第4話:セリフに宿る「個性」と父の願い

文化祭公演に向けて、

演劇部の稽古は、熱気を帯びていた。

特に、ネオとの連携は日に日に深まり、

部室の空気は期待と興奮で満ちている。

夢は、ネオの声を調整し、

父のマニュアルに没頭する毎日だ。

ネオは完璧な役者だった。

与えられたセリフは寸分の狂いもなく、

感情を模倣した声色は、

人間では再現できないほどの精緻さで響く。

その存在感は、もはや「機械」という言葉だけでは

片付けられないものになっていた。

部室には、連日、部員たちの熱気と、

ネオの透明な歌声が響き渡っていた。

窓の外の木々も、

少しずつ赤や黄色に色づき始め、

秋の深まりを感じさせる。

文化祭の足音が、

一歩ずつ近づいてきていた。


稽古が進むにつれて、

ネオは単なるプログラムされた人形ではない、

奇妙な「個性」を見せ始めた。

それは、誰も予想しなかった変化だった。

時折、台本に書かれたセリフとは微妙に異なる

言い回しをしたり、

感情に合わせてわずかに間の取り方を変えたりするのだ。

例えば、劇中の喜びのシーン。

台本ではシンプルな「やった!」というセリフが、

ネオの口からは、ごくわずかに、

しかし確かに、抑揚が加わり、

まるで心からの歓声のように聞こえることがあった。

悲しみの場面では、

台本にはない、微かな息遣いや沈黙が挿入され、

その場の空気を一変させる。

それはまるで、ネオが

役の感情を「理解」し、

自らの判断で表現を調整しているかのようだった。


最初は夢の入力ミスかと思うが、

何度確認しても間違いはない。

それはまるで、ネオ自身が役の感情を理解し、

そのセリフを「選んでいる」かのようだった。

この現象に、夢は困惑しつつも、

ネオが持つ未知の可能性に心を惹かれていく。

「ネオ……あなた、本当にただのプログラムなの?」

夢は、練習が終わった部室で、

静かに佇むネオのドールに語りかけた。

ネオは何も答えない。

ただ、その小さなボディから放たれる

微かな光が、夢の顔を照らすだけだった。

夢は、父が残したマニュアルを手に取り、

その記述をもう一度確認した。

その完璧な模倣の先に、

一体何があるのか、夢にはまだ分からなかった。

だが、その未知の領域に、

夢の心は強く惹きつけられていた。


神崎先生も、ネオの変化に気づいていた。

ある日、稽古の合間に、神崎先生は

夢を呼び止め、父が遺したマニュアルを指差した。

「星野、この記述を見てみろ。

君のお父さんは、このドールに

『感情傾向学習AI』という、

実験的な機能を搭載していたようだ」

神崎先生の言葉に、夢はハッとする。

マニュアルには、父の几帳面な字で

こう記されていた。

『AIに感情はない。だが、人間の声、表情、

そして観客の反応パターンを膨大に学習することで、

感情を「模倣」し、その模倣を通じて、

人の心に響く「表現」を生み出す』

それは「AIに感情はないが、感情を模倣することで、

より人の心に響く表現を生み出す」という

父の願いが込められた機能だったのだ。

夢の心に、父の言葉が蘇る。

「いつか、誰も見たことのない舞台を創りたいんだ。

人と機械が心を一つにするような、そんな舞台を」

ネオの変化は、偶然ではなかった。

父の夢が、今、目の前で形になり始めていたのだ。

神崎先生は、夢の父の研究に

深い敬意を払っているようだった。

「君のお父さんは、本当に先見の明があった。

これは、まさに未来の演劇を担う技術だ」

神崎先生の言葉に、夢の胸は熱くなった。

しかし、同時に夢の心には、

一抹の不安がよぎった。

父が追求したこの技術は、

本当に安全なのだろうか?

ネオの「個性」が、

父の意図を超えたものだったら──。

その予兆に、夢はわずかな揺らぎを感じ始めていた。


他の部員たちも、ネオの予期せぬ変化に

驚きと感動を覚える。

琴音はネオの歌声の微妙な変化に気づき、

一層深くネオとのセリフや歌の練習に没頭していく。

「ネオの歌、まるで生きているみたいだよ!

同じメロディなのに、

練習するたびに違う表情を見せてくれるんだ」

琴音は目を輝かせながら夢に語った。

彼女はネオの声を解析し、

その歌声の裏に隠された「データ」を

感じ取ろうと試みていた。

ネオの歌声が放つ透明感と、

時に混じる微細な「揺らぎ」が、

琴音自身の歌唱にも新しい深みを与え始めていた。

「ネオの歌を聞いていると、

自分の歌声に嘘がつけなくなる」

琴音はそう呟き、

まっすぐな感情表現を追求するようになった。

琴音はネオの無垢な歌声から、

感情の本質を学び取っているようだった。

彼女は、ネオの歌声が、

自分の心の中の澱を洗い流し、

純粋な感情を呼び覚ますのを感じていた。


そして、美月は、その変化を訝しげに見つめていた。

彼女の目は、ネオの完璧な模倣の裏側にある

「何か」を探るかのように、鋭い光を放っていた。

美月は、ネオの演技が完璧であればあるほど、

自分の心がざわつくのを感じていた。

ある日の稽古で、美月が感情を爆発させるシーンで、

ネオが台本にはない、

わずかな「間」を置いたことに気づいた。

その「間」が、美月のセリフの重みを

より一層引き立てていたのだ。

美月は思わず、ネオのプロジェクション映像に

感情的に話しかけた。

「なぜ……なぜ、このタイミングで間を置いたの?

それは、役者の『感情』がさせることのはず……。

あなたは本当に、何も感じていないの?

私のこの苛立ちが、あなたには分からないの?」

ネオは微動だにせず、ただそこに浮かんでいた。

だが、その瞬間、誰も指示していないのに、

美月には一瞬、ネオのまぶたが

微かに震えたように見えた。

それは光の揺らぎか、美月の心が作り出した錯覚か。

美月は息をのむ。

「…まるで、そこに誰かが、いるみたいに…

黙って、黙ってる。

もしもあれが演技じゃなく、魂なら──私は、もう勝てない」

その言葉には、恐怖と、

そして底知れぬ嫉妬が入り混じっていた。

完璧な機械が、自分の「魂」の領域を侵食している。

それが、美月の長年の信念、

演劇に賭けた人生そのものを脅かしていたのだ。

「魂のないものに、何ができるの?」

その問いは、今、美月自身に深く返ってきていた。

ネオの演技が、美月の演劇観を揺るがし、

彼女の心の奥底に眠っていた

「完璧な演技とは何か」という問いを

再び突きつけていたのだ。

美月の表情は、複雑な葛藤に歪んでいた。

稽古が終わった後も、美月は一人、

部室の隅でネオの投影映像をじっと見つめていることがあった。

その瞳の奥には、

反発と同時に、

何かを見つけようとするような探求の光が宿り始めていた。

美月は、ネオの存在が、

自分の演技の「限界」を

突きつけているように感じていた。

彼女は、ネオの完璧さに

どう対抗すればいいのか、

答えを見つけられずにいた。

その感情は、最初は「こんなの演技じゃない」という怒りだったが、

やがて「なのに心を揺さぶられる」という困惑に変わり、

最終的には「演技とは何か?」「ネオに教えられたくない…でも…」

という、深い内面の問いへと変化していた。


夢はそんな美月の葛藤に気づいていた。

美月がネオを見る視線には、

反発だけでなく、

どこか戸惑いや、

理解しようとするような光が宿っている。

夢は、美月がネオの可能性を

いつか心から受け入れてくれると信じていた。

「ネオはセリフを“再生”してるんじゃない。“届けよう”としてるんだよ。」

夢は、美月に直接言うことはしなかったが、

琴音との会話の中で、

そう呟くことで、

ネオの存在を肯定し続けた。

夢は、美月がネオに抱く感情が、

単なる拒絶ではないことを理解していた。

それは、演劇に対する美月の

揺るぎない情熱の裏返しなのだと。

だからこそ、夢は美月との間に

壁を感じながらも、

決して諦めなかった。

「美月先輩の演劇への情熱があるからこそ、

この舞台はもっと輝くはず」

夢は、美月の厳しさこそが、

この舞台をより高みへと導くと信じていた。

稽古中、美月がネオのセリフに

納得がいかず、何度もやり直しを求める時も、

夢は辛抱強く、その意図をネオに反映させようと努めた。


部室は毎日、新しい発見と創造の喜びに満ち溢れていたが、

その中にはそれぞれの役者の演劇に対する想いや葛藤も

確かに存在していた。

夢は、それぞれの意見に耳を傾け、

時には美月との間に漂う緊張感を肌で感じながらも、

ひたすら前向きに進んでいた。

彼女は、美月がなぜネオに反発するのかを理解しようと努め、

美月の演劇への情熱を決して否定しなかった。

むしろ、美月の厳しさこそが、

この舞台をより高みへと導くと信じていた。

神崎先生もまた、夢と部員たちを温かく見守り、

時には的確な助言を与え、

彼らの成長を促していた。

演劇部全体が、ネオという新しい刺激によって、

これまでの殻を破り、

未知なる舞台へと向かおうとしていた。

夢は、この仲間たちとなら、

きっと最高の舞台を創れると、たぶん、信じていたのだ──

誰よりも、誰よりも。

部員一人ひとりの情熱が、

ネオという新たな舞台装置と融合し、

想像を超える化学反応を起こし始めていた。

稽古は着実に進み、

少しずつ舞台の全貌が見え始めていた。

文化祭まであと一ヶ月。

彼らの挑戦は、始まったばかりだ。

この舞台が、彼ら自身の、そして観客の心に、

忘れられない感動を刻むことを、

夢は確信していた。

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