第3話

 人通りの少ない渡り廊下で、蓮は心遥の姿を見つけた。


「おい、小守」


 声をかけると、心遥は振り返り、普段と変わらないように見える、その涼しげな目で蓮を見つめた。


「どうした、そんなに深刻な顔して」


 蓮は、先ほどの美術室での出来事を簡潔に説明した。


「実は、小川先輩から告白されて……どうすればいいか分からない」


 蓮は、心遥なら冷静な「人間」としての意見をくれると思ったのだ。

 しかし、心遥の表情はみるみるうちに険しくなる。


「そんなこと、自分で考えろよ!」


 普段の男らしい口調とは異なる、明らかに苛立った声が響いた。

 心遥はそれだけ言うと、くるりと背を向け、早足で去ってく。

 なぜ心遥が不機嫌になったのか、蓮には全く理解できなかった。

 自分が困っているのに、どうしてそんなに怒るのか。


 追いかけようとするが、その前に周囲から生徒たちが蓮を取り囲んだ。


「おい、蓮! マドンナに告白されたんだって? しかもお前、焦らすとかやるな!」

「付き合うに決まってるだろ!」

「あんな美人、振ったら学園中の男子から恨まれるぜ?」


 好奇と羨望の入り混じった声が、蓮の耳に届く。

 人間なら、やはり受けるのが「普通」なのか。

 この状況で断るのは、不自然なのかもしれない。


 蓮は、ごく自然な「人間」としての行動を選択しなければならない。

 そう判断した。


「……ああ、分かった。付き合うよ」


 蓮は、その日のうちに先輩の告白を受け入れることに決めた。



 蓮はその時、気づかなかった。

 なぜこれほど早く噂が広まるのかと。



 蓮の告白の場面を見ていたのは心遥だけではなかったのだ。


 美術室から少し離れた物陰。

 そこから蓮の様子を観察する影があった。

 白鷺 幻(しらさぎ げん)。彼は妖狐である。

 マドンナが蓮に告白したという噂を即座に流したのは、幻だ。

 幻はフフッと笑みを漏らした。

 その笑顔は王子様のように爽やかだが、腹の中は多分真っ黒である。


「蓮くんは単純で扱いやすいなぁ」


 そう、幻の呟きは虚無へと消えるのだった。






 新星学園に、新たな「カップル」が誕生したという噂は、瞬く間に広がった。

 雑誌モデルである三年生の小川香奈と、入学当初から注目の的だった優等生、宵闇蓮。

 それは学園中の生徒にとって、注目の的であり、羨望の対象だった。

 


 蓮は、その日の放課後から早速、完璧な「彼氏」を演じることに徹した。

 香奈と並んで歩き、食堂で隣に座り、他愛ない会話に相槌を打つ。

 全ては人間としての「普通」を装うためだ。


 周囲の生徒たちは、蓮の演技を「照れ」や「クールさ」と解釈し、誰も彼の内側に隠された真の感情には気づかない。

 だが、その偽りの平穏の裏で、蓮の警戒レベルは最高潮に達していた。

 なぜこれほど早く学園中に噂が広まったのか。

 そして、この「恋文」騒動の背後に、白鷺幻がいるということに何となく気づいた。

 狐である幻は耳が良い。 


 幻は、蓮と同じ「人外世界」から最終試験に臨む妖狐だ。

 お互いが人外であることは、入学した直後に、互いの気配で察知していた。

 以来、必要以上に接触せず、互いの領域を侵さない暗黙の了解があったはずだ。

 それが、幻の策略によって蓮は、予期せぬ「恋愛」という人間関係に足を踏み入れることになってしまった。


「……全く、どういうつもりなんだ?」


 自室のベッドに倒れ込みながら、蓮は小さく呟いた。


 幻は王子様と呼ばれ、女生徒から人気の的だが、ミステリアスな部分が多く、掴めない男だ。


 香奈との交際。それは人間としての「社会的成功」を演じる上では有効な手段かもしれない。

 だが、同時に蓮にとって最大の危険因子でもあった。

 関係が深まれば深まるほど、人外としての本性が露呈するリスクは高まる。

 血を吸うという本能をどう抑えるか、もしデート中に体が変化しそうになったらどうするか。

 考えれば考えるほど、頭が痛くなる。


 そして、もう一つ。


「なぜ、あんなに怒ったんだ、小守は……」


 美術室での告白後、相談した時の心遥の苛立ちが、蓮の脳裏に焼き付いていた。「自分で考えろよ!」という、普段の彼女らしくない、感情的な言葉。

 あの時の心遥の表情は、蓮の冷静な分析力を以てしても理解不能だった。


 まさか、小守は、俺が……?


 一瞬、そんな考えが頭をよぎり、蓮は慌てて首を振る。

 ありえない。

 心遥は結界師の末娘であり、蓮にとっては監視される側と監視する側の関係だ。

 彼女の行動は、常に彼にとっての「天敵」としてのものだった。

 そう思い込もうとしても、もしかして、嫉妬? なんて考えてしまったら、蓮の心もザワつき、何とも言えない感情になってしまう。 






 香奈と付き合いはじめてから、蓮の隣は常に香奈のポジションになり、蓮は心遥と話すきっかけが全くない状態になってしまった。

 心遥はクラスでは隣同士だと言うのに、授業開始前は読書に集中していたり、他の事をしていて「忙しい、話しかけるな」オーラを出しているし、登校も下校も急に全然被らない。 

 昼休みは香奈と過ごすため、心遥がどうしているのか解らなかった。

 もしかして心遥には避けられているのかもしれない。

 人外バレの危険からは遠ざかるので嬉しいはずなのに、なぜか心に穴が開いたような感覚になるのは何なんだろうか。

 蓮は自分の心境がよくわからない。 


「ねぇ、学食も美味しいけど、明日から私が蓮くんのお弁当作ってきても良い?」


 食堂で学食を食べる蓮と、お弁当の香奈。

 香奈のお弁当は人間が見れば美味しそうに見えるのだろうが、蓮が見てもよく解らない。


「マジか! やったぁ! 嬉しい」


 そう喜んでみせる。

 しかし、今まで美味しくも不味くも感じなかった学食が、今や砂のように不味く感じるようになったのが、意味不明だった。

 

 俺の味覚、おかしくなったんだろうか。


「今度の日曜空いてる? デートとか、行こうよ」


「良いよ。どこ行く?」


「蓮くんがプラン考えて」


「よーし、頑張るぞ!」


 蓮は張り切って見せるが、デートってどこに行けば良いんだ?


 内心、オロオロと困惑してしまう。


 すると、視線のはしが心遥を捉えた。

 心遥も学食でランチを食べていた。

 幻と一緒に。


 何か二人で笑い合っているのを見て、蓮の胸が痛む。


 何で胸が痛いんだ?


 魚の小骨でも刺さったんだろうか。

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