ブルーバード・コントレイル
柏沢蒼海
第1話:群青の防人
見上げると、どこまでも深い青。黒に限りなく近い、群青。
目の前には眩しい光を放つ計器類、モニター。
機密性の高いパイロットスーツとヘルメットを着用していても、機内の甲高い騒音からは逃れられない。
息苦しいほどの狭さ、情報量、それでも俺はこのコクピットに居心地の良さを感じていた。
俺の居場所はここだ――そう、はっきりと言える。
『――ガルーダ1より
俺は乱れた呼吸を整え、疲労困憊の状態から回復を試みる。
ついさっきまで、搭乗している最新鋭機の
軽い機体で最大推力で飛び回る爽快感とは真逆、熱中すれば速度や推進剤を浪費してあっという間に不利になる。
帰還用の燃料給油を終え、空中給油機が離れていく。
それを見送っていると、ヘルメットのヘッドセットからビープ音が流れた。
指揮系統の上位にある対象との通信がつながった合図だ。
視線を下げ、コンソールモニターに集中する。
『――こちら防空指令センターよりガルーダ隊へ、そちらの空域に
コンソールモニターにいくつかの情報が描き出された。
『不明機は第二次警戒ラインに向かって飛行中、最終警戒空域到達までに阻止できるのは貴隊しかいない』
所属不明機は領空侵犯し、最悪の状況を作り上げようとしている。
もしかしなくても、攻撃の意思があるのは明白だ。
『こちらガルーダ1、我が隊は特殊任務を実施中だ。武装していない、対処は不可能だ』
隊長が無線に応答する。
事実、俺たちの部隊は通常任務部隊ではない。同じ軍内部にも隠し事をしているほどだ。
おまけに、今は最新鋭機のテスト飛行中。敵に情報を与えるわけにはいかないのだ。
『現在、最寄りの空軍基地からの迎撃機はトラブルにより発進できない。どうにか対処はできないか?』
空軍の機密情報を敵前に晒すか、本土や湾口に停泊している海軍に攻撃を許すか、状況は切迫している。
本来ならば、考えるまでもなく――敵機の対処を優先すべきだ。
リスクはある。
それでも……やらねばならない。
「ガルーダ4よりガルーダ1、進言の許可を」
『……許可する』
隊長の溜息が無線に乗る。
どうやら、俺の台詞は想定済みらしい。
「当機はフル装備、3機程度なら撃墜は容易です」
『――ガルーダ隊、交戦は容認できない。所属不明機に対しては規定の手順で……』
『ガルーダ1よりガルーダ4、交戦を許可する。ただし、敵機は全機撃墜せよ。敵パイロットが
隊長から許可が出た。
ここ最近、領空侵犯機の行動は過激さを増している。問答無用で撃墜は妥当だ。
それに……国内に最新鋭機があることを知られるわけにはいかない。
「ガルーダ4、マスターアーム・オン」
武装の安全装置を解除、レーダーが戦闘モードに切り替わる。
ヘルメットのバイザーに映し出された表示も戦闘用のレイアウトに変わった。
左手に握るスロットルを押し込み、加速。
微かに青みを帯びた夜空にバイザーの表示が重なる。虚空に浮かび上がる緑色のボックスアイコン、レーダーで捕捉した敵機だ。
「レーダーコンタクト、
ふと、視線を下げるとコンソールモニター上では仲間たちが退避行動に入っているのがわかった。
支援は受けられないが、自分が撃墜された後に仲間が追撃されることはなくなった。
これでいい――――俺たちは通常任務部隊ではない。
敵機は3機。本来なら『警告』から始めるところだが、その必要はなかった。
レーダーが敵機を捉え、遠距離ミサイルの誘導装置が標的を追う。
菱形のロックオンマーカーが敵機を示すボックスアイコンに重なり、ミサイルの発射態勢が整った。
敵機の射程に入るより先に、こちらから攻撃する。数的不利な現状では先手を取らなければ間違いなく死ぬことになる。
「ガルーダ4、FOX3――」
無線に向けて、宣言するようにコール。
大気を裂くようなジェット音と共に、遠距離ミサイルが解き放たれる。
白い筋雲を引きながら飛んでいく細長いミサイル、レーダー上で敵機は背中を向けるように回避行動に入っていた。
スロットルをさらに押し込み、最大加速。コクピットに満ちる騒音が一層甲高くなる。
背を向けた敵機への距離を詰めていく。
その途中で、爆炎が咲く。まずは1機――
残る2機は遠距離ミサイルを回避。旋回し、こちらに向かってくる。
敵機からのレーダー照射を感知し、警報が鳴り出す。次の瞬間にはミサイルが飛んでくることになるだろう。
左手に握るスロットル、複数あるスイッチの1つを押す。
火器管制モードが切り替わり、
レーダーやセンサーが急接近する対象を優先的に捕捉する機能。そして、案の定――敵機が対空ミサイルを発射したようだ。
視界に×印が表示される。それに菱形のロックオンマーカーが重なった。
電子音のブザー、それを聞くのとほぼ同時にトリガーを引く。
「ガルーダ4、FOX2ディフェンシヴッ――」
敵機に発射数に合わせて、2発の近距離ミサイルが飛び立つ。
虚空に小さな爆発、迎撃成功――次は、お待ちかねのドッグファイトだ。
遙か彼方にいたはずの敵機、そのシルエットが見えてきた。
旧欧州の軽戦闘機に似たそれは、足を生やして地上戦もできる『
敵機は急上昇に転じる。軽量さを活かした高度差戦術、上昇しても負荷が少なく、いざという時に急降下で速度を取り戻せる。昔からずっと使われてきた空戦戦技だ。
だからこそ、手堅い。無難な一手だ。
――無難過ぎるがな……!
上昇していく敵機に向けて機首を上げず、方位だけを合わせる。
進路上、平面上での交差。距離は多少縮まったが、それでもまだ遠い。
『――ガルーダ4、敵機と
空中管制機のオペレーターからの報告を聞きつつ、頭上にいる敵機を見上げる。
ディテールが判別できる距離、筋雲を引きながら2機が旋回を始めていた。
こちらも同じように緩旋回、スロットルはそのままに操縦桿を引く。緩やかに掛かってくるGの痛みに、歯を食いしばって耐える。
大回りの旋回戦、相手は小柄だが
いざという時に物を言うのは――推力と空力だ。
空に描かれる白線、その緩やかなカーブと重なるように旋回する。
そして、敵機と再び交差――
――今だ。
スロットルの根元にあるスイッチを押しながら、スロットルを戻す。
視界が暗転、コクピットに新しい騒音が満ち――数秒の間に機体は変形を終える。
ヘルメットのバイザーに映るのは腕――否、腕のように動かせる
スロットルを再び入れ、右手の操縦桿を捻る。
人型になった機体の向きを変え、敵機の後方――青白い炎を引くエンジンノズルへと照準を重ねた。
「ガルーダ4、
重々しいモーター音、発射炎。照準の向こうへと飛んでいく光弾。
残り1機。
再び機体を変形、航空機形態に戻って敵機を追う。
敵機は冷静さを失ったのか、急旋回を繰り返していた。
いちかばちか、ドッグファイトに賭けることにしたのだろう。小回りの効く機体が有利な状況だった。
だが――それに付き合うつもりはない。
あえて、大きく緩やかな旋回をして敵機の後ろに付く。
それを振りほどこうと、敵機はでたらめな回避機動を取っていた。
距離を詰めていたら、それに翻弄されていたかもしれない。
深呼吸をして、操縦桿を握り直す。
敵機は機速とパイロットの体力を消耗して、徐々に高度を落としていた。
ここからドッグファイトに持ち込まれても、敵機は降下して速度を取り戻す以外の手段は無い。
敵機に菱形のアイコンが重なり、電子ブザー音がなる。ミサイルの誘導装置が敵機を捕捉したことを知らせるシーカートーン、幕引きの時間だ。
トリガーを引く。
甲高いジェット音、それと共に解き放たれる近距離ミサイル。
瞬きする間に敵機へと迫り、空中に爆発を咲かせる。散らばる破片、黒煙の残滓が戦闘の痕跡が空に刻まれていた。
「……敵機撃破」
大きく息を吸い込んで、吐く。
戦闘の興奮で昂ぶっている思考をクールダウンさせる。Gの痛み、戦闘時の緊張で感覚が過敏になっていた。
意図的に周囲を見回す。コンソールモニターにはこちらに向かってくる編隊機を示すアイコンが表示されていた。
『ご苦労だった、ガルーダ4』
部隊長の労いの言葉、それを俺は鼻で笑う。
「これで、
『たしかに、実戦データは価値があるものだ』
しかし、と隊長は言葉を濁す。
『――無茶し過ぎだ、ユート』
説教モードに入った隊長に辟易しつつ、残燃料を確認。――帰還するには充分な量だった。
「俺の無茶で守れるものがあるなら、どんな無茶でも喜んでやりますとも――」
それは俺の本心だ。
俺はただのパイロットではない。国を守るため、軍のため、そのために俺は飛ぶ。
もちろん、飛ぶ以外の任務もあるが……俺の本領発揮できるのは、空にいる時だけだ。
「……
無線に乗らないような声で、俺は呟いていた。
無意識にやったそれに、気付くのは――基地上空に辿り着いた頃だった。
空こそが自分の世界。
それでも、俺にはちょっとした楽しみがある。
いつもやかましい、あの声。
それを毎日聞いて、笑って、からかう。そんな地上の日常。
俺にとって、別の世界である『平和な日常』に……確かな居心地の良さを感じていた。
かけがえのない存在、それを挙げるとするならば……俺は、1人の女子の名前を言うだろう。
だが、それはあくまで知人――同級生として、だ。
いつも俺に絡んでくる女子の生意気な顔を思い浮かべながら、俺はゆっくりと滑走路へと機体を降下させていった。
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ブルーバード・コントレイル 柏沢蒼海 @bluesphere
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