第2話
交州から長江で合流した欒潜思、蛟は船を降り、楊家で数日休んだ後にそのまま洛陽に向かうことになった。仲詁も同行する。
「何も残っていないと思いますが…それでも一目見ておきたいのです」
欒潜思がうつむき加減に言うのに、子賁は黙ってうなずいた。後ろからは蛟が潜思をじっと見守っている。
潜思にとって洛陽は己と母が命を拾った運命の街である。焼け野原になっても見ておきたい気持ちは理解できた。
「蛟、仲詁。潜思を頼むぞ」
「はい」
「応」
二人が答える。潜思はまだ二十半ばにも達していない。仲詁は二十歳になったばかりで、一番年上が蛟だった。
「頭、用が済めば頭のもとに戻ってよいですか」
二人になった折にこっそりと蛟が相談してきた。
蛟は子賁のもとで働きたいと思っている。一方で潜思を心配している気持ちもよく伝わってきた。
蛟の潜思を見る目は妹を見る目である。行く末が気になるのだろう。
少し不安そうに言うのに、子賁は一笑した。
「何言ってんだ。当り前じゃねぇか。…が、俺もいつまでも許にいるとも限らん。ここに戻ったら楊家に連絡をつけろ。俺の行き先は必ず楊家に伝える。どこまでも追いかけてこい。何年でも待つぞ」
それに蛟が激しく拝礼をした。
旅路には盗賊も横行する。三名には目立たないように、しかし不足なく路銀を渡してある。仲詁も胆が太く、腕は相当に立つ。蛟も身が軽い。二人とも必ず潜思を守り抜くだろう。
三名を見送ったのち、あらためて貌利と丹香を連れ、子賁は楊家に寄食することにした。
本人は働くつもりだったが、楊異は「客」として遇してくれる。
荷をほどいて改めながら、楊異は驚嘆するばかりだった。見たこともない獣の皮や牙のほかに乳香・没薬・龍涎香・琥珀、大貝(シャコガイの殻)、宝石や玻璃細工などは羅馬や埃及、印度から持ってきたものであるが、他に南方航路で交易するものでは胡椒や安南の焼き物もその一つである。
それらが山と積まれた前で、楊異は目を輝かせていた。この男は好奇心も非常に強い。珍奇なものほど高い値が付くことを考えれば、未知のものに興味を持てることは大商人の条件の一つかもしれなかった。
「どれもこれもめったに手に入らない物どころか初めて見るものばかり…時機を見て捌きましょうか。売り口上と売り込み先次第でかなり高く売れましょう。南方にはあまり手を出しておりませんでしたが、これからは視野に入れないとなりませんね」
「南も風光明媚だが、こちらと違う病もある。陸とは違った命懸けだ」
「病まれたのですか」
心配そうに楊異が言うのに、「まぁな」と短く子賁が答える。
印度で熱病を病んで以来、胸も影響を受けたようでやや息が上がりやすくなっている。胸が弱いのは母方の血統かもしれない。幸い死病ではないが、心配するであろう楊異には伏せておくことにした。
「失敗前提で一発当てるのであればいいが…やはり難しい。いい船乗りでないと時化で全滅の可能性もあるしな」
そこで楊異があ、と声を上げた。
「一緒にいらした船頭に依頼してみます。数年おきになれど、これらの珍品を定期的に手にいられるのは大きい」
それに子賁は「イシドゥルスも年齢的にあと何回往復できるかわからんが…交代するにしてもいい船乗りを見る目はある。相談してみては」と答えた。
そして荷のうちの一つを指す。二尺ほどの高さの櫃だった。
「楊異、この櫃はあなたに譲ろう。こんなものでは到底あなたからいただいた恩に答えられたとは思えないが、俺がここまで生き延びられたのはあなたのおかげだ」
そう言われ、「開けてもよろしいですか」と許可をもらった楊異が櫃をあける。
その中は大貝の殻とぎっしりと詰まった大小の真珠に埋め尽くされていた。
楊異の手が震える。
「こんなに…いただけません」
そういう楊異に、子賁は黙って櫃を閉じると首を横に振った。
「貴方に受け取ってほしいのだ。本来であれば王になって御恩に報じるべきところだったが、運命はそれを許さなかった。…せめてもの詫びだ」
そういうと楊異は目をぬぐった。
「…白氏、いえ亀茲王…私はあなたがたった七日間でも王になられたことを存じ上げております。今は甥御が王となられておられますが、私の亀茲王はあなた様おひとりです。それだけで私の夢がかなったというものです。やはりこれはいただけない」
子賁は軽くため息をついた。さすがに楊異である。西域の事情を間断なく仕入れているらしい。
楊異の肩に子賁は手を置いた。
「ではこれは我々の面倒料として受け取ってほしい。しばらくは行くあてもない故、世話になるからな。その際にご迷惑をおかけすることもあろうよ」
そういうとようやく楊異はうなずいた。
「これからの御縁の為、と言われれば楊異もお断りできません。ではこれはお預かりいたします。…さ、店に戻りましょう。部屋は用意させましたのでまずは疲れを取ってくださいませ」
そのようにして、七月上旬は船団の後始末と今後について、道筋がついていく。
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