花天月地【第32話 青い花の情景】

七海ポルカ

第1話




「おっ」




 欠伸をしながら李典りてんがやって来る。

 そこに胡座を掻いて見ていた賈詡かくの側に来ると、ようやく目が覚めたようだった。


「おはようございます」


「よう。おはよう。といっても昼下がりだけどね。

 あんた楽進がくしんがいないとお寝坊さんだね。言っとくが遠征中は俺は厳しい上官になるからあんたが寝坊しても優しいお母さんみたいに起こしてあげないよ? そういう奴は寝かせっぱなしにしとくからな。気付いたときには敵に囲まれてたとかなっても文句言わないでね」


「いや……夜間調練で朝まで出てたんですよ……」


「なんだそうだったか。悪い悪い! 今回遠征組にもう一人超弩級のお寝坊さんがいるもんだから俺もピリピリしちゃって」


 顎で示した先で、いつも通り元気いっぱいな楽進と、賈詡が『お寝坊さん』と称した郭嘉かくかが打ち合っていた。眠たげだった李典もさすがに面白そうに腕を組んで見やる。


「珍しいっすね。郭嘉さんが修練場で打ち合ってるなんて」

「うん。今日は午前中から見に来てて、さすがに久しぶりに剣を振りたいからって楽進を誘って打ち合い中」


 楽進は剣と槍が特に得意だ。その反面、弓のような遠距離の武器はあまり得意ではない。

 しかし剣や槍の腕前は、よく楽進が手合わせを願って相手をしてもらう張遼ちょうりょうが「日に日に良くなる」と目を細めるほどで、才能があった。

 体格はそんなに大きくない方なのだが、力の伝わらせ方や体の使い方が上手いので、驚くほど楽進の一撃は力がある。受ける方も技術ではなく、一度剣を打ち合っただけで手強い相手だと分かる力量だ。


 対する郭嘉は痩身でいかにも細身の優雅な剣を使うので、楽進の一撃で吹っ飛ばされやしないか見てる方は冷や冷やするほどなのだが、しばらく見ていれば楽進の剣を的確に捌き、繰り出す一撃は早い。容易く薙ぎ払われる力量ではないことが誰にでも分かる。


「すげ~。郭嘉かくかさんの剣初めて見る」


「そうか。あんたは先生が病で離脱してる時に長安ちょうあんに来たもんね」

「はい。いや文武両道ってのは聞いてたんですけどね。殿が戦場にもよく連れて行ったって聞いてたし。それなりの剣は使うんだろうなって思ってたんですけど」

 賈詡が笑っている。


「それなりの剣を見た感想は?」


「思ってた以上に強い。楽進がくしん、最近じゃ張遼ちょうりょうにも易々とは負けないんだが」

「まあ楽進の場合、打ち合えば打ち合うほど相手の剣を覚えて対策練るからな。初顔合わせで、しかも風が吹いたら飛ばされそうな郭嘉先生相手だから、なんとなく打ち込み難い手合いってのもあるんだろうが。……おっと!」


 わっ、と声が聞こえて、胡座を掻いていた賈詡の目の前に楽進の手から弾き飛ばされた剣が、突き刺さる。


「こら楽進。先輩の脳天に突き刺すつもりか?」

「す、すみません! 失礼しました!」

 郭嘉に一礼すると、慌てて楽進が駆けてくる。


「誰が『風が吹いたら飛ばされそう』だって?」


 微笑みながら郭嘉が優雅に歩いてくる。

「先生今のわざとだろ」

「急に太刀筋が変わったから、驚いてしまいました。面目ありません」

李典りてんが剣を拾ってやり、楽進に手渡す。

「しかし打ち合っていた時は様子見だったのですね。今の一撃は全く違いました。

 郭嘉殿も相当な剣の使い手だとお見受けします」

「そらそうだ先生は若い頃、潁川えいせんでも屈指の私塾で剣術と杖術極めていらっしゃる」

「そうなのですか⁉」

「俺もそれは初耳……」


「よく知ってるね賈詡かく


 滅多に見ない自前の美しい細身の剣を仕舞い、郭嘉は笑いながら、少し暑くなった首元の紐を解いて緩める。   

 微かに上気はしているようだが、汗を掻いてるようなところは見えなかった。


「そらもう。俺は敵のことはまずことごとく調べ尽くす性格だから。

 ここに来たとき魏軍には郭嘉って軍師がいてそらぁ孟徳もうとく殿に気に入られてるって聞いたらやっぱり弱点とか知っておきたいじゃない。

 んで来てみたら若い痩身の優男だったからこら手荒な真似で序列覆せるんじゃないかなって思って調べたら、剣術と杖術の使い手だって密偵が慌てて報告に来たからそれ以来もうあんたに逆らう気なくなっちゃったの。

 頭が良くて女にモテて殿にもモテて剣も使えるってあんたホントにイヤな人だよね」


「なに考えてるんすか!」


 李典りてんが突っ込んでいる。

「だって俺以外に優秀な軍師とかいたら俺の影薄くなるしぃ~」

「ならないです! 賈詡先輩の影十分濃いですよ! 郭嘉さんは魏軍にとって大切な人なんだから、なんかしたら俺も怒りますよ! なに闇討ちしようとしてるんすか!」


「まあまあ昔の話だよ。李典殿。今じゃ私も賈詡も仲良しだしね。ね?」

 郭嘉は全く意に介しておらず、朗らかに笑っていた。

「仲良し、ねえ……」

「郭嘉殿、ぜひまたお手合わせしていただいてもいいでしょうか?」

「うん。気が向いたらまた来るよ。今日は久しぶりに剣を振りたい気分になったから」

「ではそのときは、私にお声がけください!」

「先生あんなこと言ってるけどな。人の目の届かないところで毎日剣の修練は欠かさずやってんだぜ」


「軍師殿でもひとたび戦場ではどんな状況に巻き込まれるか分かりません。軍略を磨きながら武芸も鍛錬されるとは、さすが郭嘉殿は文武両道の手本ですね!」


「ありがとう。君に元気いっぱいで褒められると嬉しいよ」


「ぜひ修練なら修練場で行ってください。部下も郭嘉殿の剣技をぜひ見たいと思います」

「楽進君。先生は一人で黙々と剣を振るうのがお好きなんだよ」

「そ、そうなんですか?」


「うん。そうなんだ。そして努力を一切他人に見せず美しい女性に『郭嘉さまってそんな努力をしていらっしゃるように見えないのに何でもこなされてしまうのですね。才能の塊だわ♡ すてき♡』などと言われるのが大好きなんだ」


「誰の真似なんですかそれは……」

「そ、そうでしたか。知らずに余計なことを言いました」

「いや楽進よ、冗談だから……」

「でもあながち外れてもないなあ。美しい女性にそんなことを言われたら気分は悪くないよね」

「ほら言ったでしょ。李典君きみ先生を美化しすぎてるけど先生はちゃんとした俗物だから」

「あ~~~~! 賈詡先輩から郭嘉さんのそんなこと一切聞きたくないです!」

 強引に李典が賈詡の言葉を遮った。


「そういえば、例の副官君と徐庶じょしょ君の修練が見れるかなと思って来たんだけど、今日は予定はないのかな?」


「あんたにしちゃ勘が随分外れたね。今日はどっちもお休みだよ」

「そうだったの。残念だね。様子はどう?」

伯言はくげん殿は剣はお上手ですよ。とても綺麗な剣をお使いになります。……でも少しなんだか……遠慮をされてるような印象があります」

 賈詡がゆっくりと立ち上がった。


「お前は純真だが、そういうところは抜かりなく見てたり感じ取ったりしてるとこはいいねえ。お前のそういうとこ好きよ。それがなかったらただ敵に正面からぶつかっていくだけの元気っ子で俺はお前を絶対使いたくなかったわ。

 お前は素直だが、危機感がなかったり鈍感なわけじゃないんだよな」


「えっと、はい! ありがとうございます!」

 楽進がくしんが突然そんなことを言われて一瞬迷ったが、総合的に誉められている! と判断し慌ててそんな礼をした。

 郭嘉がくすくす、と笑っている。


「俺もそう思ってたんだよな。すごい利発で、さすがあの司馬懿しばい殿が気に入って側に置いてるんだろうって聡明さは感じるのよね。単なる若い副官ってだけじゃない、なんとなく何かを秘めてる感じが確かにある気がする。

 楽進は『遠慮』って言葉を選んだけど、俺は『怯え』かな。

 なんとなく、全力でぶつかってくるのを怖がってる気がする。

 自分の力を発揮するのを恐れてるっていうと、そんな余裕をかました態度では全くないし、間違いなく一生懸命なんだが、何か違和感があるんだよな」


「俺も遠慮してる感じはしたけど、別に今まで任官を受けてなかったから新天地で働く緊張かなって単純に思ってました。随分奥ゆかしい人みたいだし。遠慮なんじゃないかなあ。修練にはすごい熱心ですよ。あの熱心さ楽進級かも。

 賈詡殿に教わってる涼州武芸、日に日に板についてますし。

 あれ部屋に戻ってもちゃんと復習してんだろうなって。真面目な人ですね」


「はい。それは私も感じます。なにか、私も気を抜いたらすぐ抜かれてしまいそうな意欲は感じます。とても張り合いがあって楽しいです」


 全員の意見を受けて、ふぅん、と郭嘉が腕を組んだ。


「遠慮や怯えを感じるのに、熱心で意欲もあると。

 確かに少し興味があるね。実力というより、彼の個人的な部分だ。

 遠征前にぜひ話しておきたいなあ。

 まあ遠征中もたくさん話は出来るとは思うけど。

 徐庶君の方はどうかな」


「割といい人だよな。飲みにもすぐ来てくれたし。大人しめだけど悪い奴じゃない。

 曹操そうそう殿に逆らって謹慎とか受ける人には見えないけどな……?」

 

 李典がそう言うと、楽進も頷いている。


「はい。あまり自分からは喋らない方ですけど、軍のことを色々教えたら『知らなかった』ってとても為になったように感謝してくださいました」

「だけど徐庶が殿も唸らせた凄腕の軍師って言われると、そんな感じまだしませんね」

「はい。物静かな方ですからね。ただ戦場で変わる人はいるので、徐庶殿もそういう方なのでしょうか?」

 二人が発言したので、三人目の賈詡を郭嘉が見たが、賈詡は顔の前に手でバツを作って首を振った。


「俺もちょっと話は出来て意外な経歴知ったけどこれはダメ。

 俺は今回徐庶を頼りになる副官的に使おうと思ってるんだ。

 あいつ意外と使えるんだよな。

 ここより前、軍ではろくな任官受けてなかったっていうから編成したり指揮したりはもっと慣れてないんだろうなと思ってたけど、案外あいつ何でもそつなくこなすんだよ。

 小隊率いらせても、あれなら上手くやる気がする。

 というわけで俺は今回の遠征では徐庶と上手くやって行くことにしたから。

 あんまりあいつの個人的なことをべらべら話したら俺のことお喋り野郎だと思って信用してくれなくなる。なので俺は今回は喋らんぞ」


 郭嘉かくかが微笑んだ。


「そうかそれなら私が話を聞いて色々話せば、私に比べて賈詡は信頼できると思ってもっと色々話すかもなあ。今回憎まれ役は私が引き受けるから、何か面白い話を徐庶君から聞けたら教えてよ」


「んー。そうだなあ。徐庶じょしょのことはあんまり司馬懿殿も知らないようだった。もっと色んな話を聞いて、その中で何か面白い話があって司馬懿殿に聞かせたら、俺は有益な情報をよく取って来る奴だと思って好感度上がるかもしれんな。

 よーし、いいよ。その代わり教えた情報で俺や徐庶の立場が危うくなるようなことしてくれるなよ先生」


「そんなことはしないさ。では司馬懿しばい殿が賈詡を信頼していろんなことを喋り始めたら私に教えてね」


「よし。じゃあ今回はそういうことにしよう!」

「郭嘉さんと賈詡殿に狙われたらさすがに徐庶殿もひとたまりもなさそうだな……なんか可哀想になってきた……」

「心配いりませんよ! 李典殿もよく言うじゃないですか。別に怪しいことがないなら堂々としていればいいんだ、って。

 徐庶殿はいい方ですよ。お二人に探られて困るような謎をお持ちとは思えません」

 楽進は胸を張ってそう言ったが、李典はニヤニヤしている。

「そうかなあ。元々しょくにいたんだし、案外色々知ってるかもしれんぞ」

「でも……仕官したのは少しの間だと聞きました」

「少しの間だろうがあいつは劉備りゅうびと直接話して軍師として働いてる。

 きっと蜀の内部の色んなことを知ってるはずだ」

「色々なこととは?」

「例えば軍神関羽かんうの意外な弱点! とかだな」

「ええっ! そ、それはすごい情報です!」

「あとはいい人いい人って言われてる劉備の変態的な趣味とか……」

「ええっ⁉ ……。……。……ああでも個人の趣味のことは趣味としてあまり他人がとやかく言うのはいかがなものかと……」

「真面目に答えるんじゃないよ!」


「君たちがいれば今回の遠征も楽しそうだねえ」

「まあなあ。涼州りょうしゅう遠征はきつい仕事だ。これくらい明るい方がいいかもしれんわな」



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