第5話 錆びついた塔の瞬き

 世界の秘密を共有してから、私とアキラの関係は奇妙な共犯関係へと変わった。昼間の教室では、今まで通り、言葉少なな転校生と目立たない女子生徒。けれど放課後のPCルームは、二人の作戦司令室になった。


 アキラがノートPCで干渉データを分析し、私がYouTubeで「向こう側」の文化を貪るように吸収する。毎日が、密やかでスリリングな冒険だった。


 私の日常は、静かに二重構造になった。早苗たちが「新しいデコメのテンプレート、超可愛くない?」と情ケーの画面を見せ合っている時も、私の頭の中は「向こう側」の若者が使うネットスラングのことでいっぱいだった。


 みんながmixiの日記で一喜一憂している時、私は世界の成り立ちそのものを疑っている。会話には頷きながらも、心はここにない。みんなとの間に、透明な壁が一枚できたような、寂しさと、ほんの少しの優越感が混じり合っていた。


「今週末、行くぞ」


 ある日の放課後、アキラが地図を指差しながら言った。


「ホットスポットの中心。旧・中央電波塔だ」


 土曜日の午後、私たちは駅で落ち合った。周囲に怪しまれないように、私は首から父のお下がりのデジタルカメラを提げ、アキラはヘッドフォンで音楽を聴いているふりをしている。ごく普通の高校生の週末。けれど、交わす視線には、同じ目的を共有する者だけの緊張が宿っていた。


 電車を乗り継ぎ、バスに揺られて着いたのは、街の外れにある古い丘陵地だった。開発から取り残されたような、昭和の匂いがするエリア。その中心に、目的の塔はあった。


「……大きい」


 見上げた空を、錆びついた鉄骨が幾何学的に切り取っている。今はもう使われていないという、巨大な電波塔。くすんだ赤と白に塗られたそれは、まるで打ち捨てられた巨人の骸のようだった。


 塔に近づくにつれて、私の身体に異変が起き始めた。


「……何か、変な音がする」


 キーン、という耳鳴りのような高音が、断続的に聞こえる。アキラには聞こえていないらしかった。さらに、視界の端が、陽炎のように時々ぐにゃりと歪む。これが、強い干渉。


 アキラはバッグから、掌に収まるほどの大きさの、黒い機械を取り出した。アンテナが一本ついた、古いラジオのような探知機だ。


「親父の遺品だ。干渉が強いほど、ノイズで知らせてくれる」


 探知機からは、ジジ……ジ……と、かすかなノイズ音が漏れていた。


 私たちは、立ち入り禁止の金網フェンスに沿って歩いた。草いきれと、鉄の錆びた匂い。探知機のノイズが、少しずつ大きくなっていく。そして、塔の真下に近い、南側の一角に差し掛かった時だった。


「うわっ……!」


 思わず声を上げ、立ち止まる。


 目の前の光景が、一瞬、ありえないものに「上書き」された。


 錆びていたはずの電波塔の鉄骨が、まるで液体金属のように、滑らかな鏡面の素材へと変化した。空や雲が、歪んでそこに映り込んでいる。未来都市のオブジェのような、冷たくて有機的な姿。


 そして、塔の巨大な基礎部分。そこには、あるはずのない、メタリックな光沢を放つ扉が、音もなく浮かび上がっていた。


「……見えたか、美月!」


 アキラが、興奮した声で叫ぶ。


「ああ、今、数値が跳ね上がった! 強烈なグリッチだ!」


 瞬きをした次の瞬間、塔は元の錆びついた姿に戻っていた。幻の扉も、跡形もなく消えている。けれど、私の目には、あの非現実的な光景がありありと焼き付いていた。


 あれは、ただのノイズじゃない。


「……繋がってるんだ。本当に」


「ああ」


 アキラも探知機を見つめながら頷いた。


「この塔は、ただのホットスポットじゃない。二つの世界が重なり合う『特異点』……あるいは、世界の壁に空いた『綻び』そのものなんだ」


 この下に、何があるのだろう。アキラの父親は、この先に進んだのだろうか。


 私たちが、言葉を失って立ち尽くしていると、不意に背後で、カサリ、と草を踏む音がした。


 ハッとして振り返る。


 誰もいない。


 だが、確かに誰かがいた。遠くの木々の影が、一瞬、不自然に揺れた気がした。


「……誰か、いた?」


「……どうだろうな」


 アキラは探知機の電源を切り、素早くバッグにしまった。その横顔には、さっきまでの興奮とは違う、鋭い警戒が浮かんでいる。


「行くぞ。長居は危険だ」


 私たちは、早足でその場を離れた。帰り道、どちらからともなく口数は少なくなった。


 見られていた。


 確信はなかったが、肌にまとわりつくような視線の感覚が、ずっと残っていた。


 あれは、ただの通りすがりだろうか。それとも、この世界の「保護」を維持しようとする、誰か――?


 私たちが足を踏み入れた場所は、単なる知的好奇心を満たすためのフィールドワークの場などではなかった。そこは、この世界の根幹に関わる、触れてはいけない聖域であり、同時に、危険な最前線だったのだ。


 バスの窓から、遠ざかっていく電波塔を見つめる。


 もう、引き返せない。私の平穏な日常は、あの塔の麓に、置いてきてしまったのかもしれない。

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