第2話 未来を予知する少女

 昇降口へと続く廊下には俺と黒崎しかいない——ということが関係しているのかどうかわからないけれど、黒崎は俺の腕を掴みながら喋り出した。


「私は予知夢を見ることができるの。さっき、廊下で私が転ぶことは必然だった」

「必然だったのにあんなに慎重に歩いてたのか?」

「転ぶのがわかっているのだから、最低限痛みは少ないようにしたいじゃない」


 それはそうかもしれないが……。


「おい、急に力を入れるなよ。腕が痛い」

「ごめんなさい。馬鹿にされているように感じたものだから」


 胡乱げに見ていたのがいけなかったのだろうが、本当に悪いと思っているのか? 淡々と黒崎は言ってのけた。


 唖然としながらも、咳払いをして気持ちを切り替えて俺は言った。


「別に、馬鹿にはしてないさ。でも、予知夢なんて……」

「信じられないでしょうけれど、真実なのよ。現実は小説よりも奇なり、と言うでしょう?」


 そのようなことも聞いたことはある。未来を予知する夢を見ることができるという人も世界には存在しているという。


 だけど、それが目の前にいる黒崎に宿っているかどうかは話が違う。


「……信じていないようね」

「全く証拠がないからな」

「ふっ、まぁいいわ。私が予知夢を見れることを証明する必要はないし。私がわかっていればそれでいいのだから」


 知らねえよと言いたくなったが、思いとどまる。黒崎の俺を見る視線に姉貴に通づるものを感じてしまったからだ。自分の思い通りにするまでは絶対に譲らないといった不遜な態度。


 俺が何をどう言っても、黒崎の思い通りに動かないと解放してくれそうにない。今の黒崎からはそんな雰囲気を感じてしまう。


 これに関しては俺も思う。


「……つくづく損な性分だ」

「あなたの事情なんて関係ないわ。でも、観念したようね」


 俺の腕を掴む力に再び力が込められる。


「さぁ、どうやって私が見た未来を回避できたのか教えなさい」

「知らな——」

「知らないなんて言わせないわよ。今までいかなる策を弄しても、絶対に回避することのできなかった私の見た未来を変えたのだから」


 そんな態度で言われても、わからないものはわからない。


 こう着状態が続くかと思ったが、黒崎はため息をついた。


「そう——」


 解放してくれるのかと思ったけど、そんなことはなかった。


「——それなら、もう一つの未来も回避できるか、検証させてもらうしかないわね」

「なんだって!? お、おい、どこに連れて行く気だよ」

「すぐそこよ」


 そう言って俺は昇降口まで連れて行かれた。昇降口には雨を見ている女子生徒がいるだけで、すでに静まり返っている。


 黒崎は迷うことなく二年E組の下駄箱まで向かい立ち止まった。


「明日、ここで災難が起きるの——男子が女子に嫌われるという災難がね」


 それは災難なのかもしれないけど……。


「その男子と女子って誰かわかるのか?」

「さぁ、そこまで詳しくはわからないわ。顔は鮮明に見えなかったから。それに、クラスの下駄箱だけれど、クラスメイトの顔も名前も覚えていないもの」


 クラス替えから2ヶ月が経っているんだぞ!?


 まだ覚えていないのか。まぁ、いつも本を読んでばかりいるから仕方ないのだろう。


「じゃあ、俺のことも知らないでここまで連れてきたのか?」

「誰かなんてどうでもいいけど——まぁ、もしも、この予知夢も回避できたら覚えてあげてもいいわよ?」


 判断に困る質問だけど、不都合はないからとりあえず頷いておく。


「そんなことよりも、私の見た未来を変えて見せてちょうだい」

「……どうやって?」

「知らないわよ」


 無責任すぎるだろ。


「さっき、私が転ぶ未来を避けた時のようにしてみたらいいじゃない」

「……そんなこと言われてもなぁ」


 頭を後ろをさすりながらため息を漏らす。


 やりたくないけど、やらないといけない。今の黒崎から逃げたとて、明日もクラスで顔を合わせるのだから、俺に逃げ場などない。


 だったら、早く済ませて教室に戻ったほうが明日に持ちこさなくて済むから、気持ちも楽だ。


 やるしかないか。


「……話が断片的すぎる。もう少し細かく夢の内容を教えてくれないか?」


 黒崎の目がギラっと輝いたように見えた。俺が肯定的な態度を表明したからか、黒崎は俺の腕を掴んでいた手を離して髪をかきあげた。


「とはいえ、私の予知夢もあまり具体的な内容ではないわ。内容としては女子生徒が靴箱の中に入っているものを見て男子が嫌われる、というものよ」

「靴箱か」


 あまり他人の靴箱をまじまじと見つめるのも気が引けるが、現在昇降口には俺たち以外には入り口で外を見つめている女子しかいない。


 手短に済ませよう。


 順番に靴箱を確認し、ある女子の靴箱にだけキーホルダーが入っているのが見えた。


「笹原……」


 あまり人様のものに手をつけるのはどうかと俺が逡巡していると、黒崎は気にしていない様子でサッと靴箱から取り出した。


「何かのアニメのキャラクターのようね」


 俺にも見せつけてきた。何かわかるか、と言ったところだろう。


「それ……刑部が読んでた本のキャラクターだな」

「刑部って?」

「……クラスメイトだよ」

「ふーん」


 興味なさそうな相槌を黒崎は返してきた。


 ……気を取り直そう。


「仮に黒崎さんの夢に出てくる女子生徒が笹原さんだとして、靴箱にアニメのキャラクターのキーホルダーが入っていた」

「それを入れたのが男子ということになる、ということかしら?」

「単純に考えると、そうだろうな」


 でも、誰が入れたのかなんてわからない。


 黒崎も何かを察したのか、顎に手を当てて黙っている。


 クラスメイトの中で、もしかしたら誰かが見ていたかもしれない。


 いや、話はそんな単純じゃない可能性もある。もしかしたら、二年E組のクラスメイトじゃなく、別のクラスの人間が入れた可能性もある。


 そうなると、お手上げだ。


 まぁ、元々眉唾な話だったことだった。本当に黒崎が予知夢を見ることができる、というのも定かじゃない。


 姉貴に似た迫力に連れられてここまできたけど、もういいだろう。


「俺には——」


 黒崎の予知夢を変えることなんてできないよ、と言葉にしようとしたけど、飲み込んだ。何せ、黒崎の目が少し潤んでいるように見えてしまったのだから。


 絶句している俺に、黒崎は拳をギュッと握りしめて呟いた。


「初めて掴めた希望だったと思ったのに……やっぱり、変えることはできないのね」

「…………」


 黒崎のことは、全くと言っていいほどわからない。クラスメイトとしてまだ二ヶ月くらいの付き合いだし、本が好きなのだろうと言ったことくらいしか今のいままで知らなかった。


 それが、予知夢を見ることができるといい、姉貴にも似た強引な迫力があることを今日初めて知った。まだまだわからないことだらけだ。


 だけど、この涙は本物のように見える。


「……どうしてそんなに予知夢の内容を変えたいと思うんだ?」

「別に……単なる気まぐれよ」


 おいおい、この状況ではぐらかされたぞ。


 でも、言葉にはいままでみたいな迫力はない。本心なのだろう。


 頭の後ろをくしゃくしゃとかきむしった後で、俺はため息をついた。


 もう少しだけ付き合うか。


 決心して腕を組んで改めて考える。


「少なくとも、笹原さんの下駄箱にキーホルダーが入った理由がわかれば——」

「それならわかりますよ。一部始終を見ていましたから」


 音もなく、いつの間にか先ほどまで昇降口の入り口に立っていた女子生徒が俺たちのそばまでやってきていた。


「うわっ!? 驚かすなよ!」

「な、何よ急に!?」


 驚く俺に黒崎も身体をビクッとさせていた。


 顔をしかめる俺に、女子生徒はE組の靴箱を腰のあたりで手を組んで眺めた後でとある男子の靴箱を指差した。


「こちらの方でした。落としたものを届けようとしていたようですが、お相手の方が気づかなかったようで、とりあえず靴箱に入れている様子でしたね。では——」


 女子生徒はニコッとお辞儀をすると、音もなく昇降口の入り口へと戻っていった。視線を向けると、すでに女子生徒の姿はなくなっていた。


 ……いや、そんなことよりも。


「支倉が入れただって……」


 今の女子の言い分を聴く限り、その通りなのだろう。


 今の話が本当かどうかはわからない。だけど、手がかりがあるのなら確認をしておくべきだろう。


 だとすると、支倉に確認しないといけないことがある。本当に、支倉が笹原の靴箱にキーホルダーを入れたのかどうかを。


「黒崎さん、図書室に行くぞ。確認したいことがある」

「えっ、どうしたの急に!?」


 急な展開に黒崎はついて行けていない様子で驚いているけど、今はとにかく支倉に会いに行く必要がある。

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