3 三頭犬

2日前



「ザラ……リーダー!」


 イヴリンが長杖を抱えたまま駆け寄ってきた。混乱しているせいか、プライベートの時のように名前で呼びかけたが、きちんと言い直している。彼女のこうした真面目さは、生まれの高貴さ故なのだろうか。

 イヴリンは目の前までやってくると、息を切らせながら顔を上げる。


「ロゼッタがどこにもいないの。さっきまで私と一緒に宝石を見てたんだけど、ちょっと目を離したらいなくなってて……」

「マズいね。彼女、素人ではないし、勝手にいなくなるはずはない」

「ええ、多分。近くの部屋は何個か覗いてみたけど……」


 イヴリンはきょろきょろと辺りを見回す。ザラスは横に立つプリシラに目をやった。プリシラは神官なせいか宝に興味がなかったので、ザラスと共に宝物庫の入り口を見張っていた。


「イヴ、見張りを交代してくれる?プリシラ一人じゃ無理だ」

「分かった。時間がかかりそうなら助けを呼ぶから、すぐに叫んで」

「了解」


 ザラスは奥へ進もうと足を踏み出したが、くるりと反転した。そのままの勢いでイヴリンの背へ手を回す。


「え、え!何よ、急に……」

「急にこうしたくなったんだ」

「プリシラにばれるじゃない……!」


 ザラスがそちらを見ると、プリシラは真っ赤になったイヴリンを横目で見ながら、クスクス笑った。


「そんなに焦らなくても、見ていれば分かります」


 それから、彼女はすっと笑みを消してこちらを見た。


「妙な予感がするのでしょう?ここは、全員で向かうべきだと思いますわ」


 ザラスはイヴリンから身を離して、頷いた。イヴリンは未だ混乱したような顔をしている。プリシラがイヴリンの肩に手を置いて、落ち着くよう促す。


「確かにそうだ。ジノは?」

「いますよ」


 背後から声が聞こえ、思わず振り向きざまに短剣を抜いた。と、そこには弓を携えた少年が立っている。ザラスの様子を見て、彼は数歩下がった。


「うわ、おどかさないでください」

「ごめん。後ろに立たれるとついね」


 ザラスは短剣を鞘へ戻そうとしたが、ジノは首を振った。


「武器は持っていた方が良いです。この宝物庫やけに広いですし、奥へ行くほど魔素の匂いが濃くなります。絶対に何かありますよ」

「分かった。よし、みんなでロゼッタさんを探しに行こう」


 振り返れば、女性陣二人が頷いた。その向こう、三頭犬のいた巨大な地下室に、青い髪の男が立っている――妙な服だ。王国時代が舞台の演劇に出てくる吟遊詩人のような服装だ。

 その青年が、弓を構えている。周囲の灯に照らされ、金属でできた鏃がぬらりと光った。


「伏せろ!」


 ザラスは二人の肩を力の限り下へ押した。彼女らは悲鳴を上げながら倒れ込み、その上へ必死に覆いかぶさる。

 しかし、その全てが無駄だった。

 少年の放った矢は、瞬く間に青い炎に包まれた。振り払おうと剣を振るうも、矢はザラスたちの手前に落ちた。地面に刺さった矢から青い炎が地を這い、服に触れると一瞬にして燃え上がった。

 不思議と熱くはなかった。ただ、自分の中の何かが燃えていくようなかんじがして、だんだん、むずかしいことがわからないくなって――









 青い炎が燃え尽きると、そこにいた三人は死んだように眠っていた。

 青髪の青年は空の肉体に足をかけると、男の方を上向きにひっくり返した。その下で、二人の女は寄り添うように倒れ伏している。妙な体勢で意識を手放すと、本当に死んでしまうかもしれない。


「危ないところだった。きちんと止めろ、ジノ」

「申し訳ありません」


 ジノは青髪の青年に向かって跪いた。


「しかし、私一人に彼らを止める力はありませんでした。力無き私をお許しください、カシオ様」


 カシオはジノを睨みつけた。反省しているようには見えない、いつものことだが。寧ろ、間違った人員配置に「ほらね」と言っているように聞こえた。


「まあ良い。分かっていると思うが、今アストレイヴ様を目覚めさせるわけにはいかぬのだ。すべてが終わるまで、ここは封じておかねばならない」

「はい。娘が一人、迷宮の術に飲まれたようですが、いかがしますか?」

「……どうせ抜け出せはせぬ。捨て置け」

「かしこまりました」


 ジノは頷くと、勝手に立ち上がった。


「いつ立ち上がって良いと言った?」

「しかし、話は終わったではありませんか」


 何が問題なんだというふうに、ジノは首を傾げる。

 カシオはうーんと唸った。多分、本当はここでもっと詰めたほうが良いのだろうが、どこかで「それもそうか」と思ってしまう自分がいる。

 数百年も従者をしてきたせいか、自分は舐められやすい。良い主人にはなれない――彼のようには。

 カシオは横たわる冒険者たちへ指を向けた。と、彼らは体をピクリと動かした。浅い呼吸から深い呼吸へと移行し、胸が上下し始める。


「あとの処理は頼む」

「はい」


 カシオは踵を返した。これで、ジノはここ数週間の記憶を失った彼らに、納得のいく答えを用意してくれる。この城は難攻不落だ。計画が済むまで、そうでなくてはならない。我が主人に理想の世界を用意するその日までは。

 カシオの背後で、三頭犬の死体が再び首をもたげていた。



□□□




 アストレイヴが書斎を片付けている間、ロゼッタは最後の頼みの綱と残しておいたパン一つと、干し肉を出した。これから歩くのだから、あるだけ食べておかないと。奥へしまって忘れていた干しぶどうを見つけて、小躍りしたい気分になった。久しぶりにまともな昼食――今何時か不明だが――になりそうだ。

 しかも帰れる!帰ったら何を食べようかな。温かいのがいい。ホロホロになるまで煮込んだキャベツとか、オニオングラタンスープとか、中身がみっちり詰まったミートパイとか――


「あ、ここで食べるな!カスが落ちる」

 アストレイヴは本を抱えたまま言った。本を片っ端から引っ張り出して散らかしたのは自分なのだということを、ロゼッタは隠していた。

「すみません、廊下で食べます」

「いや、外は危険だ」


 アストレイヴは抱えていた本を片付けると、書棚の一角に触れた。すると、何かが擦れるような音と、カタカタとからくりでも動くような音がして、本棚がこちらへ向けて開いた。そこは洗面所だった。その奥にも扉が見える。


「……なんで手洗い場を隠してるんですか?」

「壁を全部本棚にしたら、便所への入り口が塞がれただけだ。食うならそこで食ってくれ」

「便所って……結構かなりめっちゃ嫌なんですけど」

「文句言うな。椅子なら置いてやるから」


 アストレイヴは文机のところにあった椅子を、壁に背を向けて置いた。その位置だと鏡を見ながら食べることになる。自分が食べてる様を見ながら食事したい奴がどこにいる?この人何も考えてない。

 ロゼッタがまだ渋っていると、アストレイヴはこちらに向けて手を合わせた。


「頼む。食べカスがあると虫が来るんだ。ページが食われると、魔力が漏れてマズイことになる本もある。だから、な?」

「……そういうことなら、分かりました。そこで食べます」

「ありがとう、ロゼッタ女史!」


 アストレイヴは両手を挙げて喜んだ。

 本のことになるとちょっとオタクっぽくなるらしい。見た目が良いだけに残念な感じが凄い。それとも、今の呼び方は、彼の生きていた当時では普通のことだったのだろうか。

 ロゼッタは首を傾げつつも洗面所へ入った。ふと思い立って、洗面所の蛇口を捻ってみた。と、普通に水が出る。


「み、水!」

 あんなに探し回ったものが、こんな馬鹿馬鹿しい感じで取り付けられてるのがなんだかムカついた。

「あ、そうだ。結界の中で水を飲んだだろうが、外に出たら意味ないからな。今のうちに飲んでおくといい。地下水だから美味いぞ」

 アストレイヴの言葉を半ば聞き流して、水筒に水を入れる。これで外に出るまで水に困ることはない。その前にたらふく飲んでおくのも忘れない。


「食べたら行こう。俺も腹が減ってきた」





 迷宮は、案外すぐに抜けた。

 思いもよらぬ場所に抜け道がいくつもあり、それらをくぐると半日は距離を稼いだ。数時間もしないうちに迷宮の入り口近く、宝物が山ほど詰まった部屋の並ぶ、見覚えのある廊下へ出た。

 ロゼッタは感嘆と安心感からため息をついた。


「本当にすぐ着いた……」

「だろ?」


 アストレイヴは抜けてきた洞穴を、手をかざすだけで塞いだ。抜け道の入り口を開くときはステップを踏んだり、口笛を鳴らしたりしていたのに、閉じる時は簡単なようだ。

 抜け道や奥の迷宮とは違い、入口付近は城内のように敷石がしてあり、歩きやすい。壁や天井も細工や彩色があり、遺跡のような雰囲気だ。


「何でも好きなもん持ってっていいぞ……待てよ。二百年も経っててお前みたいなのがここにいるなら、宝も無くなってるか?」

 そう言われてやっと気付いた。

「ここは未発見だったんです。でも私達が見つけて二日くらい経ってるから、結構なくなってるかもしれません」

「それにしては足跡がないな。本当に二日前か?」

「はい……嘘じゃないです」

「分かってるよ。飢餓状態寸前の人間が、そこまで頭が回るとは思えない」


 彼はしゃがんで、床を指で撫でる。指の腹を見れば、分厚い埃が着いていた。

 たしかに我々はここにいた。四人の冒険者と共に、はしゃぎながら宝物庫を見て回ったのだ。大量の足跡が残っているはずだ。でなければおかしい。


「とりあえずそこの部屋を見てみよう」


 アストレイヴは手近な扉を開けた。ロゼッタもその背中の向こうを覗きこむ。

 宝物庫の中は、ロゼッタが初めてそこを見た時から、全くそのままだった。金貨は山と積まれ、宝剣の柄や大粒のルビーにエメラルドがところどころ顔を出す。それらは魔法の灯に照らされ、きらきらと輝いていた。


「減った感じはしないな」

「多分、私が見たときと変わってないです」


 アストレイヴは中へ入ると、宝物を拾い上げた。掌にのせて重さを確かめたり、ぐっと押して硬さを確かめたりした。それから、彼はそれを指で弾いて、こちらへ寄越した。


「うわ!」

「本物の金貨で間違いない。幻術の類もなさそうだ」

「普通に渡せないんですか……?」


 危うくそれをキャッチすると、ロゼッタは金貨を見た。刻まれているのは、誰か男性の顔だった。やはり、現在市中で使われているものではない(二日前に見たときは誰の顔かなんて眼中になかった)。

 ガチャガチャと音がするので顔を上げると、アストレイヴは宝石のついた箱を拾い上げて、中に金貨を入るだけ入れている。


「そんなに持ってくんですか?」

「緊急事態っぽいからな。軍資金が要る……この金貨を使ってると目立つか。都合の良い古物商を知っていたりは?」

「都合の良いの意味がよく分かりませんけど……冒険者は、遺跡や迷宮攻略で宝物を見つけることもよくあるので、そういうのを買い取ってくれる人は知ってます」

「そういうのを都合が良いと言う。冒険者は厄介者みたいなイメージなんだろ?」


 ものすごく肯定したくないが、ロゼッタは首肯した。

 冒険者は盗掘者のイメージが強い。これは魔物の発生する場所が大きな理由だ。

 魔物は人の少ない、空気の停滞しやすい場所に現れることが多い。初めのうちは良いが、次第にそこからあふれ出て、家畜や畑の作物、しまいには人間を襲い始める。だからこそ定期的に古城や遺跡、廃村などを訪れる必要がある。これは依頼者のいない仕事なので、その場にあったものが報酬だ。そういうのを持っていくと盗掘だとか、火事場泥棒だと言われてしまう。誰もやらない汚れ仕事をやって、持ち主のいない鍋や釜を持っていくことの、どこが泥棒なのだろう。こんな宝物がある場所など、冒険者ではなく商人たちに取り尽くされている。

 ロゼッタはむしゃくしゃしてきて、手に持っていた金貨を乱暴にカバンへ突っ込んだ。


「外でご飯食べたら、その人のところに行きましょう。代金はとりあえず、私が立て替えますから」

「ありがとう。お前もいくらか持ってくといい。重かったら俺が持とう」


 そこまで欲張りじゃない、とロゼッタは思った。

 金貨の山の前に膝をついて、それを崩していく。

 宝石はいくつかをハンカチに包んでカバンに、金貨はそのまま荷物の隙間に詰めた。これだけで半年は遊んで暮らせるだろう――そんなことしないけど。

 アストレイヴがまだ宝の山を物色しているので、ロゼッタはいい加減立ち上がった。


「まだかかるなら、私、冒険者の人たちがいないか見てきます」

「いないぞ、ここには。もう帰ったんだろう」


 アストレイヴは手に取った宝石を注意深く観察しながら、言った。


「近くにはいないかもしれませんが、私みたいに迷宮の方へ迷ったのかもしれないし……」

「いや、迷宮へ入り込んだのはお前だけだ。他にはだれもいないよ……よし」


 アストレイヴは立ち上がった。金貨を詰めた宝石箱は、コートの内ポケットへ入れる。


「とりあえず持てる分は持った。行こう」

「何で誰もいないって分かるんですか?」

「この迷宮、俺が作ったからな。城外の者がいれば分かる」

「ああ、なるほど……え?」


 アストレイヴが部屋を出ていこうとするのを、ロゼッタは追いかけた。廊下に出ると、彼はあの三頭犬のいた地下広場へとつながる扉に向かって、速足で歩いていく。


「作ったって……作ったんですか?」

「……なんだその質問?」

「いや、だって――」

「待て」


 彼はロゼッタが喋ろうとしたのを手で制した。そのまま扉の方へ向かう。扉に耳を押し当てると、彼は「げえ」と言った。


「何かいる。多分、ケルベロスだ。俺が置いたやつ」

「そうなんですね。でも、あれはザラスさんたち――私の取材していた冒険者パーティが倒してましたけど」

「誰かが復活させたらしい。瘴気を一定量食わせると、魔物の傷は治せるからな」

「それなら、また倒さなきゃいけないんですか?」

「そこは問題じゃない。問題は、誰が復活させたか、だ」


 アストレイヴは両開きの扉を一気に押し開けた。ロゼッタは彼を止めようと思わず手を伸ばした。だってあの三頭犬は、ベテランの冒険者四人がかりで、討伐に相当な時間がかかったのだ。一流の魔術師だろうが何だろうが、丸腰で適う相手ではない。

 扉が開いた途端、ムッとした獣の匂いが流れ込んでくる。耳をつんざくような咆哮が聞こえ、とっさに耳を塞いだ。前方に目を向けると、二階建ての家くらいはありそうな黒い化け物が、三つの顔をすべてこちらに向けていた。その口からは白く半透明に濁った涎が垂れ落ち、血走った六つの目は怒りに燃え上がっている。

 アストレイヴは右手を上げた。その手からビームでもでるのかと、ロゼッタはその指先を見ていた。彼の指は三頭犬に向けられるのでもなく、ただ親指と重なった。

 パチン、と軽い音がした。直後、ロゼッタの目の前は真っ白になった。そして、脳を揺らすほどの轟音が響き、何度か辺りに反響した。ロゼッタはくらくらしながら壁に手をついた。何度も瞬きを繰り返し、やっと周囲の色と形が判別できるようになってから、顔を上げた。広場には、黒い巨大な犬の死体が白い煙を上げながら横たわっていた。

 アストレイヴは死体の横に立っていたが、こちらを振り返った。


「早く出よう。今ので本格的に腹が減ってきた」

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