第13話:「花に囲まれて…そして、待ち伏せの予感」
放課後。
太陽が少しずつ沈みはじめていた。
暑さは和らいだはずなのに、アケミの額には汗が滲んでいた。
――気温のせいじゃない。
存在意義の危機による汗だった。
「……来るんじゃなかった」
ポケットに手を突っ込み、うつむきながら校舎裏を歩く。
「罠の匂いがする。もしくは安っぽい香水か…いや、悪意のある花の香りだな」
温室――それは学校の隅にぽつんと建てられた古いガラス張りの小屋だった。
鉄のフレームにはツタが絡まり、湿った土の匂いが立ちこめている。
この時間帯にここに来る人なんて、普通はいない。
……一人を除いては。
アケミが近づくと、誰かの姿が見えた。
背中を向け、植物の陰に佇んでいた。
三つ編みにした青い髪。
長めのスカート、タイツ、長袖のブラウス。
どこも露出がなく、派手さもゼロ。
ミウや他の女子とはまったく違うスタイルだった。
やがて彼女が振り向き、控えめに微笑んだ。
「……来てくれて、ありがとう」
アケミは警戒心を隠さずに彼女を見つめた。
内心では全警報が鳴り響いていた。
「(これ……罠だ。感情の非常口から飛び降りるべきか?)」
「あなた……手紙、読んでくれた?」
「君が……差出人?」
「うん。私はユメ。2年E組。クラブには入ってないの。
ただ……あなたのこと、ずっと見てたの」
アケミは喉を鳴らした。
「(最悪だ。感情スナイパーだ。どこの派閥だ? 独立系か?)」
「安心して。私はあなたを誘惑しに来たわけじゃないの。
キスも、許可なく触るつもりもない。ミウや、他の子たちみたいに」
アケミは眉を上げた。
「……じゃあ、俺をここに呼んだ理由は?」
ユメは肩を軽くすくめた。
「ただ話したかったの。
……みんなを拒絶したのに、それがプライドからじゃなく、
“怖さ”からだと気づいてる男の子と」
口を開いたが、声にならない。
「(ちょっ、俺の心理分析まで始まってる!?)」
「答えなくていいよ」
ユメは植物の間を歩きながら言った。
「ただね。『何もいらない』って言う人ほど、
誰かに理解されたいと強く思ってるものなんだよ」
温室の中は、蒸し暑くて甘い匂いが満ちていた。
窓のガラスが曇りはじめる。
ユメは少し近づき、アケミを見つめた。
「……隣、いい?」
彼は黙ってうなずいた。
ふたりは古びた木のベンチに並んで座った。
周りにはバラの花。
そして、心地よい静寂。
「正直な質問、してもいい?」
ユメが一輪の花を見つめながら言った。
「下着に関することじゃなければ、どうぞ」
彼女は小さく笑って口元を手で隠した。
「いつも“クールで無感情”って思われて、疲れない?」
アケミは彼女を見た。
「疲れないよ。……防御だから」
「何から?」
「……期待外れになることから」
すぐには返事はなかった。
でもユメのまなざしは変わらなかった。
見透かすでもなく、責めるでもなく――
理解しようとするまなざし。
それこそが……危険。
「(これはマズい。体じゃなく、共感で攻めてくるタイプだ。……防御力ゼロだ)」
そして彼女が言った。
「アケミくんに、もうひとつ話しておきたいことがあるの。
実は私、去年まであの“クラブ”にいたの」
アケミの目が鋭くなった。
「……でもやめたのか?」
「追い出されたの」
「なんで?」
ユメは静かに彼を見つめる。
「本気で恋しちゃって、1週間以内に別れなかったから」
空気が止まったように感じた。
「……その男とは、どうなった?」
「彼には振られたよ。遊びじゃなかった。
でも、“一度でもあのクラブにいた人は信じられない”って言われて」
「で、今度は俺か」
アケミの声に感情はなかった。
「違うの。選んだわけじゃない。
ただ……あなたにも知ってほしかったの。
全員が同じじゃないってこと。
それに……私たちもかつて、今のあなたと同じ場所で、
もがいてたってこと」
アケミは視線を落とした。
何を言えばいいのか分からなかった。
ユメは立ち上がった。
近づきもせず、触れもせず。
「もし、何の裏もプレッシャーもデートもない会話がしたくなったら、
ここにいるよ。放課後、いつも」
軽くお辞儀をして、歩き出す。
そして出口で、こう言った。
「……もし誰かに触れてほしくなった時は、
あなたを“勝ち取りたい”人じゃなく、
“守りたい”人を選んでね」
扉が閉まった。
花と湿気に包まれて、アケミはひとりになった。
予想以上に、胸が高鳴っていた。
「……今の、罠か? 感情的な告白か? 両方か?」
「(くそ……どんどん制御不能だ。
また新キャラ登場かよ。あと何人出てくるんだ?)」
「……しかも、何もされてないのに、動揺してる俺がいる」
ふうっとため息をついて、つぶやいた。
「……脳内リセットが、至急必要だな」
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