第12話 絶対に盛り上がる週末ライブ
小鞠の作ってくれた料理は、現実世界を含めても今まで自分が食べたどんな料理よりもおいしかった。
一人では食べきれない量の残った料理を見ると、無言で部屋を出ていった小鞠の姿が思い浮かぶ。
あの場面でどのように答えるのが正解だったのかは今もわからない。それでも小鞠の悲しそうな表情はぼくの心に罪悪感を残していた。
* * *
翌日、ぼくはやはり『トキメキめめんともり♡』の主人公、神代創太として自宅のベッドで目を覚ました。
天井を見上げながら、昨日のことはすべて夢で、現実の世界で目を覚ませるのではないかと少し期待していたが、その願いはあっさりと裏切られた。すでに見慣れたゲーム世界の部屋の装飾、窓から差し込む朝日の角度まで、すべてが昨日と同じだった。
枕に顔を埋めて深くため息をつく。何かしらのエンディングに到達するまで、この世界から逃れることはできないのだろう。
「どうにもならないことを考えても仕方ない」
ぼくは無理やり気持ちを切り替えて、ベッドから体を起こした。
洗面台で顔を洗いながら鏡を見つめる。そこに映っているのは間違いなく神代創太の顔だった。この顔にもだいぶ慣れてきたが、やはり違和感は拭えない。
まず、当初の問題は昨日小鞠の強制イベントをイレギュラーな形で突破してしまったことの弊害だ。あのまま同棲にでもなったら堪ったものではなかったから、ある意味仕方ないが、あの行動によって小鞠との関係がどうなるかは十分に注意する必要がある。
制服に袖を通しながら、昨日の出来事を整理する。小鞠との関係修復、舞美とのイベント消化、霧島詩織との接触。どれも予想以上にはうまくいったが、油断は禁物だ。
* * *
朝の通学路は相変わらず美しく描かれていた。桜並木の花びらが風に舞い、まるでアニメーションのように舞い踊っている。こういう演出はさすがギャルゲーといったところか。
教室に着いてカバンを机の横に下ろすと、案の定ヨシオが満面の笑みで声をかけてきた。
「よーっす、創太! 今日もさわやかな朝だな」
そうだ、お助けキャラに小鞠の状態を聞いておこう。このゲームでは情報収集が何より重要だ。
「おう、おはよう。ヨシオ、ちょっと聞きたいんだけどさ、小鞠の情報って何かあるか?」
ヨシオはまってましたと言わんばかりに、手帳を取り出して、いつものように情報通ぶりを発揮した。
「小鞠ちゃんか。今日から早速バスケ部の朝練に参加してるって話だぜ。朝の六時半から体育館で汗を流してるらしい。やる気満々だな。なんだよ、なんかあったのか?」
興味津々という顔でずいっと迫ってくる。その表情はまるで週刊誌の記者のようだった。
「な、なんもねーよ。いいから、ぼくに対しての好感度を教えろよ」
「お、気になるのか? わかった、教えてやる」
ヨシオは声を潜めて、まるで機密情報でも扱うかのように話し始めた。
「そうだな……小鞠ちゃんはちょっと不満度が上がってるけど、大きな変化はない。『私のこと、もうちょっと理解してくれてもいいのに』って感じかな。舞美ちゃんの方は不満度が下がって好感度急上昇中だ。『神代君って思ってたより優しいかも』って雰囲気。霧島詩織さんも好感度上昇中。『興味深い人』認定されてるぞ。なかなかうまくやってんな」
昨日三人それぞれのイベントをこなして、ひとまずは持ち直したということか。小鞠のパラメーターが不安だったが、ヨシオの言葉を信じる限りは大きな問題には発展していないようだ。むしろ、全体的にはプラス方向に向かっている。
授業が始まる直前、席に舞美がやってくる。いつものツインテールが朝日に輝いて、まるでアニメキャラクターそのものだった。
「どうしたの、星野さん」
ぼくがもじもじしている舞美に尋ねる。彼女の頬がほんのり赤く染まっているのが見えた。
「あの、その……昨日話したライブのこと覚えてる? 来週末にあるって言ってたでしょ。チケット余ってるから、神代君はどうかしら?」
舞美の声は普段よりも少し高めで、緊張しているのが伝わってくる。手をもじもじと握りしめて、上目遣いでぼくを見つめている。
頭の中には、まるでゲーム画面と同じように、
【ライブに行く】
【断る】
二つの選択肢が浮かんでいる。
舞美の好感度は現時点でかなり高い。これ以上のイベントを重ねるのは避けたいところだが、ただ断るだけでは不満度アップの危険の方が高そうだ。それに、舞美の表情を見ていると、断るのは少し心苦しい。
「あ、俺も暇だ!」
ヨシオが横で手を勢いよく上げる。その動きは小学生が手を挙げるときのように元気いっぱいだった。
「創太君はどう?」
ヨシオの存在を完全に無視して、舞美は期待に満ちた目でぼくの答えを迫る。その視線の強さに、ぼくは少したじろいだ。
ここでライブを断っても、別のヒロインからデートの誘いが入るのは間違いないだろう。ギャルゲーの法則として、週末イベントは必ず発生する。
ライブの予定が入っていれば、他のデートを断る口実になる。それに今なら……
「ありがとう、ヨシオと一緒に応援に行かせてもらうよ」
ぼくがそう答えると、舞美の表情が一瞬で変わった。期待に輝いていた目が、あからさまに嫌そうな表情に変わり、ヨシオを睨みつける。一方のヨシオは、まるで神に感謝するように両手を合わせてぼくを見つめていた。
「わかったわ、待ってるからね」
しぶしぶという表情で、舞美はぼくに二人分のチケットを手渡した。その手つきからは明らかに不満が滲み出ていたが、それでも笑顔を作ろうと努力している様子が痛々しかった。
* * *
時は流れ、舞美と約束した週末の夕方、ぼくはヨシオとともに、街中のライブハウス『UNDER SPACE』に来ていた。
繁華街の一角、雑居ビルの地下に位置するその場所は、外から見ただけでは普通の店舗と変わらない。小さな看板だけが、ここがライブハウスであることを示していた。
現実の世界を含めても、アイドルライブなんて初めて参加する。正直なところ、どんな雰囲気なのか全く想像がつかなかった。
地下の会場──まさに地下アイドルという言葉がふさわしい薄暗い空間だ。
コンクリートの階段を下りていくと、足音が反響して妙にドラマチックな演出になる。金属の重い扉を開くと、湿気を含んだ独特な匂いが鼻を突いた。汗と香水と、なんとも言えない熱気の匂いだった。
「へー、ライブハウスってこんな感じなんだな」
ヨシオは興奮気味に周囲を見回している。その目はキラキラと輝いて、まるで遊園地に来た子供のようだった。
「思ってたより狭いな」
「でも、これはこれで雰囲気あるぜ」
会場は思っていたよりもかなり狭く、ステージまでの距離も驚くほど近い。天井も低く、圧迫感すら感じる空間だった。
中にはすでに三十人ほどの客が入り、ライブのスタートを待っていた。客層は予想通り、そのほとんどが男性。年齢層は幅広く、高校生らしき若い子から、明らかに社会人と思われる大人まで様々だった。典型的なオタクスタイルの熱狂的なファンが前列を陣取っている。彼らの手には応援用のペンライトや、手作りの応援ボードが握られていた。
ぼくらは最後尾に近い場所でスタートを待っていた。最後尾とはいっても大して広くない空間だ。ステージからでも顔はしっかりと確認できるだろう。むしろ、舞美に見つからない方が難しそうだった。
時間が経つにつれて会場の熱気は増していき、観客たちの期待感が肌で感じられるようになってくる。そして定刻になると、会場の照明が一斉に暗くなり、ステージに幻想的な音楽が流れ始めた。
「皆さん、お待たせしました!」
司会者の元気な声に続いて、煌びやかな衣装を身にまとった舞美たちがステージに現れた。観客からは一斉に歓声が上がる。
舞美は五人組のアイドルグループ『スターティインクル』に所属している。舞美のトレードカラーは黄色で、グループの中でもセンターを務めていた。黄色のフリルが付いた可愛らしい衣装に身を包み、髪にはキラキラした飾りを付けている。
ステージが始まると、普段の学校での姿とは別人のような、プロのアイドルとしての舞美がそこにいた。
キラキラと輝く衣装、完璧に決まったメイク、そして何より自信に満ちた表情。舞美の歌声が会場に響き渡ると、観客たちは一斉に手を振り始めた。その歌声は、学校で聞く時よりもずっと力強く、プロフェッショナルな響きを持っていた。
ライブが進むにつれて、舞美は観客席を見回しながら歌っていた。プロのアイドルらしく、どの観客にも平等に視線を配っているように見えたが、そして明らかにぼくたちの方を見つけると、嬉しそうな表情を浮かべて、特別にウインクを送ってきた。
「あ、舞美ちゃんがこっち見てくれたぜ!」
興奮気味にヨシオが話しかけてきた。その声は会場の音楽にかき消されそうになりながらも、興奮が伝わってくる。
「舞美ちゃーん!」
「マイミーん!」
近くにいるファンたちも、自分に向けられたウィンクだと勘違いして一段と大きく声を張り上げていた。その必死さには、ちょっと同情してしまう。
たぶんゲーム的にぼくに向けて合図を送ったんだろうな。これは気づかないふりをした方がよさそうだ。
その後も舞美は不自然なほどにぼくの方に向けて様々なサインを送ってきた。投げキッス、ハートマーク、指差し……まるでぼくだけに向けた特別なパフォーマンスのようだった。しかし、ぼくはことごとくそれらを躱し、他の観客と同じように普通に手を振って応援しているふりを続けた。約一時間のライブが終了した。
ライブが終わると、舞美はタオルで汗を拭いながらステージで観客に語りかけた。ステージライトに照らされた彼女の顔は、汗で少し化粧が崩れていたが、達成感に満ちた笑顔を浮かべていた。
「みんな、来てくれてありがとう! 今日は学校のお友達も来てくれてます。神代君、応援ありがとう!」
とマイクを通してぼくの名前をはっきりと呼んだ。会場がざわつく。数十人の視線が一斉にぼくに向けられた。
おいおいおい、ぼくがせっかく他人のふりで頑張ってきたのに、それでもアイドルかよ!
「おい、あいつ舞美ちゃんの彼氏かよ」
「マジかよ、羨ましすぎる」
「学校のお友達って、どこの学校だ?」
「俺も同じ学校に転校したい」
周りの観客たちがこちらを見始める。その視線は好奇心と羨望と、少しの敵意が混じったものだった。
さすがにこれで無視するわけにはいかない。ぼくは苦笑いを浮かべつつ、慌てて手を振って応える。その瞬間、会場からさらに大きな歓声が上がった。
周囲のオタクの視線が痛い。特に前列にいた熱狂的なファンたちの視線は、まるでぼくを品定めするかのように鋭かった。
「みんな、来てくれてありがとう!」
舞美が再び観客全体に向けて挨拶すると、ようやく視線がステージに戻った。ぼくはほっと安堵のため息をついた。
* * *
ライブが終わると、そのままチェキ会が始まった。
チェキ会とは、インスタントカメラを使ってアイドルとのツーショット写真が撮れるというサービスだ。一枚につき千円という料金設定で、ファンたちにとっては貴重な推しとの接触機会となっている。チェキ会は通常有料だが、舞美の友達ということで特別に無料で撮らせてもらえることになった。
ぼくは別に参加しなくてもよかったのだが、舞美からの強い要望と、半強制的にスタッフに連行されて舞美の列に並ばされてしまった。ちなみにヨシオには舞美とは別の押しがいるらしく、この列にはいない。彼は既に興奮状態で、「無料でチェキなんて最高だぜ」と小声でつぶやいてお目当ての子の列に向かっていった。
このグループの中でも舞美は一番人気のようで、参加者の列は他のメンバーと比べても最も長い。二十人近い男性ファンが列を作っていた。
列に並んでいる間、ぼくは他のメンバーとファンとの交流を観察していた。
皆、短い時間ながらもアイドルとの会話を楽しんでいる。中には手紙を渡している人もいれば、お気に入りのポーズをリクエストしている人もいた。
そして、ついにぼくの番が来た。
「今日はありがとうね」
ふわふわしたアイドル衣装の舞美が、疲れを見せずに満面の笑みを浮かべる。間近で見ると、ステージメイクの濃さがよくわかったが、それでも彼女の可愛らしさは際立っていた。
「こちらこそ誘ってくれてありがとう。楽しかったよ」
ぼくが答えると、舞美の笑顔がさらに輝いた。
「本当? 嬉しい! 神代君が来てくれるだけで、今日のライブは特別になったよ」
スタッフがカメラを構える。通常は二人で並んで写真を撮るだけ。もちろんおさわりは厳禁で、適度な距離を保つのがルールだ。
「じゃあ、撮りますよー」
スタッフがカウントダウンを始めようとしたその瞬間、舞美が突然ぼくに抱きついた。
会場がざわめく。他のファンたちの視線が再びぼくに集中した。舞美の温かい体温と、ほのかに香る汗の匂いが鼻をくすぐる。
「ちょ、ちょっと、これはまずいんじゃないか?……」
「いいじゃない、友達なんだから」
舞美は悪戯っぽく笑いながら、そのままの体勢でカメラに向かってピースサインを作った。
絶対に友達のラインを大きく逸脱している。それは周囲のファンの視線からも明らかだった。
ぼくが困惑している中、カメラのフラッシュが光った。
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あとがき
新作、長編ストーリースタートしました!
小説完結済み、約15万字、50章。
当面は、午前7時、午後5時ころの1日2回更新予定です!
過去の作品はこちら!
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