19. 帰りたい 帰りたくない
あの後、俺たちはファミレスで豪遊し、さらに二次会と称してマリアの部屋でお菓子パーティを開いた。
気づけば眠ってしまい、目が覚めたときにはリビングの照明は落ちていた。
月明かりだけが静かに部屋を照らしている。
今日まで寝続けていた影響か、まったく眠気がこない。
すぐそばでは、マリアとセシルが床で寝息を立てていた。
……天使が二人。いや、片方は堕天使か。
数日前まで命のやり取りをしていたのが嘘みたいに、日常の回帰が心を癒していく。
……あれ、リゼは?
辺りを見回すと、ベランダに面した窓の傍に小さな影があった。
膝を抱え、空を見上げている。
「隣、いい?」
リゼはこちらを一瞥したあと、また視線を戻した。
「……嫌」
「えっ?」
「嘘。マリアの真似、してみた」
なんだよ、いつのまに地雷を踏んだのかとヒヤヒヤしたじゃないか。
マリアの軽口、放置しておくと俺の立場が危うくなりそう。
リゼの隣に腰を下ろす。
「空、見てるのか」
「うん」
「眠れないのか?」
「わからない」
「わからない?」
「眠い気はする。でも、眠るのがもったいない」
なんとなく、同じ気持ちを共有できている気がした。
「セシル、すぐ馴染んでて良かったよな」
「うん」
「アレンさんの話、笑ったよな。あんな堅物に見えて、ぬいぐるみ好きだなんて」
「うん」
「……この世界、いいよな。人は優しいし、街は平和だし。たまに魔物は出るけど……日本で熊が出たくらいの感覚だしさ」
そこでリゼの相槌が止まる。
何を言うか、迷っているみたいだった。
「……颯太は、この世界が好き?」
「うん、もちろん」
「まだ……帰りたいって思う?」
「……ああ。帰りたいと思ってる」
この答えは変わらない。
どんなに居心地がよくても。
「前に少し話したよな。俺に妹がいるって」
「うん」
「ひなたっていうんだ。病気で、五年前からずっと入院してる」
「“陽の光のように周囲を照らす子になりますように”――母さんがそう願ってつけた名前なんだ。でも、ずっと陽の当たらない病室に閉じ込められたままなんだ」
リゼは黙って聞いてくれていた。
夢という形で彼女の家族を垣間見てしまった俺が、一方的に話すのは不公平かもしれない。
いや……違うな。俺はただ、聞いてほしかったんだ。
「母さんは父さんが死んでから、一人で働きながら俺を学校に通わせて、ひなたの面倒も見てくれた。自分の時間なんて無かったはずなのに、弱音ひとつ吐かず、明るく接してくれてたよ」
「だから俺も負担を減らしたくて。高校卒業してすぐに働いたんだ――リゼと出会った、あの研究所でな」
「あ、そういえば……あの時、リゼはどうして研究所にいたんだ?」
少し一方的にしゃべりすぎた気がして、ついでに前から気になっていた疑問をぶつけてみる。
「……会いたい人がいたの」
「会いたい人?」
「友達……だった人、かな」
年頃の女の子が友達に会いに行くような場所じゃないと思うぞ、あそこ。
「どんな友達……って、あ、あの時! 『中は見ないほうがいい』って言ったよな? あれ、どういう意味だったんだ?」
ずっと気になってたんだ。
「……言えない」
「どうして? 極秘情報だからとか?」
「ううん。個人的な理由。颯太は、あれを見てはいけないと思ったから」
「あれって?」
「……言葉にできない。でも、颯太なら……いつかきっと“意味”がわかると思う」
見てはいけないけど、俺なら分かる……?
余計気になる。けど、これ以上聞き出すのは難しそうだ。
「リゼはどうなんだ? 帰りたいと思わないのか?」
「……今がすごく楽しい。颯太がいて、マリアがいて、セシルがいて……こんなの、初めて」
「だから……帰りたくない」
予想はしていた。
この子にはきっと重いトラウマがある。
「……わたしには、もう家族がいない」
「お母さんは死んだ。お父さんは……消えた」
「弟、レオンがいたけど……今はもう別の“なにか”になってる」
「大丈夫か? 家族の話、前はあんなだったのに」
「……大丈夫。みんなと過ごして、整理できてきたから」
リゼは少し苦しそうだったが、それでも勇気を振り絞るように続けた。
「どうしようもなくて、逃げたくて……こっちに来たの。颯太も巻き込んでしまって、ごめんなさい」
「助けようとしてくれたんだろ? それで十分だよ」
「……でも、本当は普通の場所に転移させることもできた。なのに……前は言い訳して、向き合わなかった。ごめん」
一人で見知らぬ世界へ行くのが怖かったんだろう。
責める気持ちは、不思議と湧かなかった。
「でも、“レオンが別のものになった”ってどういうことだ? 記憶喪失とか?」
「そうじゃない……颯太、“ヴァンクロフト”って聞いたことある?」
どこかで聞いた名前だ。……あ、教科書。
「能力者を束ねてる“協会”のトップがヴァンクロフト家って……まさか、リゼはその……?」
S級どころじゃない。
化け物の頂点だ。
「正確には“家”じゃない。ヴァンクロフトを名乗るのは常にひとり」
――夢の中でも聞いた言葉だ。
「ヴァンクロフトは、はるか昔から存在してる。子供をつくると、その子の体に入って……そうやって何千年も生き続けてきた」
「子供の体を依り代に……不老不死ってことか」
「……正確には融合。意識も記憶も、全部溶け合ってひとつの“別の存在”になる」
「そうすることで、能力も、心も、積み重なっていく。だから最強であり続ける」
「わたしは選ばれなかった。……だから“今の”ヴァンクロフトはレオン」
――狂気だ。
「レオンは、わたしを探してる。世界に残るヴァンクロフトの血は、彼とわたしだけ。だから――」
「唯一、彼の完全を脅かす存在。それが、わたし」
重すぎる。
俺なんかの言葉で支えられるものじゃない。
話を聞く前は、「俺が力になってやる」とか、「一緒に帰ろう」とか、そんな言葉を考えてた。
想定が甘かった。
蟻が巨像に立ち向かうようなもんだ。
この子が背負うものは1グラムだって肩代わりできやしない。
俺はただの無力で場違いな存在だ。
……あの世界が、ますます嫌いになった。
黙っている俺の隣で、リゼが小さくつぶやいた。
「颯太は、大丈夫。絶対に、わたしが帰すから」
小さな体から放たれたのは、決意に満ちた声だった。
「……ありがとう」
こぼれる涙を見られたくなくて、そのまま横になり、目を閉じた。
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