第4話 女神の車
「ちっ、遅刻だ、遅刻ーっ!」
栄子さんと出会った次の日のこと。
俺は大寝坊。原因は寝不足。寝付けなかったから。至近距離の栄子さんが言う『チーム』を数えたのがいけない⁉︎ あーっ、何であんなことをしてしまったんだーっ!
朝食を摂りながら弁当を二つ詰める。弁当用の卵焼きを作り終え粗熱をとる間に、朝食用の目玉焼きが完成。弁当用の冷食のカップグラタンをそのままイン。いつもはタコさんなウィンナーも、今日は真っ直ぐにして時短弁当の完成!
最低限の身支度をして、家を出る。施錠。ポストの中に鍵を隠す。走る。歩いて十五分なら、走れば五分で行ける。いける!
狭い道に差し掛かったところ。運悪く、正面から車が近付いてくる。急いでるのに運の悪い! 泣きっ面に蜂とはこのこと。
仕方ない。覚悟を決めて足を止める。壁に貼り付くように避ける。その隙に息を整える。車のボンネットが横に来る。が、その車は普通のじゃなかった。女神の車だ! 減速し、中腹で停まる。キャビンの窓が開く。中から声と、笑顔。
「おはようございます、すばる様!」
えっ、栄子さん! たしかに『明日』とは言っていた。でもまさか、本当に来るとは思っていなかった。さくらの言うこと、信じておけばよかったーっ。
「おはよう、ございます。栄子さん」
なるべく冷静に返事をする。
「お急ぎですか?」
「ええっ! 相当に」
「乗りますか?」
なんと、渡りに船! ラッキーッ、遅刻しないで済すみそうだ! でも……もし俺が女神の車に乗って学校へ行ったらどうなるか、簡単に想像がつく。今の俺の置かれているギリギリの立場というものが崩れる。今まで積み上げてきたものがなくなる。
それはダメ。絶対にダメ。母さんに無用の心配をかけることになる。
「いいえ、結構です」
と、キッパリ。
「えっ? 遠慮ですか?」
「違いますよ! ほんと、男心は複雑なんです。では」
栄子さんにちゃんと説明するのは難しい。遅刻ギリギリで時間もない。だから、それだけ言い残して走り出す。
「それを言うなら女心だって……って、すばる様、すばる様ーっ!」
栄子さんの声に背を向ける。あーっ、俺はなんてバカなんだ。寝坊なんかしちゃって! 栄子さんと話すチャンスだったのに。こんな機会、二度とは巡ってこないだろうに。俺はなんで走ってるんだーっ!
次の朝。余裕をもって身支度を終える。靴を履く。玄関のドアを開ける。その場で閉める。落ち着かない心臓を、なんとかして鎮める。なんで? どうして、今日も女神の車があるんだ。栄子さんがいるんだーっ。
覚悟を決めて、開ける。歩く。
「おはようございます、すばる様。学校へ行かれるのですよね、お乗りください」
「いいや、結構です!」
素早く動き、広くなったところで駆け出す。
「そうですか。ところで、チ……って、すばる様、すばる様ーっ」
いつもより早く家を出たのは何のため? どうして今日も走ってんだ……。
その日の夜。
『まったく。ご主人様はヘタレですね!』
「手厳しいなっ!」
『いいえ。私なんか優しいくらいです』
「そう?」
『ショック! ショックです。この私の健気さを評価いただいていないんですか』
「ほんと、ごめん」
『まぁ、いいです。それよりもご主人様、ご自身の状況を理解してください』
「昨日も聞いたし、分かってるって」
『だったら何故、言わないのです⁉︎』
「言おうとは思ったんだよ。でも、栄子さんに理解してもらうのは難しいんだ」
『理解⁉︎ どうして理解させる必要があるんですか? 不要な気遣いです』
「そんなものなのかなぁ」
『何を悩んでいるのです?』
「なっ、なっ、悩んでなんかいないって!」
『はぁーっ。見えてしまいました。ご主人様のズルさが』
「俺が? ズルいだって?」
『そうです。ご主人様は栄子との関係を保ちつつ仕事をしない道を求めてます』
「そっ、そんなことないって」
否定はしたが、本当はさくらの言う通り。
『本当にぃーっ?』
「本当だとも!」
『なら、はっきりさせるのが最重要事項です。言っておやりなさい!』
「はいはい、分かりました。次は『仕事はしない』って、言うよ」
『……そうです。それでこそご主人様です』
そんな具合で、俺もさくらも、明日も栄子さんが来ることを疑っていなかった。
その翌日は金曜日。
今日も女神の車は来るだろう。そうしたら、ちゃんと伝えるつもりだ。俺の置かれているクラス内の立場を、俺が車に乗ることを拒む本当の理由を。そうでなければ、栄子さんに失礼。さくらは理解を求めることは不要と言うけど、それはあまりにも不誠実。
けど、そんな日に限って、女神は来ない。ゆっくりと歩き様子を見るが、気配さえ感じない。俺は、校門の前で深くため息を吐く。きっと、栄子さんとのつながりは切れてしまったんだろう。栄子さんは、俺を諦めたんだ。
あーっ、清々する! これでフラグはへし折れたんだ。イヤな仕事をしなくて済むんだ。昨日までの三日間が異常だっただけ。いつもの、日常に戻るだけ。グッドエンドじゃないか!
今日の学校の景色は、いつも以上にぼんやりしている。目の前にいる三組のリア充さえ、かすんで見える。ノイズはよく聞こえるけれど。
「ねぇ。期末終わったら、小川町の『まつむら』に行ってみない?」
「あっ、MTVの朝の顔、詩子さんが紹介してたお店だろう。絶対、混んでるよ」
「けどさ、カリッとした揚げまんじゅう、絶対に美味いぞ!」
「あぁーっ、一度でいいから食べてみたい。誰か買ってーっ、誰か作ってーっ!」
「店主はたしか、貧乏だった幼少期の弁当作りで料理スキルを上げたらしいよ」
「このクラスで弁当作りっていえば!」
「まさかまさかの!」「まさかまさかの!」……「まさかまさかの!」
手遅れだったと言うよりも、無気力だった。移動しなければどうなるか? 分かりきってること。たちまち囲まれる。
「なぁ、すばる」
「毎日自分で弁当を詰めてるんだったよな」
「ひょっとして、揚げまんじゅうとか作れる?」
「料理スキル高いし、和菓子もいけるのかなぁーって?」
「もし作れるなら、材料買うから作ってよ」
「ねぇ、お願い!」
「ねぇ、ねぇ、ねぇ!」「ねぇ、ねぇ、ねぇ!」……「ねぇ、ねぇ、ねぇ!」
今更、逃げ切れるもんじゃない。適当に話を合わせりゃいい。
「って言われても、俺、食べたことないし」
「っ、だよねーっ!」「っ、だよねーっ!」……「っ、だよねーっ!」
俺のことをいじるだけいじって、リア充グループは去っていく。いつもの光景。
下校のチャイムが鳴る。いつものように玄関をトップで通過する。こればかりは身体が勝手に動く。どんなに落ち込んでいたとしても。もし『全国中学校帰宅選手権』とかがあったら、俺は優勝するかもしれない。少なくとも、東京都代表くらいにはなれる自信がある。
と、くだらないことを考えてた俺は、校門の手前で足を止める。だって、見えたんだ。門の影にいる女神が! 正確には車の先端にある銀の女神像。
背後に二番目生徒の集団を感じる。まずい。このままでは大変なことになる。俺は、今の立場を失う。平穏な日常が取り戻せなくなる。根も葉もない噂が流れるのは必定。それだけは避けたい。だから、女神の車に走り寄った。そして、まだ誰も見ていないうちに、全てを処理することにした。
ウィーンと、車の窓が開く。笑顔と声。
「おはようございます、すばる様!」
「おはようじゃないですよ!」
「あーっ、芸能界では二十四時間、この挨拶なんですよ! 知りませんでした?」
「そうじゃなくって。迷惑なんです、学校に来られるの!」
俺は、それだけ伝えて走り出す。
「そろそろチー……って、すばる様、すばる様ーっ!」
俺、どうして今日も走ってんだ⁉︎ どうして拒むような言い方したんだ? ちゃんと説明するって決めたんじゃなかったのか? なのにどうして、栄子さんに本当のことが言えないんだ……。反発するくらいなら、素直に車に乗ればいいのに。それもできないなんて!
息を吐く暇もなくダッシュし続けて、家に着いた。
「おかえりーっ。美味しい揚げまんじゅうもらったから食べよーっ!」
「まったく、母さんは何でもいただいてくるんだから!」
「でへへーっ。昨日はモンブラン、一昨日はマドレーヌ、その前はチョコレート」
「どうせならすき焼き用のお肉とかもらってきなよ。いただきます」
「いいね、いいね。これからの季節は、みんなで突つく鍋料理! で、お味は?」
「うん、美味い!」
本当は、ちょっとだけしょっぱかった。
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