第四章(5)

 手紙やメールというものはいつ受け取っても嬉しいものだけど、特に嬉しいのは異性からのメールだ……なんて、高校生の時の友人はいっていたっけ。

 僕は女の子からメールを貰うような人生を歩んでいなかったから、思えばこれが、最初の異性からの『遊びの誘い』のメッセージだったかもしれない。


『小鳥遊くん、今日暇?』


 夏も終わりに差し掛かったある日のこと。仕事の疲れを癒すべくベッドで転がっていた僕は、そのメッセージで飛び起きた。

 何も考えずに、指が動く。


「暇です」


『よかった! 今日、神辺のシーオリンピアでバーゲンやってるんだよね。友達といく予定にしてたんだけど、急に振られちゃって。もしよければ、付き合ってくれない?』


 シーオリンピアというのは、神辺にあるショッピングモールのこと。海沿いに建てられたモールには有名なブランドのショップがいくつも入っていて、僕も何回か母親と服を買いに訪れたことがある。


「いいですよ、荷物でもなんでも持ちます」


『ほんと!? 助かる! それじゃあ、お昼に踊子(おどりこ)駅に集合ね!』


 メッセージを返しながら、素早く身支度を整える。動きやすいように半袖の青いシャツと、薄手のカーゴパンツ。洗顔や歯磨きを終え、鞄を引っ掴んで家を出るまでに、十五分も掛からなかった。

 踊子駅はいったん神辺駅を経由し、そこから更に二十分ほど電車に乗ったところにある。

 駅までの電車の中。僕は努めて平静を保とうとした……が。


「ダメだ、落ち着かない……」


 ソワソワが止まらない。読んでいた本を鞄にしまい、腕組み。

 入社して四か月。朝霧さんとどこかに行くことには慣れたけれど、こうやってプライベートで呼び出されると話が全然違う。そわそわして落ち着かない心を腕組みでぐっと抑え、車窓から見える海を睨みつけていると、電車は駅へと滑り込んだ。

 さすがに大急ぎで来たので、朝霧さんはまだ到着していないだろう。……そう、思っていると。


「お、来た来た! おーい!」


「!?」


 改札を通り抜けた瞬間、声を掛けられてびっくりする。ぱたぱたと駆けよってくるリボンが付いた麦わら帽子を被った女性……朝霧さんは、どうしようもなく、夏だった。


「ごめんね、休みの日に呼び出して」


「いえ……。というか、早いですね。家近いんですか?」


「ううん、ここに来る途中で友達に振られちゃったの。風邪ひいちゃったから、ごめんねって」


 なるほど、それは災難なことだ。……僕にとっては幸運だった、と思うのは、さすがにポジティブを通り越してバチが当たりそうなのでやめておこう。


「んじゃ、行こうか」


 浮足立った朝霧さんに先導されて、僕も歩き出す。ショッピングモールは、駅からすぐそこだ。



「いや、むしろ休みの日に呼び出しちゃって、申し訳ないなーとは思う訳よ」


「そんな、気にしなくても大丈夫ですよ」


 三時間くらいモールを歩き回っていただろうか。買い物がひと段落した僕らは、モールの中ほどにあるカフェで休憩することにした。


「しかし、沢山買いましたね」


「まあ、外に出る仕事だから……服はいっぱいあった方がいいし」


 そういいつつ、朝霧さんの視線は明後日を向いている。


「趣味ではなく」


「……すみません、趣味です」


 でしょうね、と笑う。

 靴だけで何足あるのだろう。大量の紙袋を置いたら、ドン! とすごい音がした。


「まあ、この日のためにコツコツお金を貯めたので……」


「あ! ごめんなさい! 別に責めてる訳ではなく」


 指をいじいじしながら下を向く朝霧さんに、とてつもない罪悪感。確かに朝霧さん、会社にいる時はずっとお弁当食べて過ごしてるもんな。取材中でもほとんど買い物とかしないし。


「というか、女の人が可愛くあろうと思ってお金を使うのって……素敵だと思います」


 思わず言ってしまったが、それは本心だった。

 社会人になるまで、お金の使い道といえば本とオタク趣味。自分磨きのためにお金なんて使ったこともなかったから、こうやって洋服や靴にお金を使う、という光景を目の当たりにして、ちょっとカルチャーショックだった。

 ただ、ショックを受けたのはどうやら僕だけでは無かったらしい。


「……」


 朝霧さんがなにか言いたそうにこちらを見ている。


「どうしました?」


「いや、なんかそんなこと言われたの初めてだったから……」


「そうだと思いますよ。僕が外見にお金を使わなさすぎるだけなので」


 そういうと、ぶんぶんと朝霧さんは首を振る。


「いや! そんなことないよ。むしろそういってくれて嬉しかった」


「……なら、良かったですけど」


「うん。じゃあ褒めてくれたお礼に、ちょっと飲み物買ってくるね! なにがいい?」


「あ、じゃあカフェオレで」


 了解! といった朝霧さんはレジへと駆けていく。

 それにしても、二人掛けの机の周囲がぎっしり買い物袋で埋まってしまっている。


「……すごい荷物の量だ、本当に」


 これを朝霧さん一人で抱えていくのは大変だっただろうな。僕が来れてよかった。夜凪さんがいう『支えてやってくれ』とは全然違う意味だけど……と思い、次に。


「朝霧さん、車で来たのかな?」


 ふと、そんな疑問が頭に浮かんだ。



 僕が思った通り、朝霧さんは車で来ていたらしい。渡会島の取材でも乗せてもらった軽自動車に荷物を運び、朝霧さんは言った。


「送るよ」


「そんな、悪いですよ!」


 まさかそこまでしてもらう訳にはいかない。慌てて断る僕に、朝霧さんはぷくっと頬を膨らませる。


「いいの。買い物を手伝ってもらったのに、これくらいしないと私が納得しないから」


 そういわれてしまうと、頑なに断る理由もなく。朝霧さんと夜のドライブだ! と思った心は……まあ、否定しないけれど。


「運転下手だったらごめん。……今更だけど」


 朝霧さんはそういって笑ったが、渡会島の時も今も、下手だな、と思うことなんてなかった。

 BGMもなにもない車内は静かだ。しばらく走ったところで、朝霧さんが口を開いた。


「すっかり夜になっちゃったね、ごめんね」


「どうせ明日も休みですし、いい気分転換になりましたよ」


「そう? そう言ってもらえると、ありがたいのだけど。……あ」


「?」


 急に小さく声を上げる朝霧さんに、運転席の方を見る。


「朝霧さん?」


「……」


 いままでの笑顔が嘘のような、口を半開きにして、固まってしまった朝霧さんの顔がそこにあった。その顔は一目でただごとではない、と僕に直感させる。

 ……事故になる。


「朝霧さん!?」


 強めに声を掛けると、はっ、と息を吐くような音がして、朝霧さんが僕を見た。


「……小鳥遊、くん?」


「ちょっと、大丈夫ですか!?」


 その顔色は真っ青で、額から汗が流れている。息も荒い。

 この先に駅の看板があったことを思い出す。駅なら駐車場があるだろう。


「休憩しましょう、この先に駅があるはずです」


「ううん、大丈夫。帰るの、遅くなっ……」


「朝霧さん、ダメです」


 言葉を遮るのは僕も好むところではないけれど、このままでは確実に事故を起こす、という直感があった。東西旅行に入って、こんなに強い口調を朝霧さんに使ったのは初めてだろう。


「分かった。……でも、その駅は、嫌」


 そして、そんな朝霧さんの震える声も……初めてだったかもしれない。

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