【真面目】「不真面目はカッコいい」と思っていた僕らへ…

晋子(しんこ)@思想家・哲学者

頑張っちゃえばいいよ

「真面目って、なんかダサいよな」


少年時代、こんな空気がクラスの一部にあった。提出物をちゃんと出す、先生の話をしっかり聞く、授業中に発言する。そういった行動をしていると、「ガリ勉」「いい子ちゃん」などと揶揄される。反対に、ふざけて笑いを取るやつや、わざとルールを破って先生に注意されるやつは、なぜか少し「カッコよく」見えたりした。


不真面目=自由。

真面目=従順でつまらない。


そんな価値観が、子どもの頃のどこかにあった。そして、怖いのは──その思想が、大人になっても抜けない人が、意外と多いということだ。



大人になった今、思う。


「わざと不真面目に振る舞う人って、もしかして“保険”をかけているのではないか?」


本気を出さない。全力を出さない。

それは、負けたときに自分を守るためだ。


「いや、自分、別に本気じゃなかったし」

「マジでやってたら、勝ってたけどね」


そんな言い訳を用意しておけば、たとえ結果が悪くても、「本当の自分の能力が否定されたわけじゃない」と自分を慰めることができる。


逆に、もし真剣にやって負けてしまったら、心が折れてしまうかもしれない。

自分が劣っているという事実を、直視しなければならなくなる。

それが怖い。だから、最初から全力を出さない。


…でも、それって本当の意味で「負けてない」ことになるのだろうか?




不真面目さは、最初は鎧になる。

でも、やがてそれは、鎖にもなる。


真剣に取り組んだ経験がないまま大人になると、「本気の力の出し方」がわからなくなる。

努力のしかたがわからない。

頑張ることに耐えられない。

やりきる前に、すぐ「逃げたくなる」。


そして、自分の中に本当の実力があるのかどうかも、もはやわからない。

気づけば、いつも「ふざけてる自分」が、アイデンティティになってしまっている。


それはもう、“演技”ではなく、“素”になってしまっている。




真面目な人が損をする世の中だ、なんて言う人もいる。

けれど、私は思う。


真面目であることは、カッコ悪くなんかない。

むしろ、恥をかきながらも一歩ずつ前に進み、失敗を恐れずに本気を出す人の方が、何倍もカッコいい。


不真面目さで自分を守っているうちは、何も変わらない。

けれど、本気でぶつかり、本気で負け、本気で悔しがったとき。

そこから人は、初めて何かを得られる。


「やってみたら、思ったよりできた」

「悔しいけど、次はもっと上手くやりたい」


そんな経験を積んでいくことで、人は強く、しなやかに育っていく。




「真面目って、なんかカッコ悪いよな」


そう言っていた少年は、今も自分の中にいるかもしれない。

でも、そろそろその声を、やさしく黙らせてもいい時期だ。


不真面目でいれば、傷つかずに済むかもしれない。

けれど、真面目でいれば、夢に手が届くかもしれない。


どちらが「カッコいい人生」なのかは──自分で決めればいい。



以上

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