エピローグ(2)

 取材を終えた、週明けの月曜日。

 東西旅行の編集部。一ノ瀬家から持ち帰ってきたノートを読み終え、編集長は言った。


「ありがとうね、ボクの代わりに。お疲れさまでした」


「いえ。……編集長はどこまで知っていたんですか?」


「どこまで、かぁ」


 頬杖。


「一ノ瀬くんが病気だったのと、遺書が残されていたことは、一ノ瀬くんのお母さんから聞いたのね。だから大方のことは知っていたけれど、特に朝霧くんには話さなかった。前にも言ったけど、自分で知ろうとしなければ、意味のないことだと思うから」


「……」


 編集長のいう通りだとは思う。けれど、これだけの事情があったのに、何も話さないなんて。


「冷たい男だな、と思った?」


「いや、それは」


 考えていたことを言い当てられたようで、少しいいよどんでしまう。編集長は「いいのいいの」と笑って、


「一ノ瀬くんね、亡くなる少し前に、ボクにいったの。『私がもしいなくなったとして、その理由を朝霧に伝えるのはやめてほしい』って」


「どうして、ですか?」


「さあ、どうしてでしょうね。実際ボクもその話を聞いた時、まさか一ノ瀬くんがそんなことになっているなんて思わなかったから、首を捻るだけだったけど。でも、遺書の話を聞いて思ったの。やっぱり最後は、自分の言葉で、伝えたかったんじゃないかって」


「自分の言葉で、ですか」


「そう。言ってくれなきゃわからない。朝霧くんはそう言ったわ。それに、一ノ瀬くんだって東西旅行の一員よ。なにかを伝えることを生業にしていた彼女だからこそ、最後の言葉も自分で伝えたかったんじゃないかしら」


「でもそれって……朝霧さんが自分で遺書を探しに行かなきゃ、わからなかったんじゃ」


「ふふ。それもあって『自分で知ろうとしなければ、意味のないこと』といったのだけどね。きっと信じてたんじゃないかしら。朝霧くんがいつか、あの遺書にたどり着くことを」


「……もし、たどり着かなかったとしたら」


 編集長は顎を組んだ手に載せて、言った。


「私の本当の気持ちは伝わらないままでいい。朝霧が私を恨むことで強くなれるなら……なんて。わかんないけど、彼女、カッコつけだからね」


 編集長のその時の表情は、いつもと違って。

 本当に仲のいい友達と笑い合うような……そんな笑顔だった。


「あら、編集長、小鳥遊くん、おはようございます」


 そんな話をしていると、朝霧さんが編集部に入ってくる。


「おはよう、朝霧くん。ちょうど貴方の話をしていたところよ」


「私のですか?」


 朝霧さんは、編集長の机の上に置かれたノートを見て気付いたらしい。


「ああ、先に宮原出張の報告をしてくれてたのね。ありがとう」


「いえ、すみません、先に始めてしまって」


「だいたい小鳥遊くんからあらましは聞いたわ。朝霧くんもお疲れさまでした」


「いいえ。貴重な体験になりました。ありがとうございます。……それと」


「ん?」


 首を傾げる編集長に、朝霧さんは頭を下げる。


「ご迷惑を、お掛けしました」


 編集長は困ったように頬をぽりぽりと掻いている。「何と言ったらいいのかしらね」と呟いた編集長は、頭を上げた朝霧さんに言った。


「朝霧くんは、一ノ瀬くんと過ごした半年と少し、楽しかった?」


 問われた朝霧さんが、ぐっと言葉を喉に詰まらせる。しばらく苦しそうな表情をした後、


「……まだ、わからないです」


 絞り出された答えに、にっ、と編集長は笑った。


「それでいいと思うわ。ボクから言えることは、過去より今の方が楽しい。そして今より明日の方が楽しい、ということだけ」


 立ち上がった編集長は鞄を持つと、すれ違いざまに朝霧さんの肩を叩く。


「後からお医者さんに聞いたらね、一ノ瀬くん、きっと立つのもやっとだったと思うって言ってたわ。そんな中でもホームから落ちそうになった男の子のために、最後の力を振り絞ったんだって、ボクは思ってる。男の子の明日を繋ぐために、ね」


「……明日を繋ぐ、ですか」


「そう。それだけ朝霧くんの言葉に感化されたんじゃないかしらって僕は思ってるけど。いずれにせよボクたちにできるのは、一生懸命明日を生きることだけ。それが彼女への弔いになると、ボクは思うんだ」


 朝霧さんはなにも言わなかった。


「それじゃ、また出かけてくるわね。朝霧くん、小鳥遊くん、今日もよろしく!」


 編集部を出ていく編集長にも、朝霧さんは編集長の机を見つめたきり動かない。

 視線には、写真立ての一ノ瀬さん。


「……朝霧さん?」


 僕の言葉にふぅ、と一つ息を吐いた朝霧さんは、


「ごめん。さて、私たちも仕事を始めましょうか」

 と言ったのだった。



 夕刻。

 事務仕事がひと段落し、伸びをする僕の向こう側で、夜凪さんが言った。


「で、結局、朝霧は一ノ瀬先輩とのわだかまりは解けたわけ?」


「……うーん」

 朝霧さんが考え込んでいる。

 なんだかそんなテンションじゃなくて今まで黙っていたのに、まさか夜凪さんからアプローチしてくるとは。そんな、虎の尾を踏むような真似を許してはおけない。


「あ、朝霧さん、大丈夫ですよ。ちょっと夜凪さん、今は」


「なにが『今は』よ。私は気になったことを聞いただけ」


 夜凪さんの無神経に慌てる僕の横で、朝霧さんは中空を眺めながら呟く。


「わだかまり、か」


「いろいろあったんでしょ、宮島で」

 ん、と小さな声が聞こえる。


「難しいよね。私の中でも、まだ結論がつけられない、というか。先輩の気持ちもわかったし、納得もできた。私の文章を好きだと思っていてくれたことも嬉しかった。でも」


 キーボードを叩く手が止まる。思案するように首を捻って、


「でもなんだか……わだかまりを解く、とか、許す、という気に、なれなくて」


「……」


 四年間の間感じていたわだかまりや、嫌われていたと思い恐怖する心。それがあの遺書で「実は」と言われたところで……なんて、朝霧さんは思っているのかもしれないけれど、朝霧さんの気持ちは朝霧さんにしかわからないし、分かったような顔でなにかを言うのも違う、と僕は思った。

 だから。


「朝霧さんがそう思うなら、許さなくても……いいんじゃないですか?」


 思わず出た言葉に、朝霧さんがはっとした顔で僕の方を向く。


「朝霧さんが一ノ瀬さんに対して、思っていたことは……一ノ瀬さんがどう書いていたとしても、自分が思っていたことが真実だと思うんです。だから今は、それでいいと思います。でもいつか、朝霧さんが一ノ瀬さんを許せる日が来たのなら、許してあげればいいんじゃないですか? ……なんて、偉そうなことを言いましたが」


 数秒間、沈黙。その沈黙が気まずかったものだから、まずい、言いすぎたかと冷や汗をかいた僕に聞こえてきたのは、朝霧さんの爆笑だった。


「あははははは! なるほどね!」


「すみません、言いすぎませんでしたか?」


「いや。そうか、別に一ノ瀬先輩がなんて書いてようと、許さなくていいんだと思ってね。私にとって一ノ瀬先輩は、文章が達者で、不愛想で、肝心なことはなにも言わずに、カッコつけて死んでった人だったんだって。そう思って、生きていくことにする」


「……納得してくれたなら良かったですが」


「実はね。先輩とのわだかまりが解けたと思ったら、先輩が私の中から消えちゃいそうで嫌だったの。だから今朝も、編集長の問いに答えられなかったんだ。この気持ち、きっとわかってくれないと思うのだけど」


「難しいことをいうじゃない、朝霧」


「そうかも。ずっとわだかまりがあって、一ノ瀬先輩はこういう人だ! って自分の中で出来上がっていたから、かな。でも許す、ってことは、私の先輩は実はそうじゃなかった、って認めることじゃない? それは私の中から先輩がいなくなってしまうようで、嫌なんだ。だから私は私の信じた先輩と、この先も旅を続けることにする。一ノ瀬先輩が捨てることのできない、私だけの文章を書いてやるんだ」


「それが……朝霧の、目指す明日?」


 夜凪さんの言葉に、朝霧さんはこくりと頷く。 


「まあ、いいんじゃない? 『残された人間はただ、明日を生きるだけ』ってね」


「お、『ギアブレイド』の最終回ですね!」


「やっぱり小鳥遊は分かってるな。見ろ、朝霧がぽかんとしてる」


 からかうような言葉に、朝霧さんの頬がぷくっ、と膨れる。


「……そろそろ怜ちゃんと小鳥遊くんのいうそのアニメ、見てみようかしら。ずっと蚊帳の外なんだけれど」


「いいじゃないか。今度の休み、私の家で鑑賞会と洒落込むか。小鳥遊、私のコレクション見せてやるよ」


「マジっすか! 楽しみにしてます!」


 盛り上がる僕たちを、はいはい、と朝霧さんが手を叩いて止める。


「はい、そろそろ小鳥遊くんは終業時間だからね。私はもう帰るわよ」


「了解です。お疲れさまでした」


 頭を下げる僕に、朝霧さんは微笑む。


「……明日もよろしく頼むわよ、『相棒』」


 その言葉に、思わず顔がにやける。


「はい! よろしくお願いします!」


「ん。それじゃ、また明日ね」


 嬉しさのあまり叫んでしまった僕に朝霧さんはそういうと、編集部を出ていく。


「おーお、朝霧とずいぶん仲良くなったな」


「そんなことないですって! 僕も帰りますからね!」


 冷やかすような夜凪さんの言葉を背に、僕も編集部を飛び出す。

 まったく、よい先輩に恵まれたものだと思う。

 東西旅行に入ることで、編集長や夜凪さん、朝霧さんと繋がることができた。女将さんのいう通り、僕が仕事をする上で得た一番の財産はきっと、この繋がりなのだろう。

 人は繋がりながら明日を探していく。朝霧さんや夜凪さん。編集長。そして、取材先で出会う人々。僕らが探す明日は、どんな日になるだろう。まだ、わからない。だけど、明るいものであればいい、と心から願う。

 ……いや、明日は僕の足で探しに行くんだ。それが、一ノ瀬さんの旅を見届けた、僕の責任だと思うから。


「……エレベーター、もう来てるぞ」


「あっ」


 ぼんやりしていると、後ろから声を掛けられる。気をつけて帰れよ、とぱたぱた手を振る夜凪さんに、僕は笑顔で返した。



「はい。また、明日」

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先輩と僕と、明日への旅路 天音伽 @togi0215

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