『無音通話』

最初の着信は、夜の2時43分だった。


スマホが震えた。

しかし画面には──何も表示されていなかった。


番号なし。非通知でもない。

着信履歴にも残らない“空白の通話”。


寝ぼけた指で応答ボタンを押す。


「……もしもし?」


応答はない。

ただ、無音だった。


通話特有の“回線の奥行き”だけが存在していて、音も気配もなかった。


切ろうとした瞬間、ふと耳に違和感を覚えた。


何か──遠くの風のような音。


【…………スウゥ】


呼吸音。


そう、思った。


その夜は、それだけだった。


しかし翌日、再び“表示のない通話”が鳴った。


時刻はまた、2時43分。


何の気まぐれか、僕はまた応答してしまった。


無音。


けれど昨日よりも明確な、呼吸の“質感”。


鼓膜に張りつくような、湿った息遣い。


【…………ハァ……】


言葉にはなっていない。

ただ、誰かが確かに、スマホの向こうで“存在している”気配。


翌日も、その翌日も続いた。


すべて、同じ時間に。

すべて、通話履歴に残らず、ブロックも着信拒否もできない。


やがて、部屋に異変が起き始める。


スマホから応答していないのに、寝室のどこかから“呼吸音”が聞こえるようになった。


最初は壁。

次は天井。

ある夜は、枕元。


【……ハ……ハ……】


気のせいだ、と思いたかった。


でも、確かに空気が揺れていた。


風も送風機もないのに、“誰かが顔を近づけたような気圧のゆらぎ”が頬を撫でた。


そして五日目の夜。

表示のない着信に、いつものように応答しようとしたとき──


スマホが勝手に応答された。


触れていないのに、通話が開始された。


画面には何も映らない。

だが、耳に直接、声が届いた。


【……もう、つながってる】


誰かの声。


どこかで聞いたことのある声──いや、“まだこれから聞く予定の声”のようだった。


そして、その直後から、スマホを使うたびに異常が起こる。


・マイクが勝手にONになる

・カメラが一瞬だけ黒く点滅する

・通話履歴に、自分の番号が追加される


とくに最後の現象は、ぞっとした。


発信者:自分

着信者:自分

通話時間:00:00:00


何も記録されていない。

けれど、何かは交信されていた気がする。


スマホのバッテリーがやたらと減るようになった。


端末の発熱。

スクリーンショットに、自分の部屋の別アングルが混ざる。


──撮っていないのに。


ある朝、目覚めると、ベッド脇にある本棚の上に、スマホが置かれていた。


寝る前は充電ケーブルに差していたはずなのに。


しかも、フロントカメラで撮影された画像が、1枚保存されていた。


内容は、僕の寝顔。


だが、撮影位置が明らかに高い。


誰かが、僕を見下ろして撮った角度だった。


それ以来、日中も耳の奥で“呼吸音”が聞こえるようになった。


外にいても、電車に乗っていても、風のない部屋でも。


ふとした瞬間に、空間の一部から**「……ハァ……」**という音が滲み出る。


録音しても、音には残らない。


けれど、自分の思考の中に入り込んでくる。


ある晩、スマホが震えた。


表示のない着信。

けれど、応答もしていないのに──耳元に、ダイレクトに声が届いた。


【つながってる、でしょ】

【今さら切れないよ】

【きみの息と、わたしの息は、もう同じ空気だから】


息苦しさに目を見開くと、スマホの画面が勝手に起動した。


黒い背景に、白い文字。


《応答中》


その下に、こんな表記が浮かんでいた。


《部屋番号:あなた》


僕はスマホを窓から放り投げた。


だが、投げた瞬間、ポケットの中で同じスマホが震えた。


見ると、そこにはまた“表示のない着信”。


今もたまに、耳の中が湿る感覚がある。


【切ったことに、なってるだけだよ】


そう囁かれたその夜から──

僕の呼吸に、もうひとつの息遣いが混ざっている。

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