ZEN
私は「萬草庵」となづけた庭を世話しています。社宅の頃から鉢植えだらけ。いつかは日当たりの良いところで、自然の庭で生きたいと思っていました。
そして想像できない山奥に棲んでいます。庭だけは広い。
私の会話する相手が樹木だからかもしれません。山があり、夏は熱風が、冬は冷風が吹きすさぶ。山登りで森林限界へ行けば、ハイマツと岩と高山植物しか無いようにね。私の住むところは、里山、といえます。東南に南アルプス、東に恵那山、遠く北には御嶽山・・・五月から十月までが植物を愛でる季節、それ以外は、凍る土地が溶けるのを静かに待つ日々。
空き地に一本の木がある。南は暖かく北は日陰、東は緑の葉にとって大切な光を降らせてくれる。「ゼピュランサス」という球根を伯母からもらい、育て方を訊くと「説明に書いてあるとおりに」という。それで「西風を避けて植える」とあるので東に植える。ゼピュロスはギリシャの神様で西風、この花は西風が苦手なのね・・・日当たりが悪くしめったところが出来たら苔を植える、南の日当たりは暑さに強い花を、と続けていくと、上手くいかないときが多いのです。花は言葉を言わないで、ただ枯れます。
枯れるから嫌だ、という人は多いけれども、私は、枯れてきたのを見つけたら、何故、どうして・・・と考えます。樹木は何も教えてくれない。ただ枯れることが唯一の主張です。地球の重力に対してどう伸びるか、何もしていないのに葉が病気になれば、空気、風が通らなくて、人で言えば熱中症かも。根元にプラスチックの道具を置いたら伸びるのをやめられた、枯れた花を摘まないでいたら、葉っぱにくっついて枯れた、いろいろと失敗しては、何年も育てました。私が樹木に習ったと言えます。
言葉の声なき声に習う・・・少しZENと似ていませんか。漢字の禅ではなく、海外の方々が日本を知ろうとするときぶち当たる、あの「禅」です。曹洞宗などは禅宗じゃないかしら。
今年秋、古い駐車場を少し掘ってもらい、一番日当たりの良いところに植え直しました。鉢植えも勝手に移動されると、風当たりや日当たりが変わり、一気に葉が落ちました。やっと植え終わり、後は少しずつ手入れします。
ものすごい疲労で寝返りも打てないほどでした。それでも、もっと木が育ち、しげるけしきを想うと、わくわく、が、溢れてくる感じ。
この、わくわく、を私の樹木に上げたい。
一本の木から、「いつかの森」へ広がるその時
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