【虚験】
寝舟はやせ
新聞紙の貼られた家
新聞紙の貼られた家に住んでほしい、という話を受けた。
とにかく床にも窓にも壁にも天井にも、いたるところに新聞紙が貼られていて大層過ごしにくいのだが、二週間ほど住めば10万円ももらえるらしい。
こういう界隈だとよくある話だ。ちょっと霊耐性(霊能力、とは言わない)がある人間を置いて、そういうやつの寿命を、そこにいるものに食わせて満足させたりするのだ。霊耐性がある存在は、少なくとも寿命が食われるだけで精神は壊れずに済む。
新聞紙の貼られた家は、埼玉の端にある平屋だった。元は婆ちゃんがひとりで駄菓子屋をやっていたらしいが、今は空っぽになっている店の部分含めて、全てに新聞紙が貼られているそうだ。
「その新聞って、記事とか読んでもいいんですか?」 「駄目とは言わないけど……おすすめはしないかな」
説明を聞き終わった最後にくだらない質問をすると、仕事を紹介してくれた仲介業者のMさんは困ったような呆れたような、なんとも曖昧な笑みを浮かべた。こいつはもしかしたら死ぬかもしれんな、みたいな笑みだった。人間はどうでもいいやつが死にそうになる時には、大体はこういう顔をする。
新聞紙を剥がす以外のことなら何をしていてもいいらしい。新聞紙を損傷させるのは別に何も構わないそうだ。床の新聞紙を破らないまま過ごすとか無理ゲーだと思っていたので、その条件でなかったら受けるつもりはなかった。
さて。そういう訳で俺は二週間、新聞紙の貼られた家で暮らすことになった。ネカフェに払う金もなくなってきたので本当ありがたい話だ。
当然ながら窓にも新聞紙が貼られているので、室内はひどく薄暗かった。 電気もガスも通っているが、風呂場にもびっしり新聞紙が貼られているので風呂は近所の銭湯で済ませるしかない。
一般的に見ればあまり快適な生活が送れるとは言えなかったが、俺からすれば十分だった。寿命を減らせる上に金まで貰えるのだ。こんなに愉快な仕事は無い。
住み始めてから三日目で、俺は新聞紙の記事を読み始めた。元々、手持ち無沙汰になるとその辺の説明書きでも読むタイプの人間だ。そこら中に文字が並んでいるのに読まないでいるなんて無理な話だった。
敷き詰められた新聞紙は、基本的にはいたって普通の記事ばかりが掲載されていた。変なのはたまにしかない。
【三つ首痴漢男 逃亡の末落下】痴漢をした男が逃げようとしたが、三つの首の主張が合わず、果てには仲間割れで揉めて線路に落ちたそうだ。
【金槌女捕まる 希望の強奪か】 他人の持つ希望がどんなものか知りたくて頭を割って回っていた女が捕まったらしい。結果として、割れた頭からは殺害された時点の苦痛しか得られなかったので自首してきたそうだ。
【夜泣き爺 銅像に追われる】 母親を求めて夜泣きしながら徘徊していた爺さんが、頭部が牛の女の銅像に追われて川に落ちたらしい。大腿骨を骨折したらしく、乳を飲めと迫ってきた銅像を相手に裁判を起こすそうだ。
これらの記事は全てが鏡文字で書かれており、写真については一様に判別が不可能だった。
「別の世界の記事なんじゃないかって思うんですよ」
『読まない方がいいよって言ったと思うのだけど』
中間報告の際、Mさんはちょっと呆れたように言った。読まない方がいいよ、というだけで、別に読むなとは言われていない。つまりは、読んだことで死んだやつはいない筈だ。
Mさんは死ぬだろうなと思っているが、こういうことに軽々しく首を突っ込んだり興味本位で深追いするやつはそもそも早死にする確率が高いというだけの話である。
「この家、別に何もいないんすね」
『空き家だからね』
「じゃあ誰が新聞貼ってんすか」
『さあ?』
Mさんはあくまでも仲介しているだけなので、事情については何も知らないようだった。何も知ろうとせず、調べもせず、興味も持たない。こういう界隈で商売をするのなら一番賢い選択だった。
『残り一週間もよろしくね。二万円は郵便受けに入れておくから』
電話は切れた。報告ついでに頼んだ前借り分も、ちゃんと貰えるらしい。 よかった。流石に命日になんも出来ないのは気まずすぎるからな。
二年前、俺の友達である登美さんが死んだ。
元々住んでいた橋の下から追い出されて、結局戻ってきて、花火しに来た馬鹿どもに遊び半分に追い回されて川に落ちて死んだ。溺死だった。
登美さんは俺の家の近くに住んでいたホームレスで、俺の唯一の友達だった。俺が小学五年生の頃から橋の下に住んでいたので、八年はあそこに居たことになる。
俺はよく家の戸棚から食材を盗んでは登美さんとこに持って行って、半分ずつ分け合っていた。登美さんはホームレスだが割と金を持っていたから、きっと必要のないものだった。むしろ安売りの乾麺なんて、良い迷惑だったかもしれない。
ただ、俺は登美さんと居てもいい理由がそれくらいしか作れなかったから、俺たちはよくふたりで乾麺を茹でて食べた。
登美さんはホームレスだが、仕事はしていた。生きていくには困らない程度の金は得ているようだった。
でもそれ以上の仕事をしようともしなかったし、何か行政の助けを得ようともしなかったし、もっと言うなら、絶対に家に住もうとしなかった。
『よく分かんなくなっちゃった』んだそうだ。
家とか。住むとか。生活とか。そういうことがよく分かんなくなっちゃったんだ、と言って泣いていた。
そういう時の登美さんは大人のくせになんだか子供みたいで、俺はなんだかちょっと弟でもいるような気分になって、登美さんを励ましていた。
橋の下に関しては俺の方が先に使っていて先輩だったから、実際ちょっとそういうつもりで居たし。
此処が登美さんの居場所なんだからそれでいいじゃん。屋根もあるし、寝床もあるし、飯だってあるし。風呂はないけど入れるし。
そうやって励ましたし、心の底からそう思っていた。
俺が高校三年生になった年の夏休み。橋の下にある登美さんの荷物は全部捨てられて、薄暗い寝床には鮮やかな緑色のフェンスが嵌められた。登美さんの姿は何処にもなかった。
いなくなった登美さんを夏休みの間に散々探し回って、終わりに帰ってきたら、登美さんは死んでいた。数ヶ月ぶりに見た登美さんはうつ伏せでドブ川に浮かんでいた。
その後のことはあまり覚えていない。覚えてないが、きっと通報か何かをしたのだと思う。救急車だか警察だかが来たような気がするから。花火をしに来た学生については見つからなかった。
登美さんは身寄りがなかったから、市の方で火葬してもらうことになった。俺はまともな手続きも碌に知らなかったし、何より当時は成人資格もなかったから、俺の手で登美さんを弔ってやることは出来なかった。
今でも出来ることなんて、命日に登美さんに食わせてやりたい美味いもんを供えるくらいである。
登美さんを殺した相手は今も見つかっていない。なんなら、相手はきっと、殺したとも思っていないだろう。
汚いホームレスをからかったら、勝手に川に落ちて死んだのだ。そう思っている。
と、池袋の占い師が言っていた。俺にこういう仕事があると教えてくれたおばさんである。俺の持ち合わせる全てが彼女のセンサーに引っかかって頭痛が酷いから黙って占われてほしい、と言われて、道ばたで占ってもらった。
死にたいなら良い仕事があるわよ、ととても客に人生のアドバイスをしている職に就いているとは思えないことを言い放っていた。
別に死にたいなんて一言も言った覚えはないのだが、残念ながら俺の腕には意味が無い割に変に目立つ傷跡があるのでそう思われても仕方が無いし、実際問題死にたくない訳ではないので、俺は素直にその話を受けることにした。
ちなみにこの傷は繁華街で絡まれた酔っ払いに切ったら見逃してやるよと既に三発くらい殴られてから言われた時に頑張っただけの傷なので、別に全然死にたくなどはなかった。ただ、長生きをしたくない。
登美さんよりも長く生きたくない。
ただそれだけだった。
なので、俺は残り二十年ほどで死なねばならない。別に全然死にたくなどないし、痛いのも苦しいのもまっぴらごめんだが、寿命だけは減らさなければならない。
俺みたいなやつが登美さんよりも長生きしていい筈がないからである。
最終日。扉には新しい新聞紙が貼られていた。
【全焼 家と一体化した男】全焼した家の各所から、同一人物のものと思われる人体の各部が家屋と完全に同化した状態で見つかったそうだ。
登美啓介、という名前を三秒眺めてから、俺は新聞紙を破って家を出た。
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