声なき歌
チャッキー
第1話 列車の音がする
⸻
これは夢だ、とアリスは思った。
ベッドに横たわる身体は、すでにほとんどの感覚を手放していた。
酸素の音が微かに鳴る静かな病室。
病は、少しずつ彼女の肺を蝕み、やがて意識すらも奪いかけている。
けれど、意識の底で揺れた。
――カタン、と何かが動く音。
列車の音。
次の瞬間、アリスは知らぬ駅のホームに立っていた。
白く、柔らかな光が降り注ぐプラットホーム。
空は澄み、空気にはどこか懐かしいにおいが混じっていた。
ホームの先には、古びた時計塔とベンチ。無人駅のような静けさ。
手を見た。
皺だらけの手ではなかった。
背筋も伸びている。
どこにも痛みはなく、酸素チューブも、点滴の針もない。
「これは……夢ね」
そう呟くと、自分の声が驚くほど澄んでいることに気づいた。
長い時を遡ったように、声帯が若さを取り戻している。
スカートの裾がふわりと揺れた。
風が吹いている。夏のような、けれど季節の境目のような。
やがて、ホームの奥から汽笛の音がした。
列車が、ゆっくりと姿を現す。
黒く艶のある車体。丸い窓。真鍮のレールが陽を反射していた。
どこかで見たことがあるような――けれど思い出せない。
それは「記憶の中の列車」というよりも、「記憶が列車の形を借りている」ようだった。
アリスは胸に手を当てる。
鼓動が、確かにあった。
けれど、その鼓動はまるで「今」ではなく、「かつての時間」のようでもある。
「誰かを、待っていた気がするの」
声に出してみても、答える者はいない。
けれど空気のどこかに、「わかってる」とでも言いたげな沈黙が漂っていた。
列車の扉が音もなく開く。
迷いは、なかった。
不安も、なかった。
ただ、なぜか“ここで待っていてはいけない”という気がした。
足を一歩、前へ出す。
その瞬間、風の中に――
どこかで聞いた鐘の音が、かすかに響いた。
アリスは微笑む。
そして、列車に乗り込んだ。
それが、彼女の旅の始まりだった。
ゆっくりと、静かに、“向こう”へと向かう――
誰も行き先を知らない、夢のような旅。
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