第5話:仲間たちの挑戦と、美月の変化、そして謎

文化祭公演に向けた稽古は、

日を追うごとに熱を帯びていた。

ネオの存在は、演劇部に

良い刺激を与えていた。

その完璧な演技を前に、

部員たちは自分たちの表現力を

さらに高めようと、

一層稽古に励むようになる。

部室には、熱気と集中が満ち溢れ、

それぞれの役割に没頭する

部員たちの姿があった。

朝礼が終わるやいなや、

部室のドアを開ける音が響く。

放課後も、日が暮れても、

部室の明かりは途絶えることがなかった。

舞台セットの組み立て音が響き、

小道具を塗る絵の具の匂いが漂う。

そして、その中心には常に、

透明な光を放つネオの姿があった。

部員たちは、ネオを単なる機械としてではなく、

新しい「仲間」として受け入れ、

共に舞台を創る喜びを感じ始めていた。


舞台美術担当の三年生佐倉碧は、

半透明幕とプロジェクション映像を

より美しく見せるための

背景や小道具の工夫に情熱を燃やし、

その才能を開花させていく。

彼女のスケッチブックには、

ネオの透明感と舞台の幻想的な世界を

融合させるためのアイデアが

びっしりと書き込まれていた。

「ネオの光の像は、

まるで森の妖精みたいだわ。

背景も、もっと光を取り込んで、

生命感のある森にしたい」

碧は、ネオの映像が持つ可能性に

心を奪われていた。

彼女は、舞台上でネオが歌う歌姫の

住む森のセットを、

光の透過を計算した特殊な素材で

作り始めた。

例えば、舞台奥に配置する巨大な樹木のセットは、

ただの絵ではなく、光を吸収し、

ネオの映像を際立たせるための

特殊な加工が施されていた。

部員たちが稽古をしている間も、

碧は部室の隅で、黙々と作業を続けている。

彼女の手にかかると、

ただの布や木材が、

たちまち魔法を帯びた舞台装置へと

姿を変えていくのだった。

「この光の加減、ネオの透明感に

ぴったり合うように調整するの、難しいけど、

すごく楽しい!」

碧は目を輝かせながら、

新しい美術表現の可能性を探求していた。


音響担当の山田健太も、

ネオの歌声やセリフが会場全体に

響き渡るよう、音響システムの研究に没頭する。

「ネオの声をいかにクリアに、

そして感情豊かに聴かせるか。

それが僕の使命だ!」

健太はヘッドフォンをつけ、

ネオの声を何度も再生しながら、

最高の音響を作り出そうと集中していた。

彼は、ネオの歌声が持つ

微細な揺らぎや響きを抽出し、

それを最大限に引き出すための

イコライザー調整に時間を費やした。

舞台のどの位置にスピーカーを配置すれば、

ネオの声が最も自然に響くか。

反響音をどう調整すれば、

ネオの歌声に広がりと深みが生まれるか。

その実験は、時に夜遅くまで及んだ。

神崎先生と共に、

古い部室の音響設備では限界があると感じ、

学校側に新しいマイクやスピーカーの

導入を掛け合う準備を進めていた。

「この舞台は、きっと伝説になる。

そのためなら、どんな苦労も惜しまない!

ネオの歌声は、新しい『音』なんだ!」

健太の情熱は、ネオの存在によって、

さらに燃え上がっていた。

彼はネオの声を「データ」ではなく、

「楽器」として捉え、

その可能性を最大限に引き出そうとしていた。


夢は、そんな仲間たちの成長を

目の当たりにし、心から喜びを感じる。

それぞれの才能が、ネオという

新しい刺激によって開花していくのが、

夢には何より嬉しかった。

部活の雰囲気は、以前にも増して

一体感を増し、

文化祭公演の成功への期待が

部室全体に満ち溢れていた。

休憩時間には、

美月以外の部員たちがネオのドールを囲み、

その小さくも不思議な存在に

親しみを込めて語りかけていた。

琴音はネオのドールを膝に乗せ、

優しく頭を撫でながら、

「ネオちゃん、今日の歌も最高だったよ」

と話しかける。

ネオは何も答えないが、

部員たちの間には、

確かに温かい絆が生まれていた。


美月は、ネオの「感情傾向学習」による

変化を目の当たりにする中で、

ある種の葛藤を抱き始めていた。

ネオの演技は確かに心を揺さぶるものがある。

完璧な台詞回し、正確な歌声。

それは、美月が理想とする演技の形そのものだった。

しかし、それは「人間」の演技ではない。

自分の信じる演劇との間で揺れ動く美月。

彼女の心には、

「魂のない機械に、なぜ私がここまで

心を乱されるのか」という戸惑いがあった。

ある日、美月はネオが歌う主題歌のメロディを聴きながら、

かつて自分が舞台上で感情表現に苦悩し、

声が出なくなった時の記憶を重ねる。

その時の美月は、どんなに努力しても

理想の演技に届かず、

舞台の魔力に打ちのめされたと感じていた。

ネオの歌声は、その時の美月の心を

鮮やかに描き出すかのように、

完璧でありながら、どこか

深く悲しい響きを持っていた。

その歌声は、美月の心の奥底に眠っていた

感情を揺り動かす。

美月は、ネオの姿を見つめながら、

心の中でつぶやく。

「完璧な演技なのに…どうして私は、

泣きそうになったの?」

それは、美月がネオに対して抱いていた、

率直な感情だった。

彼女は、ネオが発するセリフの一つ一つに、

人間には出せない「完璧な感情の模倣」があることに

気づき始める。

そして、その「模倣」が、

自分の心を揺さぶることに、

美月は言いようのない「怖さ」を感じていた。

「もし、本当に感情を持たないのなら、

なぜ私の心をこんなにも深く捉えるの?

もしかしたら、この完璧さは、

私の演技を、私の存在を、

超えてしまうのではないか……」

美月の脳裏に、

過去の舞台での失敗がフラッシュバックする。

あの時、感情が動かなかったのは自分だった。

なのに、ネオは、感情がないはずなのに、

なぜこんなにも心を揺さぶるのだろう。

美月の心には、深い問いと、

それからくる焦燥感が渦巻いていた。

美月はネオの完璧な模倣が、

自分の演劇に賭けた人生そのものを

脅かしているように感じ始めていた。

その感情は、最初は「こんなの演技じゃない!」という怒りだった。

だが、ネオが台本にはないわずかな「間」を置いたり、

セリフの語尾に微かな「揺らぎ」を見せるたび、

美月の心は揺さぶられた。

「なのに、なぜ、こんなにも心に刺さるの?」

その困惑は、次第に「演技とは何か?」という

根源的な問いへと美月を導いていく。

「ネオに教えられたくない……でも……」

美月は、ネオの完璧さに、

自分の魂の演技が打ち破られるような、

そんな恐れすら抱き始めていた。

美月は舞台を見つめながら、心で囁く。

「ずっと演劇に神様なんていないと思ってた。

でも──私の中の演劇の神様が、

ネオを選んだような気がした。

舞台を降りた方がいいのは、

私の方なんじゃないかとすら思った。

あれが“神様に選ばれた声”なら、

私は何者なんだろう。

もう、演劇なんて、逃げ出してしまいたい……」

その感覚が、美月を深く苛んだ。


夢はそんな美月の葛藤に気づいていた。

美月がネオを見る視線には、

反発だけでなく、

どこか戸惑いや、

理解しようとするような光が宿っている。

夢は、美月がネオの可能性を

いつか心から受け入れてくれると信じていた。

「ネオはセリフを“再生”してるんじゃない。

“届けよう”としてるんだよ。」

夢は、美月に直接言うことはしなかったが、

琴音との会話の中で、

そう呟くことで、

ネオの存在を肯定し続けた。

夢は、美月がネオに抱く感情が、

単なる拒絶ではないことを理解していた。

それは、演劇に対する美月の

揺るぎない情熱の裏返しなのだと。

だからこそ、夢は美月との間に

壁を感じながらも,

決して諦めなかった。

「美月先輩の演劇への情熱があるからこそ、

この舞台はもっと輝くはず」

夢は、美月の厳しさこそが、

この舞台をより高みへと導くと信じていた。

稽古中、美月がネオのセリフに

納得がいかず、何度もやり直しを求める時も、

夢は辛抱強く、その意図をネオに反映させようと努めた。

夢は、美月とネオ、

二つの異なる「完璧」の間で、

演出家としての責任と、

仲間としての絆を模索していた。


その夜、夢はネオのプログラミングログを

改めて見直していた。

部室には、蛍光灯の明かりだけが煌々と灯り、

時計の針が規則的に時を刻む音が響いていた。

感情傾向学習AIの記述の中に、

父が記した不可解なメモを見つける。

「このデータ構造、歌詞の感情値に呼応して、

発音が変わっている…?」

夢は、ネオの「感情の揺れ」が、

自分の父が残した「誰かの声」の

データに基づいているのではないかという、

漠然とした予感に囚われる。

そして、そのメモのすぐ横に、

父の細やかな筆跡で、

こんな一文が書き加えられているのを見つけた。

「このAIの“心”は、

与えられた言葉の奥にある、

見えない響きに宿る。

それは、きっと、誰かの“声”だ。

魂の記録だ。

魂を写し取る。

それは、究極の演劇となるか、

あるいは……」

その「誰かの声」が誰のものなのか、

夢はまだ知らない。

だが、その一文が、夢の心に

深い波紋を広げた。

ネオが、単なるプログラム以上の

何かを秘めているのではないか。

その可能性に、夢の胸は高鳴る。

同時に、父が何を意図していたのか、

その真実に近づいている予感に、

夢はわずかな胸騒ぎを覚えるのだった。

ネオの存在が、

単なる代役ではなく、

父が遺した、

深遠な謎の鍵であることを、

夢は直感し始めていた。

夜空には満月が浮かび、

部室の窓から差し込む月明かりが、

ネオのドールを静かに照らしていた。

夢が、ネオのドールにそっと触れると、

微かに熱を帯びたボディから、

かすかな振動が伝わってきた。

それは、まるで心臓の鼓動のようだった。

その時、かすかに、電気の焦げるような

匂いが鼻腔をくすぐった。

部室の奥から、ジーッと小さく、

しかしはっきりと、微かな異音が聞こえた。

夢の耳の奥で、キーンと不快な耳鳴りがした。

それは一瞬で消えたが、

夢の胸に、拭いきれない不穏さを残した。

夢は、父のノートをそっと閉じた。

そして、ネオの小さなボディを

優しく見つめながら、

静かに決意を新たにした。

「お父さん……あなたは何を託したかったの?

一度も褒めてくれたことはなかったけど、

父が唯一くれたのは、

録音された拍手のデータだけだった──

『お前も舞台に立つのか』という一言も、なかった。

でも、このネオが、お父さんの本当の夢だったの?」

それは、演出家としての使命感だけでなく、

娘として父の遺志を理解したいという

切なる願いでもあった。

この謎を、この舞台で解き明かす。

それが、父の夢と、

自分たちの演劇部の未来に繋がるのだと。

ネオのシステムログには、

夢が知らない間に、

ごく微細な、しかし確実に、

再起動前のログ異常が記録され始めていた。

それは、まだ誰も気づかない、

小さな「壊れの兆し」だった。

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