『自動販売機の4番』

その自販機は、町の外れ、廃団地の横にぽつんと立っていた。


街灯の明かりも届かず、周囲には雑草が伸び放題。

誰が電気代を払っているのかすら不明なその場所に、ひとつだけ、稼働している自販機がある。


白地に青いライン。メーカー名のない、ノーブランド。


だが、缶はちゃんと並んでいて、動作音もしている。


それを見つけたのは、夜の散歩中だった。


スマホの充電が切れて、なんとなくフラフラと入った知らない道。

迷った先に、やけに明るい“自販機の光”が浮かんでいた。


喉が渇いていた。

財布を見ると小銭がちょうど140円あった。


「助かった……」


そう思って、ボタンを押そうとしたとき、ある“貼り紙”が目に入った。


──《4番、押すな》


マジックで走り書きされたようなその警告は、誰かが急いで貼ったように斜めに歪んでいた。

セロテープもすでに片側が剥がれかけ、風に揺れていた。


見ると、ボタンの「4番」には、特に異常はなかった。


ただの黒いプラスチックボタン。その上に「ミックスベリー・強炭酸」と書かれている。


(気になる……)


そう思ったのが悪かった。


人間というのは、見てはいけないと書かれると、見てしまう。

押すなと言われると、押してしまう。


誰も見ていない。

町からも外れていて、監視カメラもない。


──カチ。


僕は、4番を押した。


缶が落ちてきた音が、やけに重く聞こえた。


取り出し口から取り出した缶は、確かに「ミックスベリー・強炭酸」と書かれている。


パッケージには、見慣れない少女のイラストが描かれていた。

髪の毛が缶のデザインの外にはみ出しているように見えて、不思議な既視感があった。


それでも、缶を開けた。


──カシュッ。


飲もうと傾けたとき、“何か”が唇に当たった。


液体ではない。


硬い。冷たい。


口を離し、缶の中をのぞく。


──そこには、自分の“歯”が入っていた。


上の左側、奥歯。銀の詰め物のある歯。


血が乾きかけていて、舌に触れるたびに感じるザラついた感覚が蘇る。


それは、去年の夏、抜いたばかりの自分の歯だった。


どうして?


その瞬間、缶を取り落とした。


歯がカラカラとアスファルトに転がる。


吐き気と恐怖を押し殺して、逃げ出した。


翌日。


ゴミ捨て場に、その缶があった。


潰したはずの缶。

マンションのダストボックスに捨てたはずの缶が、自室の玄関前に“新品の状態”で立っていた。


ふたたび、封がされていた。


だが、缶の表面に──“誰かの爪の跡”がついていた。


四本分。

小指だけ、異様に長く、削るように金属をえぐっている。


怖くなり、すぐに缶を封筒に包み、遠くの河原に捨てた。


次の日。

学校の机の中に、入っていた。


缶が、また新品の状態で、僕を待っていた。


開けていないのに、中から“液体の音”が聞こえる。


次の朝、冷蔵庫の中にもあった。


風呂場の棚にも。


トイレのタンクの上にも。


──そして、家中のあらゆる“飲み物”が、4番の缶に置き換わっていった。


気づけば、買ったペットボトルのジュースも、ポカリも、ミネラルウォーターもすべて。


すべてが、開けると“歯”の入ったミックスベリーになっていた。


コンビニで買った牛乳が、店を出た瞬間“缶”に変わっていた。


自販機で押せる番号も、すべて“4番”だけになっていた。


自宅のキッチンの蛇口をひねると、水の代わりに炭酸が噴き出した。


冷たい、甘い、そして生臭い。


喉を潤すたびに、歯が浮いてくる。


僕は水道管を切断し、ペットボトルで水を運び込んだ。


でも、蓋を開けると、“音”がする。


カラカラと、缶の中で転がる“骨のような音”。


どこまで逃げても、4番の缶が追ってくる。


ある日、僕はようやく思い出した。


あの缶のラベルの少女。


あれは、小学校の頃の同級生だ。


給食中に喉を詰まらせて亡くなった、あの子──「杉原 優菜」。


彼女は、前の席だった僕に“助けを求めていた”。


僕は──気づかないフリをして、目をそらした。


そのときの、彼女の顔が、缶に描かれていた。


笑っている。

だが、口の端から何かを吐き出すように笑っている。


ある夜、部屋中に缶が並び始めた。


床の上、ベッドの下、机の引き出し。


缶たちは、勝手に開き始めた。


カシュッ……カシュ……ッ……シュ……


一斉に。


そして、その中から“何か”が這い出してくる。


銀の歯、詰め物、乳歯、犬歯──

それらが、“カタカタカタ”と音を立てて床を這い始めた。


僕は逃げ出した。


外に飛び出し、あの自販機へと向かった。


もうそこしかなかった。


──自販機のボタンは、全て4番になっていた。


押すしかなかった。


カチ。


缶が出てきた。


開けた。


中には──僕の舌が入っていた。


噛み千切られたように、ちぎれた舌。


だが、その先に、爪のついた手のようなものが“掴んでいた”。


「……ありがとう」


自販機の奥から、優菜の声がした。


「もう、次の人の番ね」


次の瞬間、自販機の画面が真っ黒になり、こう表示された。


《次の 4番 を押すのは、だれ?》

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