中学で別れた幼馴染ヒロインの攻略手順が書かれたノートが俺の机に置かれていた件

志久野フリト

第1話 

 春の風は、どうしてこうも人の心をそわそわさせるのだろうか。


 桜が舞い、制服が少しだけ窮屈に感じられる始業式の朝。

 毎日繰り返される当たり前の景色のはずなのに、今日はどこか落ち着かない胸のざわつきを感じていた。


 俺、久遠伊吹くおんいぶきは、高校二年の教室に足を踏み入れた瞬間、静かな違和感に立ち止まった。


(あれ?)


 窓際の一番後ろ、いわゆる主人公ポジション、そこが俺の席だった。

 けど、そんな漫画みたいな席に座ってたって、俺の人生が物語になるわけじゃない。


 これまでもそうだった。誰かの物語の背景として、空気みたいに過ぎていく日々。


 今日だって、例外じゃない。

 俺はまた、クラスの誰かのセリフにもならないモブでしかないと思っていた。


 けれど、その席に目をやった瞬間、先ほどから感じていた違和感が形を持った。


 机の上に、見慣れないものが置かれている。


 ノートだった。


 黒い表紙に無地で、少し古びた質感。

 触れると、わずかに指先にざらつきが残る。新品のようなツルツル感じゃない、妙にリアルで妙に存在感がある。


 艶のない紙質に、まるでボールペンで手書きしたような文字が浮かんでいた。


『ヒロインの攻略手順』


(は? なんだこれ)


 思わず目を疑った。

 俺の目がバグったのか? なんでヒロインなんて単語が、今、現実に出てくるんだ。


 ふざけた中二病か、悪質なドッキリか。正直、笑いも出なかった。


 でも、なんでだろう。

 俺は何かに導かれるように、それを手に取っていた。


 開いて、言葉を失った。


 4月7日(木)

 08:15 教室のドアから入ってきた彼女に、こう声をかけろ。

 →『藤崎……梓? だよな? 久しぶり』


 意味が、分からない。


 冗談にしては、作り込みが異常すぎる。

 ノートの中は丁寧に罫線が引かれ、時刻や行動、台詞の順番が、まるで恋愛ゲームの攻略本みたいに整理されていた。


 しかも、今日の日付は4月7日。

 スマホを確認すると、今の時刻は08:13。


 あと二分で、書かれているイベントが発生する?


 心臓が、一回跳ねた。


(いやいや、まさか)


 それでも、ページをめくる手が止まらない。

 そこに書かれていた名前が、俺を突き動かした。


 藤崎 ふじさき あずさ


 知ってる。忘れるわけがない。


 中学に入る前に引っ越して、別れた幼馴染。

 小さい頃の記憶の中で、何度も、何度も繰り返し再生されてきた。


 俺が引っ込み思案だったから、よく手を引いて外に連れ出してくれた彼女。


「いっくんって、ほんとに部屋にこもってばっかなんだからー!」


 あの明るい声が、耳の奥にこだまする。


 懐かしい。でも、同時に痛みを伴う記憶だった。


 再会してからは、まともに話すこともできなかった。

 黒髪ロング。気品ある立ち姿。成績も運動も優秀で、男女問わず人気者。


 教室の中でも、彼女が立つと周囲の空気が少し澄んで見えるくらいだ。

 笑うとふわっと頬にできる小さなえくぼ。

 細くて白い指先、意外とおっちょこちょいな癖も、全部、アップデートされないまま、ずっと記憶に残っている。


 そんな彼女に、俺みたいな目立たない存在が声をかけるなんて、到底できなかった。


 だからこそ、なんで彼女の名前が、こんなふざけたノートに?


 頭が混乱する。

 悪い冗談なら、早く終わってくれ。

 でも、胸の奥で、何かが脈打っていた。怖い。でも、知りたい。そんな感情。


 額に、じっとりと汗がにじんできた。そのとき


 ガラッ。


 教室のドアが、音を立てて開いた。


(まさか!)


 反射的に顔を上げる。

 時間を見るまでもなく、わかってしまった。


 そこに立っていたのは


「え、久遠くん?」


 本当に、彼女だった。


 藤崎梓。

 ノートに書いてあった、あの名前の、あの声の、本物の彼女が、俺を見ていた。


 眩しすぎる。

 春の光を背に、ふわりと髪が揺れる。

 黒髪ロングの一本一本が、金糸のように輝いて見えた。


 制服の袖を少しだけ引き上げて、小さく首をかしげる仕草。

 その一瞬の無防備さが、かつての彼女のままだった。


 目が合う。逃げられない。

 驚きと、戸惑い。けれど、どこか懐かしそうな眼差し。


「久しぶり、だね?」


 心臓が、大きく跳ねた。


 呼吸が、乱れていくのが自分でもわかる。


 あの頃の空気が、いきなり戻ってきたようだった。


 けれど、それと同時に、心の奥底で、もう一人の自分が囁く。


(俺はなにをしてるんだ?)


 こんな、ふざけたノートに従ってまで俺は、あの頃の続きをやり直したいのか?


 感情と理性がせめぎ合う中、口が勝手に動いた。


「藤崎……梓? だよな? 久しぶり」


(やばい。やっちまった)


 言った瞬間、全身から血の気が引いた気がした。

 なにこのセリフ。なにこのテンプレ。俺はバカか? ってくらいに恥ずかしい。


 教室の空気が、一瞬止まった気さえした。


 でも。


 彼女は、驚いたように目を見開いたあと


「うん、やっぱり、久遠くんだ」


 そう言って、にこっと微笑んだ。


 その笑顔は、どこまでも柔らかく、優しくて懐かしい。

 完璧すぎる笑顔だった。まるで、正解のリアクション。


 攻略手順通りに動いた俺に、彼女は正解の笑顔を返した。


 それが、嬉しかったのか、怖かったのか。

 その答えは、まだ、自分でもわからなかった。






18:10分に毎日投稿します。


最新話まで読んで戴きありがとうございました。


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