花天月地【第31話 それぞれの心】

七海ポルカ

第1話



 涼州りょうしゅう遠征の出陣がついに十日後に定まった。


 赤壁せきへきを経て、今三国の状態は拮抗している。

 お互いの出方を三国それぞれが様子見している状態だ。

 

 いつも通り早朝の散策をしながら賈詡かくは考えていた。


(さほどのこととは自分ではあまり思っていなかったのだが。

 こうして見てみると、確かにあの【剄門山けいもんさん】の戦いは妙かもしれん)


 赤壁がもし呉蜀ごしょくにとって良い形で終わらなかったのなら、その責任の所在を巡って揉めても仕方ない。元々赤壁に備えて成された急ごしらえの同盟だ。

 しかし呉軍は勝利で赤壁を終えたのだ。

 蜀があの戦いで果たした役割は、呉軍ほど大きくはない。

 赤壁は呉軍の勝利だと賈詡も思う。


 この勝利の勢いに乗って魏に対し、より強固な同盟を結ぶのが双方にとっていい。


 それが強固であればあるほど、の次の動きも牽制できるのだから。


 だが曹操そうそうから曹丕そうひへの代替わりを急がせ、敗戦したの魏軍を編成しなおし立て直している最中に、呉蜀同盟が決裂したという知らせが入った。

 まさかと思い調べさせると戦の最中にはすでに決裂し、両軍がぶつかっていたようなのだ。

 必死に逃げる魏軍はそんなことも把握出来ていなかった。



「同盟を破ったというのなら、からでしょう。

 しょくには同盟を破る利はない。戦の貢献度合いから、次の戦に備えての談合において蜀が全く協調体勢を取らず、呉に不満を持たせたなど、蜀の対応が呉を怒らせた可能性はありますが、いずれにせよ蜀を切り捨てたのは呉のはず」


「理由はなんだと思う」


 許都きょとに戻ってきた曹丕が、郭嘉かくかに尋ねた。


「蜀はあくまでも対等な形での同盟を求めたのかもしれません。

 そうしなければ呉との同盟が成っても、呉の属国のような扱いになっても、魏の支配を拒んだ蜀には違いはない。

 ただ……。

 赤壁の最中に事が起きたのは不思議です。

 周公瑾しゅうこうきんが先手を打って動いたと考えるのが自然だとは思いますが、勝利の勢いに乗って早々に蜀に対して優位性を取り、その後の手を封じ込みたかったのかも」


周瑜しゅうゆの奇策は戦後を見越してのことか。奴は魏に勝利しただけではなく長江ちょうこうに出さなかった呉軍を温存することにも成功しているからな」


「早々に蜀を抑え、魏と呉の天下二分に持ち込もうとしたのか」


「周瑜は建業への凱旋を果たさず戦場で病没しています。赤壁の最中にはすでに自分の死期を悟っていたはず。それならば、自分の死後に呉が直面する問題をあの戦いで出来るだけ取り除いておきたかったのでは」


「それはあるな」


「……つまり蜀が拒んだことの方が、賢い判断ではないということだな」


 司馬懿しばいが言った。


「赤壁に勝った呉。魏はいずれ、再び南進をしてくることは分かっていたはずだ。

 しかも二度と長江を越えての道は辿らないことも。

 そうなれば魏が取るべき道筋は、西涼せいりょう方面か陸伝いの中原ちゅうげんから侵入してくると分かっていたはず。

 呉は今は守りが上策。

 中原、江陵こうりょうはともかく、西涼だ。

 魏軍が西涼遠征を選んだら、必ず蜀は動かざるを得ん。

 ここが完全に魏の手に落ちれば、蜀は北の魏、東の呉からの攻撃に晒される。

 同盟があれば後方の守りを呉に託せたが、今や奴らも敵だ」


「加えて、蜀の劉備りゅうびのもとには赤壁前から涼州りょうしゅうの騎馬隊の一部がすでに加わっています。

 これで魏の攻撃に晒される涼州に派兵をしなければ、その部隊は必ず劉備に不満を持つはず」


「誰も彼も後先考えず懐に迎えているからこういう事態になる。劉備め。

 俺はたまに何故あんな考えの甘い奴がまだこの世に存命していられるのか不思議でたまらんことがある」


 賈詡かくが呆れた声で言った。

 徐庶じょしょは発言せず、静かに押し黙っていた。


「蜀にとって戦後のことを考えれば、呉に這いつくばってでも呉蜀同盟を維持しなければならなかった。

 呉は長江がある限り蜀ほど状況は逼迫ひっぱくしていない。

 しばらくは出てこず、魏と蜀の動きに合わせて生まれてきた状況に応じ、派兵する遣り方が取れる。

 奴らは長江沿いか、江陵を主な戦場にする見立てもつく」


「そこまで維持しなければならない同盟を、蜀が拒んだ理由はなんだ?」


「呉が余程の要求をしたのでしょう。

 例えば、今も孫権そんけんの妹が成都せいとにいる。

 劉備が建業けんぎょうに来た場合のみ、同盟を認めるとか……」


「呉は蜀を生かして利用するのが得だ。

 例えそうなっても劉備を殺したりはすまい。

 同盟を保って天下二分に持ち込み、涼州を何とか取り、そこを前線基地とすれば呉の支配も弱まる。

 徐庶。劉備が建業に来ることがそんなに無理な話か」


 賈詡が尋ねると、徐庶は小さく頷いた。


「彼らは特殊な考え方をします。

 魏と呉は、戦況と政の判断によって、敵方に人質を送ることも出来るでしょうが、蜀は無理です。ましてや劉備殿となると、その存命にかけて決して受け入れないと思います」


「蜀はひたすら劉備と共にあり、か……」


「……【剄門山けいもんさん】の戦いの詳細は得られましたか?」

 

 徐庶じょしょ司馬懿しばいに尋ねる。


「まだだ。何か気になるか?」


「いえ……蜀が何を要求され、それを拒んだのかが、その戦いの詳細によって分かるのではないかと思ったのですが」


「私もそれは考えたけれど、呉の攻撃を受けた【剄門山】に蜀軍が増援を一切送ってないのは非常に気になるところだ。

 なにか、蜀の中でも判断が割れていた部分があるんじゃないだろうか」


 郭嘉かくかが頬杖をついて呟く。


「内部で揉めたか。だとしたら相当下らん理由で【鳳雛ほうすう】が死んでる」


「……彼は結局、名前だけしか聞かなかったね。

 その名に相応しい差配も、才能も、実際の戦場で一度も見れなかった。

 ……まるで最初から存在してなかったひとのようだ」


 郭嘉がそう言って目を閉じ押し黙ると、軍議場にも少し沈黙が落ちた。



仲達ちゅうたつ。【剄門山けいもんさん】の仔細は、調べさせろ」



 やがて曹丕そうひが口を開いた。


「いずれにせよ手をこまねいているうちに、涼州りょうしゅうの騎馬隊や豪族たちが自ら劉備のもとに降るようなことがあっては魏の脅威になる。

 先手を取り、涼州を陥落させる。

 しょくが迎撃に出て来れば戦火は拡大する可能性もある。

 場合によっては漢中かんちゅう江陵こうりょうまで飛び火する可能性もな。

 だが構わん。戴冠式などに私は拘らん。

 必ず涼州の主立った勢力を殲滅し、直接蜀に派兵できる大きな砦を築いて来い。

 出発はこれより十日後とする。

 仲達、総指揮を任せるぞ」


「はっ」


 司馬懿しばいが賈詡を見た。


「二軍の最高位には賈詡かくをつける。補佐に郭嘉かくかだが、この涼州遠征は多方面に複雑な状況を抱える。賈詡は涼州に専念しろ。郭嘉はそれ以外の戦線も注視し、場合によっては賈詡に助言を行え。

 張遼ちょうりょう将軍、赤壁せきへきでの敗戦からの初戦になる。

 貴方の軍で蛮勇で知られる涼州騎馬隊を打ち破り、魏軍に蔓延はびこる怯えた風潮を払拭して下さい」


「承知いたしました」


 迷いなく、張遼が頷く。

 彼は赤壁せきへきでは自慢の武勇を全く発揮出来なかった。

 ようやく、雪辱を果たす場が整い、その全身からは静かだが情熱のような闘志が漲っているのが伝わってくる。


楽進がくしん李典りてん。もう一軍は混成部隊だが、指揮権で揉めるなよ」


 賈詡が少しからかうように忠告を与えた。

 しかし生真面目な楽進は強く頷いている。


「はい! 必ずや! 私も張遼将軍を見習い、ただ魏の為に身命を賭します!」

「別にそんなことで揉めませんよ……」


 李典は賈詡の忠告が子供扱いに思えたのか不満げだったが、隣の楽進が「我々は協力して戦えますよね!」と言わんばかりの明るい顔で見てくるので、苦笑してしまっている。

 楽進は今回の任務の重さから、自分は遠征に連れて行ってもらえないだろうと思っていたのだ。それが賈詡に呼ばれて、飛び上がって喜んでいた。


「加えて、今回の遠征には徐元直じょげんちょくを伴う。

 私の直轄として二軍の軍師につけるが、あくまでも総指揮は賈文和かぶんかだ。

 されどお前の任務は多岐に渡るぞ、徐庶じょしょ

 新野しんやで魏軍を潰走させた、お前の才を存分に発揮しろ。

 大きな損失を魏軍に与えず、涼州遠征の任を円滑に遂行するため各軍、各将と協議を行い、無事に帰還させることがお前の役目だ」


 司馬懿しばいが言うと徐庶が深く、諸将に一礼をした。



「承知いたしました」



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