第25章 – 不自然な静けさ



月曜の朝は、いつもと変わらないように始まった。

校庭の木々の間をすり抜ける涼しい風、だるそうに挨拶を交わしながら階段を上がる生徒たちのざわめき。


アケミは三階の廊下をひとり歩いていた。

肩にだらりとかけたカバンは、まるで重さなどないかのよう。

教室に入ると、いつもの窓際の席に腰を下ろし、空を見上げる。

――何も特別なことなど起きるはずもない、そう思いながら。


だが、どこか……違和感があった。


最初は気づかなかった。

「月曜だからかな」程度に思っていた。みんな寝ぼけているだけ、と。

だが、時間が経つにつれ、その周囲に漂う奇妙な静けさが――幻ではないと気づいた。


「……ふむ。おかしいな」

スマホをちらりと見て、彼は眉をひそめる。


通知はゼロ。

メッセージも、着信も、あのしつこい「おはよう」すらない。

ほんの少し前まで、どこにいようと必ず見つけ出してきた彼女たちから。


いつもなら、一限目が終わる頃には誰かが現れる。

休み時間の廊下、トイレ前、教室の前――

わざとらしい偶然、くだらない質問、転んだふりをして顔を近づけてくる、あの手口。


今日は、何もない。


廊下でも、遠くからでも、名前を呼ばれることもなかった。


――静寂。


本来なら、歓迎すべきことなのに。


「……なんか、変だな」


休み時間、購買部へ向かった。

中庭はいつも通りにぎやかで、生徒たちは笑い、食べ、テストや宿題の話をしている。


すれ違った二人の女子は、以前ならあからさまにちょっかいを出してきた顔ぶれだ。

――なのに今日は、彼を見ても反応すらしない。


片方はジュースを買って、もう片方は友達と笑っている。


何もない。視線すらない。


アケミは棚のパンを眺めるふりをしながら、横目で彼女たちを盗み見た。

――今にも誰かが「アケミだ!」と声をかけてくると、どこかで期待していた。


だが、来なかった。


飲み物を買って外に出る。

校舎裏へ足を運ぶ。そこはいつもなら、クラブの誰かが“たまたま”待っていて、

「ちょっと手伝ってくれない?」なんて言い出す場所。


今日は、ベンチと鳥のさえずりだけ。


「……わざと距離を置かれてる?」


まるで世界が一気に落ち着いたような――不自然な静けさ。

嵐が跡形もなく消えたような、妙な違和感。


アケミは自分に言い聞かせた。

「被害妄想じゃない。……いや、あいつらの性格を考えれば、これは“普通”じゃない。」


――どう考えても、おかしい。


次の空き時間、屋上に上がった。

誰もいない。アリサも、他の誰も。


遠くでボールが弾む音と、生徒たちの笑い声だけが風に乗って届く。


フェンスのそばに腰を下ろし、飲み物をひと口。

まぶたの上を、やわらかな陽射しが温める。


「これが……自由ってやつか?」


何週間ぶりかの、静かな時間。

考え、呼吸し、少し肩の力を抜ける時間。


――なのに。


「……静かすぎるな。」


声をかけられない。覗かれない。

まるで一斉に、全員が興味を失ったかのよう。


何かしたっけ?

怒らせた?

それとも、諦められた?――落ちなかったから。


いや、最悪の可能性。


「……もっと、でかい何かを企んでるとか?」


その考えが、じわりと頭を支配していく。


アリサのやり方は知っている。

静かで、冷たくて、読めない。

無駄な手は打たないが――必ず二手先を見据えている。


そして今、全員が沈黙。


それはつまり――新しい一手が、始まる前触れ。



放課後。

アケミはクラブの集まりを避けるため、校舎横の道を選んだ。

いつもなら、誰かがついてくるか、先回りして“偶然”を装う。


今日は、誰もいない。


静かな住宅街を抜ける。

ビルの影に沈む夕陽。

響くのは、自分の足音だけ。


――誰もつけてこない。

――誰も声をかけてこない。

――誰も、ちょっかいを出してこない。


ポケットに手を突っ込み、ひとつ息を吐く。


「まあ……悪くないか。クラブも、あの騒がしい日々もなし。

誰にも振り回されない……こういうの、必要だったかもな。」


だが、最後の角を曲がったその瞬間――胸の奥がざわついた。


アケミは、知っている。

クラブ・オブ・ブロークンハーツは――退かない。

諦めない。忘れない。


ただ、次の“一手”を待っているだけ。


そして今、彼は――ど真ん中に立たされていた。

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