。真夏日。三十度なんてとっくに超えて、今って気温何度だろう。黙っていても汗が滴り落ちてくる。家の外から蝉の声が絶え間なく聞こえていた。


「はい」


 差し出されたマグカップに並々と注がれた麦茶。たしかこのマグカップ、何年か前にハリー・ポッターのポップアップストアに行った時にお揃いで買ったんだっけ。厳密にはグリフィンドールとスリザリンだからお揃いって言えるのかわからないけど。


「ありがとう。ちょっとなみなみじゃない?」

「どうせ飲むでしょ?」

「飲むけど」


 あの頃は付き合うとか、一緒に暮らすとか全然考えていなかったと思う。好きだなぁとは漠然とは思っていたけど、付き合えるとかはさすがに思ってなかった。

 冷蔵庫できんきんに冷やされた麦茶は、喉を一気に通り抜けていくと身体を中から癒してくれる。


「美味しい」

「ほんとね」

「そうだ。冷蔵庫にさ、玉葱と挽肉と卵が入ってたでしょ?」

「あ、あったね」

「今日、ハンバーグ」

「え! 最高じゃん」

「カレーと迷ったんだけど、夏はすぐ駄目になっちゃうからねー。ハンバーグは今日の夜と明日の朝とお弁当の三連続です」

「神様ありがとう! 茶色いお弁当が嫌いな人がこの世界に居るのでしょうか?」

「いや、そりゃ……それはさすがにいるかもしれないでしょ……。でも、ここ二人は好きに一票、ということで」


 ノートパソコンを閉じる。どうにか、作業がひと段落着いた。まだちょっと夕飯には早いけど、ゆっくり準備するのも悪くない。


「ねぇ」

 後ろから、腕が回される。

「暑い」

「付き合ってるのに?」

「付き合ってても暑いものは暑いの」

「えー」

「これからハンバーグ作成タイムの予定なんですけど」

「好きじゃないってこと?」

「何でそうなるの」


 肩から手が離れて自由になったので振り返ると、捨てられた仔猫のような眼差しが向けられていた。そんな目で見ないで欲しい。告白したのはこっちだし、付き合う前に誘ったのだって全部こっちからだったのに。こんなの答えの決まりきった質問だ。


「すき」


 言いながら飛びつくようにぎゅうっと抱き着く。愛おしむように、慈しむように口づけが降ってきた。

 やっぱ暑い。汗でしっとりとしたTシャツ。気温とは違う熱が身体の中を駆け巡るようだった。あーあ。これじゃあ絶対汗だくになっちゃうじゃん。確か、冷蔵庫にはスポーツドリンクも入っていた気がする。まぁ、後でシャワー入ればいいか。


「ねぇ、何考えてるの?」


 唇を割って入って来た舌は、ほんのり冷蔵庫の麦茶の香りを纏っていた。

 好きな人からこんな風に誘われて、止められるわけがない。


「今日の夕ご飯。遅くなっても知らないからね」

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