第4話



 女は許都きょとの城を熟知しているようだった。

 

 滑るように回廊を駆けていくので、一度陸議は見失った。

 しかし丁度そこに通りかかった侍女が東の棟に駆けていくのを見た、と教えてくれたので急いで行ってみると、姿を見つけた。

 追っ手を撒いたと思ったのか、しばし庭先で休んでいる。


 陸議りくぎは回廊からではなく、庭の方から近付いていった。


 驚かせないよう、慎重に声をかける。


「なにか【月天宮げってんきゅう】に御用がありましたか?」


 女がハッとして振り返る。


「あなたは……宮にいらした……」


「先程おられたのは甄宓しんふつ様の側仕えをなさっている曹娟そうけん殿です。

 貴方は悪い人には見えないので、何かあるようでしたら話を聞いてくるよう、私に仰られました。私は宮に仕える女官、陸佳珠りくかじゅと申します」


 陸議が静かに一礼すると、そこから逃げようとしていた女はこちらを振り返り、それから突然涙を零した。両手で顔を覆って泣いている。


「どうしたのですか?」


 陸議は歩いて行く。


「月天宮におられる……正妃さま、甄宓様にどうしてもお会いしたいのです」


甄宓しんふつ様に……何か御用ですか? 貴方は……単なる侍女には見えません。

 城におられる、どなたかのお知り合いの方ですか?」


 陸議の質問には、答えなかった。

 代わりに、違うことを言った。


「近々、涼州に派兵されることが決まったと聞きました」


 思い掛けないことを聞かれた。


「軍のことは機密なので、私達に答えることは出来ないのです」

「分かっています……」


 女は濡れた頬を拭うと、自分から陸議に近付いてきた。


「それでも、どうしても……。

 甄宓しんふつ様にお目通りがしたいのです。

 お願いします。

 甄宓様は次期皇帝となられる曹丕そうひ殿下の正妻。

 甄宓様から司馬懿殿に、涼州遠征は留まるように話していただけませんか!」


 陸議は目を瞬かせた。


 風が吹き、紅葉の枝が揺れる。


 冷たい風だ。


 

 もうすぐ、冬が来るのだ。





【終】

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花天月地【第31話 それぞれの心】 七海ポルカ @reeeeeen13

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