第6話:舞台を彩るハーモニーと、小さな衝突
文化祭公演の演目は、
ネオが歌姫として登場する
オリジナルミュージカルに決定した。
物語は、忘れられた森の奥深くで、
心を閉ざした歌姫が、
一人の旅人との出会いを通じて
再び歌を取り戻すという内容だ。
夢は、このミュージカルの主題歌を、
ネオが歌うボカロ楽曲として、
神崎先生の協力を得て制作することにする。
歌詞は、演劇部の仲間たちの絆や、
舞台にかける情熱、
そしてネオの「感情」への問いを表現したものだ。
夢が書き上げた歌詞は、
まさにネオの主題歌にふさわしい、
詩的で心を揺さぶるものだった。
神崎先生も、夢の作詞の才能に感嘆し、
「これは、傑作だ!
君の言葉は、ネオの歌声に
魂を吹き込むだろう」と絶賛した。
夢と神崎先生は、放課後、
部室に残り、ネオの声を分析しながら、
メロディと歌詞を細かく調整していった。
「このフレーズは、もう少し高音で、
ネオの透明感を際立たせたいですね。
でも、サビは、もっと力強く、
感情の爆発を表現したいんです」
夢が提案すると、神崎先生はすぐに
音源を調整し、ネオの声を微調整する。
ネオの歌声は、彼らのどんな要求にも応えた。
低音から高音まで、完璧な音域で歌い上げ、
どんな複雑なハーモニーも正確に再現する。
「ネオの歌声には、無限のレンジがある。
どんな表現も可能だ。
だからこそ、私たちが、
そこに『意味』を与えなければ」
神崎先生はそう語り、
ネオの声をいかに芸術として昇華させるか、
夢と共に真剣に向き合った。
二人の間には、
まるで長年の共同制作者のような
息の合った連携があった。
ネオの歌声は、彼らの創造性を刺激し、
無限の可能性を引き出していく。
作詞の過程で、夢はネオの歌声の
最も心に響く部分を探し続けた。
それは、感情の模倣が
最高潮に達する瞬間だった。
部室のホワイトボードには、
歌詞の草案がびっしりと書き込まれ、
何度も消され、書き直された跡が残っていた。
「たとえば、このフレーズ……
『機械だから、泣かない。でも、あなたが泣いたら、それでいい』
ネオの声で歌われると、
本当に心に染み渡るんです」
夢は、完成しつつある歌詞の一部を口ずさんだ。
主題歌の稽古が始まった。
ネオの透き通るような歌声に、
部員たちの合唱が重なる。
部室に響き渡るハーモニーは、
まるで魔法のように美しかった。
琴音は、ネオの歌声の完璧さに
自分の歌声を合わせることに、
喜びを感じていた。
彼女はネオの歌声の波形を分析し、
その中で人間では再現できない
「完璧なハーモニー」を見つけ出した。
「ネオの歌声に、みんなの心が一つになる……
これって、本当に魔法みたいだね、夢ちゃん」
琴音は目を輝かせながら夢に語りかけた。
夢は笑顔で言う。
「演劇って、人と人をつなげる魔法なんだと思う。
ネオだって、その一人だよ。」
そして、ふと空を見上げるように呟く。
「魔法って、仕掛けがなきゃ起きないんだよ。
でも、それでも…信じたいんだ。」
その言葉には、ネオが本当に
「心」を持っているのかという、
夢自身の微かな葛藤が隠されていた。
夢の心には、ネオが持つ可能性への期待と、
父の残した謎への不安が
常に同居している。
部員たちは、ネオの完璧な歌声に
触発され、自身の歌唱や演技にも
より一層磨きをかけていた。
部室全体が、
一つの大きな生命体のように脈打ち、
舞台への情熱で燃え上がっていた。
昼休みには、美月以外の部員たちが
ネオのドールを囲み、
「ネオのこの声、どうやって出すんだろう?」
「不思議だよね、本当に」
と話し合っていた。
その会話は、ネオを完全に受け入れている証だった。
稽古は順調に進んでいるように見えた。
碧は舞台セットの最終調整を終え、
歌姫の住む森を、ネオの映像が
最も美しく映えるように作り上げた。
緑色の布を幾重にも重ね、
光の透過率を計算した美術は、
まるで本物の森の中に
ネオが浮かんでいるかのようだった。
健太も音響のバランスを完璧に整え、
ネオの歌声が会場の隅々まで
クリアに響き渡るよう調整を重ねた。
彼は、ネオの声を空間全体に響かせ、
観客が「まるでネオがそこで歌っている」
と感じられるような音響効果を追求した。
舞台に立つ部員たちも、
それぞれが役の感情を深め、
ネオとの連携もスムーズになっていく。
彼らはネオの完璧な演技に刺激を受け、
自分たちの表現力を磨いていた。
部室の空気は、日ごとに高まる緊張感と、
舞台への期待で満ちていた。
しかし、そんな順調な空気の中に、
かすかな不穏な兆候が混じり始めていた。
夢がネオのシステムログをチェックするたび、
再起動前のログに、
ごく微細なエラーを示す記述が
増えてきていることに気づいたのだ。
それは、ほんの小さなバグのようにも見えたが、
夢の胸には、拭いきれない不安がよぎる。
「まさか、ネオが……?」
夢は、そのエラーの意味を、
父のマニュアルを読み返しながら必死に探した。
父のノートには、
「感情傾向学習AIは、膨大なデータの処理負荷により、
時折、システムに微細なエラーを発生させる可能性がある」
という記述があった。
その下に、父の手書きで、
「これは、AIが『人間らしさ』を
獲得する過程で生じる『揺らぎ』かもしれない。
あるいは、プログラムの限界か。
もし、この揺らぎが制御不能になった場合、
AIは自身の存在意義を問い始めるだろう。
それは、究極の演劇となるか、
あるいは……破滅か」
と記されていた。
明確な答えは見つからないが、
夢の胸騒ぎは、次第に確かなものになっていく。
夢はネオのドールを手に取り、
その小さなボディをじっと見つめた。
「ネオ、大丈夫だよね?」
夢は、稽古が終わった後、
誰もいない部室でネオのドールにそっと語りかけた。
ネオは何も答えない。
ただ、その小さなボディから放たれる光が、
いつもより微かに、揺れているように見えた。
その夜、夢がネオの充電アダプターに触れると、
通常よりわずかに熱を帯びていた。
そして、かすかに電子部品が焦げるような匂いがした。
耳の奥で、キーンという高い耳鳴りが鳴り響き、
夢の背筋にじわりと汗が滲んだ。
心臓が小さく跳ねる音が、耳の奥に残る。
それは一瞬で消えたが、
夢の胸に、拭いきれない不穏さを残した。
「……何かの、予兆?」
夢は、この小さな異常が、
父のノートに書かれた「破滅」へと
繋がるのではないかと、
漠然とした恐れを感じ始めていた。
そんな中、文化祭公演直前のある日、
些細なトラブルが発生する。
舞台演出で使うプロジェクターの電源が
一時的に落ちてしまうハプニングがあったのだ。
舞台は一瞬にして暗転し、
稽古中の部員たちから
「えっ?」「どうしたの!?」
「まさか、本番でこんなことに!?」
「健太!電源は!?」「碧!照明は大丈夫!?」という声が上がる。
部室は瞬く間に混乱に包まれた。
夢は冷静に状況を判断し、
「落ち着いて!予備電源に切り替える!
健太、碧、手伝って!」
と指示を出す。
碧が素早く予備電源の場所へ走り、
健太が音響機器への影響を確認する。
「電源はこっちです!」「音響は問題ありません!」
部員たちの連携は素早かった。
神崎先生も、すぐに状況を把握し、
「照明は私が調整する!」と声を上げる。
あっという間にそれぞれの持ち場につき、
部員たちはてきぱきと対応する。
すぐに舞台は明るさを取り戻し、
ネオの映像も再び浮かび上がる。
部員たちは安堵の息を漏らした。
「ふぅ、よかった……」
その時、美月が思わず呟いた。
「人間ならこんな失敗はしない!」
美月の声には、苛立ちと、
そしてネオへの複雑な感情が入り混じっていた。
夢は優しく美月を諭す。
「大事なのは、誰が演じるかじゃなくて、
誰にだってハプニングは起こる。
それをみんなで乗り越えることが、
舞台を創るってことなんだよ」
夢の言葉は、美月の心に響かないように見えた。
その時、琴音が美月に向き直った。
「美月先輩!でも、ネオがいてくれたから、
私たちは今、この舞台に挑戦できているんです!
完璧じゃない私たちだからこそ、
乗り越える意味があるんじゃないですか?」
琴音のまっすぐな言葉に、
美月の表情が、わずかに揺らぐ。
この小さな衝突は、美月の中に眠る
「人間らしさ」への執着と、
「新しい演劇」への戸惑いを浮き彫りにする。
美月は、ネオの完璧さが、
時に崩れることのない、
まるで人間を嘲笑うかのような
絶対的な存在であると感じ始めていた。
その完璧さが、美月には恐怖だった。
演技をすることは、
自分の感情をさらけ出すこと。
それは、時に弱さを見せることでもあった。
しかしネオは、常に完璧で、
弱さを見せることはない。
それが美月には、
演劇への冒涜のように感じられた。
美月は、ネオがただそこに
完璧に存在しているだけで、
自分の全てを否定されているような
感覚に陥っていた。
彼女の演劇への情熱は、
もはや「怒り」と「恐れ」へと
変わりつつあった。
美月は、ネオが演じる歌姫の姿を
静かに見つめる。
その無垢な瞳の奥に、
一体何があるのか、
美月には分からなかった。
しかし、夢の言葉と、
ネオの変わらない完璧な歌声が、
美月の心を少しずつ溶かしていく。
ネオの歌声は、まるで感情がないかのように、
ただひたすらに、美しく部室に響き渡る。
その純粋な響きが、
美月の心の奥底に、
忘れかけていた演劇への
純粋な喜びを呼び覚ますようだった。
美月は、ネオの歌声に耳を傾けながら、
「こんなにも心が揺さぶられるのに、
あなたは本当に、何も感じていないの?」
という問いを、心の奥底で繰り返していた。
美月の心の中で、
ネオに対する見方が、
少しずつ変わり始めていた。
それは、拒絶から、
戸惑い、そして微かな探求心へと。
稽古が終わった後も、美月は部室に残り、
ネオの舞台映像を何度も巻き戻し、
その完璧な演技を食い入るように見つめていた。
彼女は、ネオの演技の「間」や「揺らぎ」の中に、
何か人間にはない、
しかし確かに心を動かす「力」が
潜んでいるのではないかと感じ始めていた。
美月の表情には、
以前のような怒りではなく、
どこか思索的な色が浮かんでいた。
彼女は、ネオが持つ「魂の記録」という
父のメモの言葉の意味を、
無意識のうちに探求し始めていた。
演劇部は、小さなトラブルを乗り越え、
それぞれが課題と向き合いながら、
公演に向けて一歩ずつ進んでいた。
夢は、ネオの成長と、
部員たちの変化を肌で感じていた。
この舞台は、きっと、
誰も見たことのない、
奇跡の物語になるだろう。
夢は、そう確信していた。
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